昨日は水窪の山に行ってきた。
それは、水窪町で毎年秋にやっている商工会のイベント「峠の綱引き」に合わせてマラニックができないものかと、豊橋のヨッピーさんを誘いコースの下見をしたのだ。
コースは、水窪駅~西浦~青崩峠~兵越峠~遠山~平岡駅まで。
予定としては
水窪駅(8:30)青崩峠(10:30) 兵越峠(12;00)遠山(13:30)平岡駅(15:30)だったが。
今回は
水窪駅(8:15)青崩峠(11:50) 兵越峠(12;50)遠山(15:00)今回はここで終わり。
遠山の道の駅(神楽の湯)で温泉に入り、遠山を16時15分のバスで平岡駅まで行く。
平岡駅を17時35分の飯田線に乗り、中部天竜に18時21分着ので帰ってきた。
「峠の綱引きマラニック」は来年の10月最後の日曜日に予定している。
今回の試走から、もっと早く水窪駅を走り始めたほうがいいと思う。
中部天竜駅を6時17分、水窪駅に6時35分着の飯田線がある。
余裕を持って、水窪を7時に出発。
兵越峠では11時頃から綱引きのイベントが始まる。
12時から、遠州軍と信州軍の本番が始まるという。
前日、佐久間に宿泊してもらい、佐久間から中部天竜駅まで行き、そこで始発に乗って水窪に行き。
余裕も持って兵越峠を登っていくようにしようと思っている。
今回の試走の写真
(クリックすると大きくなります)
今回、峠ではミゾレ混じりの雨で寒かった(^^)
10月の連休を利用し「第二回 ぐるっと浜名湖一周マラニック」に参加するため「浜名湖弁天島温泉 ファミリーホテル開春楼」に行ってきた。
「 マラニック」という言葉は「マラソン」と「ピクニック」を結びつけた造語、このマラニックは浜名湖をぐるっと一周100kmを走るマラニックだ。
その「第二回 ぐるっと浜名湖一周マラニック」の動画を作ったので見てほしい。
このマラニックは、私のラン友(ヒロボー)が企画している。
そして、そのヒロボーさんに協力してくれる仲間がスタッフとしてマラニックをお手伝している。
スタッフも走る人たちも、こんな感じのマラニックに参加できて本当に幸せだと思う。
走る事も、ボランティアも楽しんじゃう。
まさに、手作りのマラニックなのだ。
好きなことは、大変な事でも楽しく感じる。
佐久間での地域でのボランティア・・・楽しくやるのが基本かナ(^^)
静岡県の西、浜松市と湖西市にまたがる湖、浜名湖。
明日はその「浜名湖」を ぐるっと一周するマラニックに参加する。
私は・・・若き頃、佐久間町の山奥から就職した先が、浜名湖の西側にある湖西市鷲津だった。
そこの富○鐡工所という会社に就職。
そこの会社で飲み会のとき先輩が歌っていた歌
「わ~しずの駅をひがしむき♪・・・・どんどん歩くと見えてくる~♪」
湖西市で独身時代をすごし、結婚して新居町に住んだ。
そこは、今回のマラニックの最終エイド近くの所だ。
明日は、自分の青春時代の思い出がいっぱい詰まった浜名湖を ぐるっと一周するウルトラマラソンに二回目の挑戦。
佐久間町が合併し浜松市になり、ウルトラマラソンを走る仲間と出会い、去年の春 私52歳のとき「チャレンジ富士五湖」で100kmの世界を知った。
フルマラソン(42・195km)でも辛い道のりなのに、その倍以上の距離を走る「ぐるっと浜名湖一周100kmウルトラ・マラニック」
東進ハイスクール 林修先生の言葉
いつやるか・・・・? 今でしょ!
今、やっていることが、いつかは思い出になる。
明日は、まる一日かけて100kmを走る。
私、53歳・・・・・・・・青春は今なお続いている^^;
石巻登山マラソンは、昔 私が走りはじめた頃、雑誌ランナーズで紹介されていたのを覚えている。
もう15年以上前になるだろうか。
そのときは こんな大会もあるのだな~と思っていたのだが、。
この大会を主催している人が亡くなり、途絶えていた石巻登山マラソンを復活し今では「有志による・・・石巻登山マラソン」になったそうだ。
今回はその「有志による・・・石巻登山マラソン」15kmを走ってきた。
出発地点は豊橋市の石巻山の麓、ここから比較的平坦な道路を走り同じところに帰ってきて石巻山を上る登山マラソンになるコースだ。
石巻山を上りきると、林道を多米峠の方へ走っていく、このころになると前後には誰もいなく一人での走りとなる。
折り返し地点でのゲートで証拠写真。
その後、軽快に来た道を戻り、石巻山の下りもルンルン、折り返し地点でも・・・・・証拠写真。
後は、この激坂を上るだかだが・・・・とても走って上れなかった。
ダメだな~。
1時間39分でゴール。
この登山マラソンは、ゴール後の慰労会が良いという。
ビールを飲んで、色々な人に出会い良い思い出になった。
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来年は、このコース、歩かずに最後まで走り切ってゴールしたいものだ。
浜松の駅の南口を金曜日の夜9時から走りはじめて、天竜の山東のサークルKには着いた頃は12時28分だった。
そこで3人のランナーと休憩していると、他の二人が ( ̄△ ̄;)エッ・・? ・・・・・サポートの車に乗ろうかな~っと言う雰囲気に 。
私は急いで走りはじめ、先を行くランナーを目指した。
これからの真っ暗な道程・・・・・一人きりでは・・・・・心細い・・・のだ。
前を行く、鍔○さんに追い突き、一緒に走る。
横山の橋あたりに来るころ、お腹の調子が悪くなり・・・・・・それから秋葉ダムまでは苦しい走りだった。
秋葉ダムには3時17分。
○本さんのエイドでお粥をもらい、河○さんと一緒に真っ暗な秋葉ダム湖岸を歩き出す。
西渡(にしど)のエイドで素麺をいただき。待っていた佐久間中学校時代の同級生と八丁坂を登る。
人のいないところは歩き、国道に出ると走る・・・・・そんな感じだった。
100kmを走る間には、色々な事があった。
真っ暗な道を走っているとホタルが現れたり、雨が降って来たり、獣がいるのか草むらでガサガサ音がしたり。
西浦のエイド「はくりや」では、こんな看板があった、店の人が書いてくれたのであろう。
ヒロボーさんと二人、兵越峠を目出し歩いた。
ヒロボーさんが、草木トンネルの入り口で休憩するというので、私はヒロボーさんと別れ、一人兵越峠に向かった。
草木トンネルは涼しかったので走った。
トンネルを抜け、山の駅で空になったペットボトルに水を入れ、そのまま峠を目指した。
やっと着いた兵越峠、ここからは下るだけだ。
このた の村に行くと畑で働いている人に手を振った。
国道まで下り、三遠南信の工事関係の資材置き場の自動販売機で飲み物を買う。
残りわずかの道程のため自分の体にエネルギーを補給。
和田のバイパスに入り、残り一㌔。遠山郷の道の駅に到着したのは14時25分。
温泉に入り、食堂の大広場で生ビール大で乾杯だ。
ラン友で知り合った植松○さんと写真を撮った。
一期一会。
今回、走っていて色々な事があったな~。
今回、三回目の「夢街道」自分の走ってきた道程に一輪でも二輪でも花が咲いてくれたら嬉しいな。
PS
城西付近を走っていて、一緒に走っていたランナーが、春に花咲く二輪草の話をした。
ここを野田方面に行くと・・・その二輪草の群生地があるので、私は興味深く耳を傾けた。
ランナー :「二輪草とは一本の花茎の先に、普通二個の白花をつけるから二輪草という」
ランナー : 「たまに一個の白い花の時もある、これを一輪草という」
ランナー : 「また、たまに三個の白い花の時があるのだか、なんというのでしょうか?」
私 :「三輪草」
ランナー:「ちがう・・・・・不倫草」
私 :「・・・・・・・・・」
おわとが宜しいようで (∩_∩;)P 白旗~!
今年は17名のランナーが参加してくれた「夢街道100km」
佐久間中学校時代の同級生も私のブログを見て駆けつけてくれたのにはビックリした。
走る前の集合写真は、同級生に写してもらった。
浜松駅を出て、ザザの交差点から152号線を北上し、次の市役所手前の交差点の地下道に集団で入り、集団で抜け、その集団について行った。
何も考えずに。
しばらく行くと少し上り坂になっていることに気付く・・・・?
そう、コースを間違えたことに。
地下道に入って地下道を抜けたとこれで、国道152号線に交差している道路を西に進んでいたのだった。
誰がいたかな~。4・5人くらいは間違えた集団にいたっけな~。
来た道を戻り、国道152号線(飛竜街道)を北上、浜松市役所・ホテルコンコルドの前を走ってただただ真っ直ぐ北へ北へ走るのだ。
浜北の 「新原ローソン」CP-1
浜北の 「ボー君家」ここで○本さんが特別エイド
天竜の 「山東サークルK」CP-2
龍山の 「秋葉ダム」ここで○本さんの特別エイド(お粥が美味しかった)
佐久間の「西渡」伊藤さんの特別エイド(そうめん・肉じゃが、美味しゅうございまいました。)
八丁坂を上り、少し下った塩の道遊歩道入り口の家の人が「来年はここもチェックポイントしよ、お茶ぐらい出すで」と言ってくれた。
水窪町手前で、○木さんがサプライズのエイド。いなりずし・塩おむすび・手作りパン・・・・・疲れた足のマッサージも・・・・・すべてサプライズでした。
水窪町入口の交差点を水窪商店街の方に進む。
昔、わたしが子供のころ見た町は、もっとたくさんの人がいたのだか今は大分寂しくなってきた水窪の町並み。
何方の家の前でしょうか、、、、コンクリートの割れ目から咲く草花が印象的だった。
水窪の町を抜け、上り坂がだんだんきつくなる途中に浜松市最北端の酒屋「はくりや」ここに着いたのが10時半。
ここでトマトを食べ生き返る。
近○さんが「この時間だと遠山には4時だな~」とつぶやいた。
4時・・・・。
これはいけない、こんなにゆっくりしていては、ここからは少し急いで走る事にする。
去年のゴール時間は2時25分だ・・・・・せめてその時間までには。
兵越峠を越えるまでは早足、下りは「このた」の分岐までは走った。
「このた」を下り、国道152号線を走り、2時半までにはとの思い頑張って走った。
道の駅「遠山郷」の看板が見え、やっとゴールした。
振り返り、今来た道に頭を垂れ一礼。
遠山郷観光協会「アンバマイカン」のカウンターにある記録表には14時25分と書く。
お疲れ様でした。
今回で三回目になる「夢街道」 一回目は青崩峠を越えての90kmだった。
去年は、靑崩峠の長野県側が深層崩壊の恐れがあると連絡が来てコース変更、遠回りの「兵越峠」を越して遠山郷に向かった。距離も100kmになった。
人が100kmを走る
走らない人には・・・・・想像がつかない距離なのかもしれない。
どうしてそのようなことをやるのか・・・・・?
そう思うかもしれない。
私は佐久間町に生まれ、佐久間町に今住んでいる。
合併して大きくなった浜松市を走りたいと思い走った。そして仲間にもそのコースを走ってもらおうと思った。
ただそれだけ。
人生いろいろ、人の考えも皆違う。
自分の考え方も、若いころとは変わってきた。
今は、このマラニックが楽しいだけだ。
大きくなった新浜松市を縦断する。
そして、その浜松市を突き抜け、長野県の遠山郷に行く。
若いころには考え付かなかった自分になっている。
走る事は人生に例えられる。
まさにその通り。
移りゆく景色、時の流れ、ゆっくりでも歩みを進めていれば必ずゴールがやってくる。
長距離は楽しい。ゆっくり走るマラニックは本当~に楽しい。
わかんないかな~ \(?。?")ホントニ・・・
昨日、遠山郷の人から電話が来た。
「○野さんが今日、遠山に来たョ」
水窪から歩いたり走ったりしながら兵越峠を越え遠山郷に行ったそうだ。
水窪町はその昔、秋葉街道の宿場町として栄えた町だ。
水窪も佐久間町も浜松市に合併し、今は過疎化が進んで・・・住んでいる人が「こんなとこ住んでいるより浜北あたり行った方が良い」そんな考えが蔓延している。
そんな、過疎の街に住んでいるものとして私は・・・・寂しさを感じる。
今は、世の中、健康ブームでジョギングをする人の増加は目を見張る、あの東京マラソンは3万人募集のところ30万人もの応募者が集まるそうだ。
ウルトラマラソンの愛好者も益々増えているという。
浜松駅から遠山郷まで、八丁坂・兵越峠を越え行くとちょうど100㎞ある。
写真は青崩れ。
世の中、魅力的なウルトラマラソンがたくさんある、その練習に、このコースを使ってくれると嬉しい。
浜松から遠山郷、この道が走ったり歩いたりする人が増え、昔のように賑わいが出てくることを願っている。
小学校のころ学校の先生から、他県の人との文通をしようとの提案があり・・・・・どこの県の人だったか手紙が届いた。
「静岡県の小学校なら富士山が見えますか?」そんなことが書いてあったような気がする。
佐久間町の奥の奥に住んでいた私は富士山はまだ見たことが無かった。
働くようになり、東名高速道路を車で走っていると雄大な富士山を見て、感動した。
18歳のときか会社の先輩と、初めて登った富士山。
日本一高い山を登るのでと思い、食料・飲み物をたくさん買い込み冨士山に向かったが、山頂に自動販売機があって愕然とした。
月日は流れ、私・・・・・46歳の年、走る仲間から「富士登山競争」の誘いが来た。
山梨県の富士吉田市の役所から、すぐそこに富士山は大きくそびえる。
「あそこの山頂まで行くのだ」
見上げる富士山の八合目の山小屋が光って見えた。
そして52歳の夏、田子の浦港から富士山頂を目指すマラニック「富士山頂往復マラニック」を走ったのだった。
富士山往復を企画している人が、富士山を一周しようという話が来て、そのマラニックにも参加した。
写真はその「ぐるっと富士山一周下見マラニック」の時に撮影した写真。
そんな富士山が世界遺産になり、益々・・・・この富士山に登る人が増えるだろうと警戒されている。
「弾丸登山」の自粛要望が出るようになった。
これから・・・・・・富士山・・・・どうなっていくのだろうか。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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