特別養護老人ホーム
さくまの里
の、敬老会だった。
ひと言の挨拶を、ということで、それなりに上がった
ドキドキ
あいさつ文の中の
皆様は、激動の昭和の時代を乗り越えてられ、こんにちの日本の発展にご尽力されました。
皆様の御労苦に少しでも報いるために、家族会として贈り物です。
昭和の時代は
そう、戦争があった。
今日、表彰された人たちは、戦争が終わり、日本が焼け野原で、なんにもない時代を生きてきたんだ
百田尚樹の「永遠の0」を読んだ。
百田尚樹の「海賊とよばれた男」を読んだ。
わたしは
昭和35年、城西地区の横吹(よこぶき)で生まれ育った。
当時は、子どもたちもたくさんいて賑やかだった。
湖西市に働きに出て、新居町で家族に恵まれ
29歳の春、横吹に帰ってきた。
次の年
村道が自分の家まで来るのは不可能な村を捨て
半場に引っ越した。
平成一年の春
自分の暮らすところは
城西地区から佐久間地区になった。
今日の
さくまの里
敬老会
城西地区の女性団体が銭太鼓を披露してくれた。
小さなときお世話になっていた人の顔が輝いて見えた。
モチロン
ラウンジ富美 チーママの熱唱にも
感動した(^O^)/
初めて参加した敬老会
昭和の時代が去り、今は平成の時代。
何時までも、この平和な世界が続くように、今を生きる人たちは便利ばかりを求めるのではなく、
立ち止まり、ちょっと不便だけど楽しい。温かい世界。
に、 進んでいこう。そのようにしなければ。。。
佐久間にはコンビニは無いけど、そんな温かさがある地域だ(#^.^#)
byしんしん
毎年、水窪祭りは遠山の
チャレンジマラニックin遠山郷
の開催日と重なってしまう。
去年は、遠山に行く前に
その水窪祭りの仮装を見学してから遠山に行った。。。
去年のブログ
遠山郷に行く前に。。。
今年は何故か
遠山のマラニックと、水窪の水窪祭り。
日程が重ならなかった。
浜松市の山奥、佐久間町の隅っこ
横吹(よこぶき)い生まれて、水窪祭りには何回も行ったことがあるが、夜の屋台は見たことがいまだにない。。。
一回ぐらいこの目て見たいと思い。
夜の水窪祭りを見に行こうと呼びかけた。
仮装行列 10:00~14:00
屋台引き回し 16:30~21:00
その他 花火打ち上げもある。
何人の人が集まってくれるだろうか。
今から楽しみだ。。。
毎週日曜日のあさ7時30分から8時00分まで
TBSテレビでの
がっちりマンデー
が面白い。
今回は
「地上ビジネス」だった。
一つ目は
株式会社ルナサンド
砂でのビジネス
競馬場やゴルフ場に良質な砂を提供している
二つ目は
株式会社ダイクレ
グレーチングを造っている会社の話だ。
普段は見過ごしがちの、道路の側溝にある網目の蓋、グレーチング。
様々なアイデアがあることを、この番組で知った。
溶接がしやすいように、また歩く人が滑りにくいように工夫して製品づくりをしている。
また、面白かったのは
シカ、など獣よけになるグレーチングがあるということだ。
犬の散歩をしているときに、その飼い犬がグレーチングのあるところを嫌って歩かないところをヒントにして
獣の被害再策に役立つグレーチングを開発したそうだ。
獣対策 グレーチングで検索したら
株式会社赤城商会
http://www.akagi-sk.co.jp/newsandtopics/info/kiji1272/
がヒットした。
佐久間だけでなく、獣が多く出て困っている地域は日本全国たくさんあるのだナ~。。。
三つ目は
コケでのビジネス
株式会社モス山形
工場には「工場立地法」という国で定められた法律があり、「敷地内の面積に対して一定の緑地を整備しなければいけない」という旨の決まりがあるそう。
そこで、屋上緑化。
屋上と言わずに壁面にも貼り付けられる「コケ緑化しシステム」が大活躍という話だ。
また、中間山地の過疎化で、耕作放棄地が増えている。
そんな耕作放棄地を利用しての産業。
番組で社長は
「そんな産業が増え過疎かで悩む地域に活力が出ればいい」
と話していた。
そこで
佐久間はアワビでガッチリだ!!!
おー。。。
の話
この話は、二年前、静岡新聞で知った。
丁度、その年は
佐久間の観光協会とNPOがんばらまいか佐久間が
手を結び一緒にやろうか、そんな話が囁かれた年でもあった。
そんな話も
その年、私が初めて行った佐久間観光協会の総会の副会長の最後の挨拶で
もろくも崩れ去った。。。。
また
佐久間町で、民話の郷会館でSummerLIVEをやろうという話も
この年にあった。
そのときの私のブログ
8月10日佐久間民話の里ライブ
いろいろな事があった
2014年
遠山郷では温泉があり、塩分を含んだ温泉だ
その温泉水を使用してトラフグの養殖をやっている。
http://minamishinshu.jp/news/local/%E3%80%8C%E6%B8%A9%E6%B3%89%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%B0%E3%80%8D%E3%80%80%E9%81%A0%E5%B1%B1%E9%83%B7%E3%81%A7%E9%A4%8A%E6%AE%96%E3%80%81%E9%A3%AF%E7%94%B0%E3%81%A7%E8%A9%A6%E9%A3%9F%E4%BC%9A.html
地域の話題
2012年 4月 26日
佐久間ではアワビ
如何して、アワビ?
そんなことを思ってもいたが、始まったこと、陰ながら見守っていこうと思っている。
椋鳩十の遠山郷に残した言葉の碑がある。
遠山郷は、星のきれいな里、河のきれいな里、人の心の美しい里である
この碑がある遠山郷のお寺は
龍淵寺(りゅうえんじ)
ここの和尚様は
龍渕寺・青龍寺だより
なるものを書いている。
今回
8月号no911
お盆はご先祖からいただいた
いのちの感謝デー
ブログに残しておこうと思う。
私たちはひとりひとりでは生きていけません。
人と人、人と社会、人と物とが関わって生きています。
とりわけ人は、人を必要としています。
今、ここに生きている「あなた」や「私」のいのちは作られたものではありません。
ご先祖のいのちのバトンタッチによって授けていただいたいのちです。
かけがえのない二度とない人生の尊いいのちです。
このいのちをいただいたあなた、そして私ですから、お互いがお互いを必要としていることを理解し合って生きていかねばなりません。
そう考えると、お盆はご先祖からいただいた”いのち”の感謝デーなのです。
そしてお盆は「人は人を必要としている」ということを改めて考えるひとときでもあります。
「供養」という字を分解すると、人と共に養うと読むことができます。つまり私たちは一人ではなく、いつも誰かに関わっているのですから、私とあなた、或いは亡き人と今を生きている私が、共に心の力を養う日々こそが、お盆なのです。
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いまここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それが
わたしのいのちです
原文まま。
アリガトウの反対語はアタリマエだという。
アリガトウ(有難し)
あることは難しい、まれである。
まれでないこと
あって当然、「アタリマエ」
アタリマエの事なぞ何もない。
ご先祖からいただいた大切な命
これからどのように生きようか。
byしんしん
何時もはマラニックで、お世話になっている
遠山郷へ、今回は観光で、、、行ってみた。
水窪にも用事があったので、、、。
佐久間から水窪まで約1時間
本町で用事を済まし、ココから兵越峠を越え、遠山郷に、、、、。
国道152号線
ここの峠越えは、国道とは思えないほどの狭さ。
対向車が来ると大変(≧▽≦)
峠を越え、このたの集落、ココの目の前にある山の絶壁は秋になると紅葉が素晴らしい所だ。
集落を下り、遠山郷のバイパスに出る。
遠山郷の集落
和田地区と木沢地区を結ぶバイパス
小道木バイパス、
橋梁2橋、トンネル2箇所を整備することにより、両地区間の距離を半分になったそうだ。
目指すは
下栗の里、日本のチロル、日本の田舎の原風景。
それと、、、。
2年前、ここ下栗の里を
チャレンジマラニックin遠山郷
で、走った時に、写真を撮ったお食事処「いっ福」のオバサン(お姉さん)に会いに行こうと思ったからだ(^O^)/
そのときの動画↓↓↓↓
店に入り、うどんを注文
そんな話をしながら、昼食タイム。
店を出て、半場亭に向かい、ココに車を置いて、下栗の里ビユーポイントに向かう。
そこで、下栗の里全風景を、、、。
引越しのサカイ
コマーシャルでの場面を思い出す。。。
車の置いてある半場亭に戻り、しらびそ高原に行こうか如何しようか?
悩んだ末、
今日の観光は遠山郷、向かうところを木沢小学校と決めた(*^^)v
旧木沢小学校(昭和を感じる木造校舎)
http://tohyamago.com/kankou/kizawa/index.php
10年前、
チャレンジマラニックin遠山郷
は、ココのグランドからスタートした。
思い出の小学校だ。
玄関には猫校長タカネちゃんがお昼寝をしていた(^O^)/
ぐるっと校舎内を見学し、つぎはスイーツを食したい。と思い
遠山郷土館 和田城内にある「カフェ和田城」でシフォンケーキとコヒー。
しばし歓談
イップク(^。^)y-.。o○
次は
隣のお寺「龍淵寺」(りゅうえんじ)へ
ココにある
椋鳩十の遠山郷に残した言葉の碑がある。
遠山郷は、星のきれいな里、河のきれいな里、人の心の美しい里である
マラニックの第二回のときだっけ、Tシャツにプリントされていたっけな~。。。。
「龍淵寺」には観音冷水という水が湧き出ている。
そこでイッパイ、水を飲む。
そこに置いてある
「龍淵寺」の和尚様の書いた広報を頂く。
車に戻り、よいよ神楽の湯に、、、、。
どぼ~ん。。。あ~いい湯だ。
宴会場では何やら歌手が来て大騒ぎだ。
私が佐久間に帰ってきた28年前
家族で遠山郷に初めて来たときには、そのとき思った印象は。
「こんなところにも人が暮らしているのだナ~」
正直、そんな感じだった。
それが、10年前、遠山郷でマラニックが始まり。
今まで10年間、遠山郷に通い、遠山郷に人に知り合い、話をして酒を飲んで、遠山郷の移り変わりをこの目で見てきた。
そして自分なりに感じたことがある。
自分なりに何かを感じ、これからの生き方を決め、今の自分がある。
今年
2016年
チャレンジマラニックin遠山郷
は、第10回記念大会。
おもっきり楽しまなければ(^O^)/
byしんしん
受賞者に聞いてみた。
7月30日静岡新聞・中日新聞、に記載されていた高齢者叙勲
私が暮らす佐久間町の人がいたので様々なことを聞いてみたのだ。
その人は今、私が働いているところの隣「上島キャンプ場」で管理人をしている。
Q・どうしてこの勲章を頂くことになったのか?
A・上島キャンプ場の管理をする前、佐久間町の町会議員をやっていた、そのときの働きが認められたのだろう。
上島キャンプ場
それは、キャンプ場としてゴルフ場として、今、佐久間町のゴルフ好きグランドゴルフ好きの人が集まる社交の場となっている。
その、キャンプ場、みんなが集まって楽しむ場所は、そこを管理している○山さんの様々な尽力があったこそ今佐久間にあるのだ。
その事を何も知らない人は
天竜川の河川を不法利用しているのでは?
と、そのように見ている人が多くいる、それが現実である。
私も昔はそのように思ったときもある。が今は違う。
河川利用許可書もシッカリ管理等に掲示してある。
高齢者叙勲
さまざまな事情で叙勲されずに高齢になってしまった人を対象にした叙勲
米寿のお祝いも兼ねている勲章
その○山さん88歳は戦争のときは東京で大学の寮にいたそうだ。
16歳で終戦を迎え、佐久間に帰ってきた。
佐久間町中部は終戦後、王子製紙本社があり紙を製造していた海外の人が数人いたそうだ。
昭和29年佐久間ダム建設が始まり、この時も外国人の技師が多く佐久間に来て働いていた、○山さんはその人たちに肉を売るために肉屋の仕事を始めたそうだ。
佐久間は全盛期26000人の人がいた。中部の街には青い目の人が多く歩いていたのだ。
そんな海外の人の暮らし繰りを目の当たりに見ていた○山さんは中部の人たちは
これからの子供たちには学力を付けさせること、そのように思ったらしい。
そして今、○山さん88歳は、健康で働けることに感謝し、夫婦で上島キャンプ場の除草に悪戦苦闘している。
昭和一けた生まれ。
小学校のときには修身の授業を受けた人だ。
誇りを持って生きている。
誇り→プライド
ココに越してきて28年。。。
佐久間町に帰って来て29年、、、。
私、27歳の時に、湖西市の会社(フジユニバンス)で働いているときに。
佐久間町に暮している父親から電話が来て
「横吹(よこぶき)には道路はできない。どこか便利のいいところに引っ越したい」
そんなふうに言われた。
横吹とは飯田線で相月駅を降りた先にある山の斜面に点在する斜面集落だ。
日本の生活様式が便利になり山の上の生活でも電気が来てガスが来て、と便利になってきた。
が、車を買っても、道路がないため、家の前までにはマイカーが来ることは無かった村、横吹。。。
「どうせ引っ越すなら湖西市に来いよ!!
浜名湖はあるし、海釣りは楽しいゾ~」
そんなことを言ったが、親父の心は揺れていた。。。。
たぶん。
あるときは、街に出る。またある時は、佐久間を離れたくない。
横吹で生まれ横吹で育った父親だから、他の地域に出ていく事は一大の決心だっただろう。
そんな親父との電話での言葉
「少ないけど、先祖から受け継いだ財産(山)がある、佐久間からは出たくない」
そんな言葉で、私たち家族は新居町の雇用促進住宅から佐久間町の斜面集落「横吹」に越してきたのであった。
そしてフジユニバンス水窪事業所に親子で通い始めた。
城西駅前に親戚の家がある。
そこに、空いた土地があるので、親父と二人で清酒を持って訪ねた。
「土地を譲ってくれないか?」
その家の長男は
「兄弟が多いので、難しいナ~」
と、よい返事はなかった。
半場の土地は
その昔。
母親が、父親が豊橋に単身赴任で留守の時に、手に入れたと聞く。
横吹は南斜面で日当たりが良く温かだった。
半場は北斜面の、山を背負った日陰なところだった。
しかし、道路が近くまで来ていて店も村内にあり便利だと感じた。
そんな半場に、私たち家族は引っ越してきた平成元年春。
今年、28回目の半場の夏祭りを迎えた。
そんな私が、その半場の夏祭りの神楽の中にいた。
私、初めての神楽舞。
できる事なら、横吹で、そんな思いもある。
横吹は限界集落、生まれた村は荒れ放題、今の世の中、真っ暗闇ではござんせんか。。。
そんなとこ。。。
このままでいけば、日本が人口減少を食い止めない限り半場の神楽舞もイヅレハ無くなっていくのかもしれない。
だけど、そんなことを嘆いていてはいけない。
今自分にやれることを、自分なりにやっていくこと。
戦前の師範学校の先生
森信三先生の本
この本から学んだことだ。
半場のお祭り
初めての神楽舞。
神楽の中から見える景色は、遠く過去の人たちがのぞいた景色だ。
過去があるから現在がある。
今を大切に生き
未来につなげよう。。。。
少子高齢化社会
人口減少社会
それを科学技術で克服するのではなく自然の流れとして受け止める事。
長寿社会ばかり求めない、生きている時を次世代を担う人に受け継ぐ事。
子を産み育てることが当たり前の社会。。。
自分の事ばかりではなく
未来の事を自分なり考え、今を生きていく時代
byしんしん
前略 浜松市議会議員の皆様へ
浜松市の北の果て
佐久間町の一住民から、すこし お願いがあります。
橋 の事です。
原田橋
この橋は、その昔、佐久間町がまだ合併していない当時、国道として県の管理下にありました。
都道府県道水準の二等橋規格(活荷重9t)で設計されていたにもかかわらず、9t以上のトラックも通行していました。
そして平成の合併があり
山間の町、佐久間町は浜松市になり
原田橋、崩落事故
浜松市は、県の対応を責め。県は浜松市の対応を責め・・・・・。
色々書きたいですが
時間がないので
本題です。
今、浜松市として、北遠にかかる橋を点検修理しています。
ありがたいことです。
その中で、佐久間町大井にある大井橋の事です。
国道473号線と
国道152号線との交差点になるため、橋の上で信号待ちになるときがあります。
そのときに、トラックが二台三台と一緒に橋の上で信号待ちのときもありますが、その大井橋が揺れます。
北遠の橋を点検修理していただき、ありがたいことだとおもっていますが、今ある橋を長く使うためには、なるべく橋に負担をかけないようにしてほしいと思いましたので、ブログとして書いてみました。
2015年7月22日の静岡新聞
市議不在 届かぬ思い
そんな見出しでの記事が目に入ったので、、、。
もしかしたら届くと思い、書いてみました。
其々の選出地域での議員活動の忙しいところ、関係のない山間部の事ですが、、、、。
目にとめてくれたら嬉しく思います。
早々。
そうそう。
私は
佐久間地区体育協会
のメンバーとして
ボランティア
場所は
船明ダム横の運郷公園のグラウンド。
北遠が浜松市に合併する前は、ここのグラウンドをスタート・ゴールの
天竜杉の里マラソン
が、行われたいた。
そんな遥か昔を思い出し
懐かしく感じた。
開会式では
天竜区選出の浜松市市議会議員の先生の挨拶がある。
今年は、どんな挨拶があるのだろうか?
まずは
下阿多古出身の議員の先生
大変熱い中での戦いですが、無理に無いように実力を発揮してください・・・・・。
中略
優勝目指して頑張ってください。
と、熱い中選手の皆さんに気を使ったのか、たいへん短めな挨拶だった。
去年の挨拶だったっけ
この先生は、阿多古川の清流が多くの人が来ることによって汚れてくるのを
スポーツのマナーと観光客のマナーを上手に説明し
スポーツマンシップで頑張ってください
そんな風に挨拶をしていた
故郷を大切にしているそんな人柄が、私の心に残ったのを覚えている。
次は
天竜区熊出身の議員の先生
私も大きな声を出しますがトキドキ
皆さんも大きな声を出しながらほがらかにプレーをしていただきたいと思います。
この船明ダムですが、天竜川の最下流のダムで風光明媚なところでスポーツには最高の環境だと思います。
その後、自分が昔グドランドゴルフをした時の思い出話を面白く話してくれた。
聞いていた選手からも笑い声が漏れていた。
最後に
いずれにしても、あまりヒートアップしないように熱くなり過ぎないように、曇っていますが紫外線は強いものが差し込んでいますので帽子をシッカリ被って
テーブルにある塩をなめながら頑張っていただきたい。
本日はグランドゴルフ大会、おめでとうございます。頑張ってください。
流石、聴いていて小気味よく感じる挨拶だった。
次は
天竜区山東出身
1964年生まれの先生
若い議員さんの挨拶が聴けるのかと期待していたが
今回は無かった(残念)
その後
天竜区選出の三名の議員の先生方でグランドゴルフの始球式があり
大会が開催された。
湖西市から佐久間町に帰って来て29年
佐久間駅伝を走り、選手として参加してきた。
ある日、佐久間町体育協会の副会長が不治の病で大変だという噂を小耳にはさんだ。
そんな時に、役場の職員が、私の職場に来て
「体育協会に入ってほしい」
そのように言われ今日がある。
一日、炎天下の下、立っていたら、なんか熱中症?
そんな感じ。
走っている方が過酷な状態だけど、立っているだけの方がなんだか大変。
不思議だ。
byしんしん
徳島県那賀郡那賀町木頭
山奥の村
そこで柚子を使った村おこしの番組があった。
ユズで築く「黄金の村」
四国山地に抱かれたその村は、巨大ダム建設を巡り30年以上にわたり揺れた村だ。
村の産業が林業から建設業へと移行する中、ダムの恩恵に期待する声が大きかった頃
ダムに頼らないと村民が一丸となって村を守った。
頑張る黄金の村
FB
https://www.facebook.com/ogonnomura/
も
香川県観音寺市の街中プロジェクト「今宵もはじまりました」
https://www.facebook.com/koyoi541/
も
葉っぱで地域おこし
徳島県上勝町
株式会社いろどり
http://www.irodori.co.jp/
今
四国の地方が熱く燃えている(*^^)v
静岡県の山奥も
ガンバレ!!!
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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