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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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日本で二番目に大きな浜松市。

平成の合併の話が出たときには、合併しなければ小さな地域はやっていけなくなる。
国からの補助金もなくなるからと、国の方でも・・・合併ありきで進めていた。

佐久間町という小さな地域は、何処とも合併できなく悩んでいる時・・・政令指定都市を目指している浜松市からラブコールが来て・・・飛びついた。

しかし、その浜松市はとてつもなく大きな市になったのだ。

2006年の夏、私はその浜松市を一人で走った。

それから「浜松縦断マラニック」として仲間を誘ってのランニングなった。

当時の私の思いヲ綴ったブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0/%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E7%B8%A6%E6%96%AD%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF1

去年から、中部のお祭りの日ではなくなり。
コースも下川合までとなった。

距離も63km

大き過ぎるゼ・・・浜松市。

 

 

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今日は鳥居強右衛門戦国街道ラン65kmの日だ。

この大会は、新城の鳥居強右衛門俱楽部という走る仲間が企画して行っている大会だ。

岡崎城址、岡崎公園の正門を5時30分から5グループに分けて新城市の本長篠で行っているお祭り「長篠合戦のぼりまつり」の会場まで走って行き、現代の鳥居強右衛門俱楽部のメンバーが、新城市長に勝鬨を上げるのだ。

鳥居強右衛門とは↓
http://www.youtube.com/watch?v=ClbRK3RAVxQ&feature=player_embedded

このお祭りは、長篠で行なわれた長篠の戦いを偲ぶおまつり、中でも鳥居強右衛門は長篠の戦いの前の重要な侍だ。

今日は32人の男女が、鳥居強右衛門俱楽部のメンバーとして岡崎公園から本長篠まで走った。



会場には、鳥居強右衛門戦国街道ランの他に、合戦行列・和太鼓演武・のぼりまつり式典・武将、お姫様撮影会・よさこい踊り、などが有ったみたいだ。

待ち時間に見に行った「和太鼓演武」


太鼓演武の若い人、交通整理をしている人、地元鳥居強右衛門のメンバー、みんなが活躍している・・・・いいな~新城・長篠合戦のぼりまつり(^^)


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ゴールデンウイークの最初(27日28日)を使って遠山郷に行ってきた。

佐久間駅を6時19分の飯田線に乗り、相月駅を6時24分に降り、そこから国道152号線を走る。
今日は良い天気、絶好の行楽日和。

相月バイパスのトンネルを抜けると、切開(きいなま)の村が見える。

城西の町を行くと知り合いに数名出会う。

水窪の町から今から行く青崩峠の方を望む。


水窪の外れ大原に着くと、またまた知り合いが。昔働いていたユニバンスでの知り合いだ。

カシ兄「なんだっちゃいや!どこ~行くダ~!」

 私 「遠山、神楽の湯に浸かりビールョ(^^)」

 私 「丁度いいとこにいた。シュウ兄の家はどこだいネ」

カシ兄「あそこの軽が止まっている家ヨ」

シュウ兄は、私の故郷「横吹(よこぶき)」のひとで、マサミ君の携帯番号を教えてもらった。

ここからは上り坂、浜松市最北端の店「はくりや」までは頑張って走ろう。

「はくりや」でパンと飲み物、ヒル対策の塩を買う。

ここからはパンを食べながら歩きになってくる。

ミナの里、西浦小学校が左手の上に見える。

西浦を歩いていると・・・・・第一町人発見!!

ユニバンス時代の仕事仲間、タツ兄。

家の前の広大な空き地でトラロープをまとめていた。

 私 「何やってるダイネ」

タツ兄「ミナの里での駐車場ヨ」

 私 「うまいチャイネ、駐車場で丸儲けだね~」

タツ兄「ダメだわいや、あんなもの。小学校でも羊を飼うみたいだが、昔はオラも勝手に入れただが今は・・・・・」

 私 「佐久間より良いじゃんかいね。佐久間はダメだ!水窪がうらやましいゾ~」

タツ兄「佐久間の方がまだいい。水窪はダメだワイヤ~!」

タツ兄「今にロケットが飛んできてみんなコロっとだワイヤ~」

 私 「ロケット?・・・・北朝鮮かいね」

 私 「まあ、生きてるうちに色んなことやるゾ~。じゃあネ~」

タツ兄「気を付けて行けよ。クマに」

そんなような会話をして先を急いだ。

途中島で青崩れの方に進む。

青崩峠で記念写真。



少し戻って、兵越峠に行く遊歩道を進む。


兵越峠からひたすら峠を下る。

このたの村に出る。

農作業の人とお話し、この人は網に囲まれた畑の中で農作業・・・??

答えは村を下って行ったら分かった。

ある家の屋根に野生のサルが遊んでいた、サルよけの網をまたいで悠々としているではないか。

田舎のこれが現実、人が少なくなり、野生動物がはびこっている。

たまに来て、景色が良いですね・・・・などと簡単には言えないような感じになった。


 

遠山郷に到着。


 

神楽の湯 に浸かり疲れを癒す。

温泉を出て、ビールで一人で乾杯。

宿に着き、睡眠。

次の日、朝5時半から平岡駅に向かって歩き出す。

狭い国道も、ところどころ新しい道が出来ていた。



 

平岡の町には町営のガソリンスタンドが駅横に作られていた。

以前、新聞で知った、あのスタンドだ。

平岡駅に着き、9時56分の電車で佐久間に帰った。

とても有意義な二日間ありがとう。家に帰って今度は家のことをやらないと。

家庭菜園の畑仕事に汗を流す(^^)

 

 

 

 

 

 

 


 

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「たつやま凸凹マラニック」 が終ってから・・・・・しばらくたって、○井さんから電話がかかってきた。


その時、龍山を一緒に走った人から・・・コース上に山菜のタラの芽が沢山あったと聞いての電話だった。


以前、阿多古での「お花見マラニック」の時に、タラの芽をいっぱい採って・・・これを肴に一杯やるのだと言っていた。


自然に生えているものだとはいえ、そこにはその土地の所有者がいるわけだし・・・・・・・・。


春に行う山でのマラニックは、走るついでの山菜摘みが楽しみかもしれないが、私のマラニックの趣旨には合わないので・・・・・・・・・・・これからはキッパリと断るようにしよう。

 

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今日、家に帰ったら「強右衛門 戦国街道ラン」の開催要項が入った封筒がポストにあった。この大会は、愛知県の東側、新城市の「新城強右衛門俱楽部」が行っている大会だ。

「強右衛門 戦国街道ラン」とは 戦国時代に長篠城を脱出して岡崎城まで援軍を要請に行った鳥居強右衛門(とりいすねえもん)が、走ったコース(65km)を現代のランナーが走る!!ウルトラマラソンなのです。

「鳥居強右衛門」をもっと知りたい方は下の動画を見てネ。


鳥居強右衛門(とりいすねえもん)物語 YouTube


鳥居強右衛門 勝商 ニコニコ動画

戦国時代の武士、鳥居強右衛門は長篠城から脱出し岡崎城へ援軍を頼みに走った。

時代は変わり、今は走る事を趣味のする人たちが・・・・・岡崎城から新城市の長篠城址で行われているお祭り

長篠の戦いで戦死した両軍の将士の霊を慰めるために、定紋入りのぼりを数千本献植して行う祭り。

その「長篠合戦のぼりまつり」の会場へ走っていくのである。
お祭りも、走る事も、今の平和なこの時代のまえには・・・・・・・・こんな先人たちの生き方があったのです (>_<)

今年の開催で17回目になるこの大会、私は一回だけ病気で参加できなかった。

今年も参加しよう。「強右衛門 戦国街道ラン」65km(^^)
 

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今年は桜の花の開花が早まり、昨日は龍山町の秋葉ダム湖畔の桜は満開だった。

龍山のお風呂「やすらぎの湯」の駐車場の荘川桜も満開、私たちランナーはスタート前に集合写真を一枚撮った。

 

その後、9時10分にスタート。

秋葉ダム桜マラソンのコースを走り最初に見えてくる「峰の沢橋」歩行者専用の吊り橋を渡り国道152号線に、そこを少し北上すると左側に「青谷」の集落に上る道路が出てくる・・・・そこを行くのだ。

青谷の集落から大庭の集落までは比較的平坦な道、大庭の集落を上り、龍山町の絶景ポイント「不動の滝」に到着。

 


「不動の滝」から寺尾の集落へ、ここは毎年6月の第一日曜日にブカ凧を上げるという。

ブカ凧とは、浜松の凧揚げと同じように子供が生まれた節句の祝に上げるのだそうだ。

詳しくは「浜松田舎暮らし」イベント情報↓を
http://www.hamamatsu-inaka.com/event-sejiribukadakoage.html


寺尾の観光トイレで休憩、眼下に雄大に流れる天竜川が見える。

 


ここからは瀬尻の町までず~っと下る。

瀬尻橋を渡り、秋葉ダム桜マラソンの20kmの後半のコース沿いを走る。

大輪橋が見えると、上平山に上る道が出てくる。そこをまたまた上るのだ。

上平山の集落を上りきると、上平山を横切るように道がある。

 

 

お茶が綺麗に剪定してあり、川向うには午前中に走った道が見える。

下平山の「農村学校」で休憩、ここからゴールである「やすらぎの湯」まではもうすぐだ。

やすらぎの湯、荘川桜前に着いたのが16時、6時間50分。

 


やすらぎの湯のお風呂に入り、ここの休憩所で慰労会が始まる。

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今日は二か月前から計画していた「たつやま凸凹マラニック」の日だ、週間天気予報では二日前まで土曜日は雨降りのマークだったのが今日は何とか雨は降っていない。

曇り空だけど、走るには丁度いいかも。

走るのも楽しみだけど・・・・・荘川桜の花見も走り終わってからある、それも楽しみ(^^)

持ち物
オニギリ・缶ビール・お菓子・スポードリンク・着替え・その他

それでは集合場所の龍山「やすらぎの湯」の駐車場に行って来ま~ス。

小学生が遠足に行く時の気分だ(((o(^。^")o)))ワクワク

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ここ(北遠)にいて、出来ること・・・・・。
自分が出来ること・・・・・・・・・・・・。

浜松市の北の果て、北遠・・・・・・ここは自然がいっぱいだ。
自分は走る事が好きだ・・・・・・ここ(北遠)マラニックをして町の人に北遠の景色のいいとこを紹介しよう。


「たつやま凸凹マラニック」とは、浜松市龍山町の秋葉ダム湖の両岸の村、瀬尻や上平山(ここは佐久間町)下平山を巡るマラニックなのだ。

秋葉ダムの両岸と言っても・・・・ピンの来ないかもしれない・・・下の高表を見てください。

秋葉ダム湖岸にある"やすらぎの湯"をスタートし、峰之沢橋を渡り、そから山登り天空の斜面部落えと登っていくのだ、青谷・大庭・寺尾の村を巡るのだ。

青谷にある観光トイレから見る景色は・・・・・・それはもう眼下に天竜川が流れ素晴らしい景色なのである。

ここを下り、瀬尻橋を渡り、上平山・下平山の村を走っていく約38kmのマラニックなのだ。

とってもおススメなので、是非・・・ここ北遠に走りに「たつやま凸凹マラニック」来てください(^^)/ 

「たつやま凸凹マラニック」
3月30日(土)
龍山やすらぎの湯 八時半集合、九時スタート。

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毎年、ヒロボーさん企画の「佐久間・・・しし鍋マラニック」今回は16名の参加者が佐久間に来てくれた。

東は東京都、西は兵庫県、大変ありがたいことだ。


八丁坂を登り切り、瀬戸の所からの写真、ここから塩の道となる。

 
ほうじ峠、「伝承館」でソバを食べ、記念写真。

 
無事に32㎞走り、この後は、お待ちかねの・・・・・・しし鍋を食べながらの懇親会になったのでした(^^)

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昨日は、「佐久間しし鍋マラニック」だった。

走り終わって伊藤さんの別宅で、しし鍋を囲んでの懇親会があり下川合に泊まることになる。
パソコンでのブログ更新が出来ないのでスマホで簡単なブログの記事を書こうと思っていたが・・・・・伊藤さんの別宅ではドコモの電波が届いていたかった(TT)
残念!!

「佐久間しし鍋マラニック」での様子は、とっちーさんのブログで見てください。
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/2a27e24e06aac915704375c6138a5691?st=0

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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