私の愛読している書物の5月号に書いてあった。
鍵山秀三郎先生の(巻頭の言葉)
が気になったので、ココに残しておきたいと思います。
攀念痴(はんねんち)を持たない。
攀念痴(はんねんち)とは人を恨んだり憎んだりすること。
人を恨んだり、憎んだりしますと
そのことばかりが心に引っかかり、眠れなくなり
精神まで蝕まれます
その結果、自分のエネルギーをすべて
消耗することにもなります
つまるところ、「攀念智」を持つ人は不幸になるばかりです
「攀念智」を持たない 人生の極意だと思います
鍵山秀三郎
鍵山先生は
年商900億円を超えるカー用品販売会社、イエローハットの創業者です。
良樹細根
根が張れば自ずと木は育つ
という言葉が示す通り、些細なことをコツコツとやってきた人です。
その一つが掃除。
日本を美しくする会相談役「鍵山秀三郎」
その先生が
今の日本に警鐘を鳴らしています。
テレビで人の浮気報道で騒ぎ立てる人どもを見て。
地に落ちた日本人
攀念痴(はんねんち)を持たない。
人を恨んだり憎んだりしても、何もならない。
今ある物で、何とかやっていこう。
自分が出来る範囲で、工夫してやっていこう。
そんな気持ちでココで暮らしていこう。
そう思った。
byしんしん
本日、お昼12時、佐久間簡易郵便局から「夢街道90㎞」最終案内を送りました。
90㎞という長い距離を走る、何があるのか分からない。
色々な事を書きこんだ。
夢の道
人の道
こんな自分が、こんなことができるのは。
パソコンを始めプリンターなどの最新電化製品の発達があってこそだ。
山間部に暮していると、大変不便な事が多い。
A3用紙のコピーなど一昔前だったら出来なかった。
それがこれ
数年前に買ったプリンターEPSON px1600f
これが威力を発揮した。
不便なら不便なりに考える。
なんとかならないかと考える。
私の趣味
走ることと、自分の暮らす北遠に走る人を呼び込むこと。
何分、個人の趣味で、自分一人で考え悩み行っているマラニックです。
至らないところもありますが、お許しください。
byしんしん
一月は正月で酒が飲めるゾ~♪
酒が飲める飲めるゾ~♪酒が飲めるゾ~♪
二月は俺の誕生日で酒が飲めるゾ~♪
酒が飲める飲めるゾ~♪酒が飲めるゾ~♪
三月は送別会で酒が飲みるゾ~♪
酒が飲める飲めるゾ~♪酒が飲めるゾ~♪
四月は花見で酒が飲めるゾ~♪
酒が飲める飲めるゾ~♪酒が飲めるゾ~♪
五月はマラニックの前夜祭で酒が飲めるゾ~♪
酒が飲める飲めるゾ~♪酒が飲めるゾ~♪
六月は同窓会で酒が飲めるゾ~♪
酒が飲める飲めるゾ~♪酒が飲めるゾ~♪
~~~~。。。。。
今日の夕方は同窓会だ。
同窓会といっても、地元の人ばかりだけど。
知り合い集めて楽しい飲み会になると、いいな~。。。
去年のブログ
今宵もはじまりました(^.^)/~~~in佐久間(昔のワル)
山間地の過疎の村でも楽しい事、いっぱいあるョ(*^^)v
私は
幕末の風雲児高杉晋作の句
「面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」
この句が好きだ。
意味は
面白くもない世の中を、面白く生きるのは心次第。
そう自分しだいだ(*^^)v
byしんしん
毎回言うようだが
佐久間町は昭和の合併で佐久間村・城西村・山香村・浦川町が合併してできた町だ。
水窪町は
佐久間が佐久間ダムで潤っているときに、佐久間への合併はしなかった。
佐久間ダムができ
水窪町には飯田線が通る様になった。
それまでは、遠くに行くとき電車を利用するときは、大津峠を越えて天竜川沿いに整備された飯田線を利用した。
飯田線が佐久間ダム建設で水没するようになって、迂回路に水窪を通るようになって水窪は便利になった。
佐久間ダムがもたらせたもの。
いろいろある。
佐久間VS水窪
その中でも、その地域のNPO
がんばらまいか佐久間VS水窪山の会
どちらの活動にも参加した事がある、私。
佐久間のNPOがんばらまいか佐久間
他方からの意見を受け入れる。
故郷の森づくり
アワビ
など。
水窪のNPO山に生きる会
「故郷」を『愛する心』『誇りに思う心』を育て地域の活性化を図ることを目的にしている。
其々考え方が違っている。
それなりに良い所もあれば、チョットな~っと思うところがある。
批判は良くない。
批判からは何も生まれない。
お互い考え方が違うが
同じ山間部・過疎地域に暮す仲間。
北遠は、北遠のNPOは、協力し合って活動すべきだと思う。
佐久間VS水窪
それは
駅伝
佐久間駅伝と北遠駅伝
でも感じられる。
同じ駅伝でも、それぞれ趣が違う。
水窪から天竜方面に越した知り合いが言っていた。
「佐久間人たちは、お金が無くなると止める。水窪の人は、お金が無くても何とかやろうとする」
その言葉は
がんばらまいか佐久間の活動に疑問を持ち
水窪のNPO山に生きる会の活動に首を突っ込んだ私は
そのNPOの
活動後や飲み会で・・・ものすごく感じることができる。
byしんしん
5月20日(金)に
水窪のNPO法人山に生きる会の打ち合わせがあると連絡が来たが
その日はあいにく
「ぐるっと富士山一周ウルトラマラニック」
の日だった。
先日、その
山に生きる会
の、今年の活動計画書が送られてきた。
その中に
特定非営利活動法人山に生きる会 趣旨書
が、あったのでこのブログに残しておきたいと思います。
特定非営利活動法人山に生きる会 趣旨書
浜松市北部に位置する水窪地域において私たちは、「故郷」の恵み多き自然、風土との共存の中で、自らの生命と生活を支え、誇れる「故郷」の自然、伝統文化、伝承芸能を引き継いできました。
しかし、高齢化の進行や都市部への転居など、時代とともに人々の生活の形態が変化し、中間山地に住む人々の、「故郷」を想う気持ちもだんだんと薄れていく状況になっています。この中山間地域を元気にするためには、この「故郷」の資源を活かし、そこに生活する「住民」と「行政」が一体となって「新しい風」を吹かし活動することが不可欠だと考えます。
そこで、私たちは、「故郷」の自然、伝統文化、伝承芸能で、交流する「まちづくり」を推進すること、そして、「故郷」を『愛する心』『誇りに思う心』を育て地域の活計化を図ることを目的とした特定非営利活動法人を設立します。
申請までの経過
平成21年 4月 任意団体 山に生きる会設立
平成22年 3月 特定非営利活動法人化のための勉強会開催
平成22年 12月 発起人会開催
平成23年 6月 設立総会開催
平成23年 6月29日
特定非営利活動法人 山に生きる会
静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家●●●番地の●
設立代表者 ●● ●
水窪のNPO山に生きる会は
この様に、強い故郷を想う気持ちの人が多く頑張っている。
設立代表者である理事長から、今年度から新しい理事長になった。
先人の思いを繋げる活動になっている。
熱い思いは、人から人へ繋がっている。
5月4日
天竜川リバーサイドマラニック
しんしん初めてのサポート。。。。
の、とき。
熊本地震 義援金
として、寄付金を入れてもらう竹の貯金箱をテーブルに置いてサポート活動をした。
目に留まった人も少人数だがいた。
地域の人がやってきて、親戚の子供を連れてきて
その子が寄付してくれた。
サポートも夜8時30分には撤収。
その後、佐久間ダム方面に車で行くと
まだ何人かの人がゴール地点である太平洋を目指して進んでいた。
私の「車、乗りますか」の問いには誰も「ハイ」とは言わなかった。
最後を走っていた青年を見送り。
佐久間に車で来て
考えが変わり
自分は
豆こぼしトンネルで少しの食べ物飲み物を持ってランナーを待った。
黄門様が来た。
少しの接待をして、黄門様を見送った。
雨の中。
時計は11時半
次の日
水窪へ用事で車で向かうと
西渡のバス停付近を一人リックを背負って歩いていた人がいる。
佐久間ダムの奥で出会った青年だ。
天竜川リバーサイドマラニック
225㎞二日間かけての挑戦。
感動は人を変える。
笑いは人を潤す。
夢は人を豊かにする。
そして、感動し、笑い、
夢を抱くことができるのは
人間だけである。
熊本地震 義援金
サポートの時だけでは少なかったので
今回、自分企画の
第11回 竜頭山スーパーマラニック
に持参した。
サポートの方に
買ってきた飲み物・食べ物の代金(走る皆さんから集めたお金)を渡そうとしたら
「義援金に使ってください」
その様に言っていただいた。
走ることで知り合った仲間。
ウルトラマラソン(フルマラソン42.195㎞以上走る)
自分の足で目標であるゴールを目指す仲間。
義援金の入った竹の貯金箱、今日、割って中にどのくらい入っているか確かめようと思う。
byしんしん
我が田に水を引く
我田引水とは、他人のことを考えず、自分に都合が良いように考えたり、ものごとを行ったりすること。
先日、私がブログで
金の切れ目が縁の切れ目
こんなことを書いた。
そして
FBでTomiichi Hiranoさんからのコメントがあった。
素晴らしい話に水を差すようで申し訳ありませんが、K町長はたいへん立派な人でした。先見性がり町の在り様を真剣に考え、斬新的な政策を立てる人でした。ただ、議会の我田引水に逆らえず時に政策を大きく歪めるところがあったように思います。
そして私が答えた。
K町長が立派なのは知っています。
先見性があるのも父親かから聴いて知っています。
斬新的な政策
「山間都市を目指す!」そんな言葉から納得しています。
議会の我田引水
前々から語っている様に佐久間町は佐久間村・城西村・山香村・浦川町が合併してできた町です。
其々の町村から出た議員、自分の町村の利益だけを考える人が多かったのですネ。
しかし、その時代、議員の仕事は中央から如何に予算をブンドッテ来るのか。
それが地方議員の仕事でした。
国も地方も佐久間町も。
と答えた。
そして次の日
K町長
こんなブログを書いた。
今年いっぱいでK町長が暮らしていた城西地区にある城西小学校は閉校する。
我田引水
佐久間町は昭和の合併で佐久間村・城西村・山香村・浦川町が合併してできた町だ。
城西地区に暮していたK町長
町長時代に、せめて城西地区から城西駅までの歩道を整備してほしかった。
byしんしん
五月の初め
その先生から、私のところに電話が来た。
「北遠地方の暮らしを調査している者だか・・・」
「水窪の調査をほぼ終わり、佐久間の横吹の話を聞きたい」
怪しげな電話、無視しとこ。
その様うに思ったが、動物的な予感、何かの縁を感じ、今日
お会いして話す機会を得た。
話をしてみると
私の母方の叔母さんと同級生のとのこと
昔、水窪小学校に勤務していたこと
音楽の先生で、今はハーモニカの指導員だということ
私の知りえる、横吹での話
横吹分校は通うことはないままに廃校になった。
佐久間町立幼稚園ができ横吹の山から歩いて島のバス停まで行きバスで城西幼稚園に通った話などをした。
辺りは薄暗くなり始め、
「門限があるので失礼する」
その様に言って
車に乗り帰って行った
龍先生
浜松南区から来たという
私の父親が生きていれば同い年くらい。
元気で何でもできれば
長生き
そんな素晴らしいことはナイ。
佐久間町が平成の大合併で浜松市になった。
その佐久間町時代の町長が
K町長
昨日、平野さんから
K町長はたいへん立派な人でした。
とコメントを頂いたので今日はK町長の事について書こうと思います(*^^)v
其の一
K町長は私の父親と城西小学校で同級生だった(^0_0^)
私の父親は、昭和10年生まれ。
日本は戦争で大変な時にK町長と小学校時代を過ごしていたのだ。
話しでは、その時代、教科書は墨で塗られ何を書いてあるのか分からない状態だったそうだ。
戦中戦後、日本の大混乱の時代を生きてきた同級生だったのだ(^0_0^)
その当時、城西小学校と言えども多くの生徒がいた。
K町長は特別な人だったといいう。
成績優秀で城西では大富豪の御坊ちゃまだったそう。
(父親が言うには)
私の父親はというと、その他大勢の、その当時では当たり前にいた貧乏人の子供でした(^0_0^)
その他大勢の私の父親は、その後中学を卒業し横吹(よこぶき)に残り、家族を持った。
そこで私が誕生(*^。^*)
そのころの人は、食べていくのがやっとの生活。
仕事は山仕事が主だった。
父親は横吹(よこぶき)で城西の製材マルシに勤めていた。
K町長は中学校卒業後、浜松北高・東京の慶応大学。。。。
私もスクスク育ち、大きくなって行く(^O^)
そんな時、K町長は横吹(よこぶき)にあった家の山を売ったそうだ。
父親が、K町長は先見の目があるワイヤ。
と言ったのを覚えている。
私は新居町から29歳で佐久間に戻ってきて横吹(よこぶき)で半年暮らし
その後
半場に引っ越して来た。
父親は横吹(よこぶき)で真剣に取り組んでいたお茶の仕事を辞めた。
老後を悠々自適に過ごしていた父親は、佐久間ダム祭りを見にいた時。
K町長が居たのを知り、孫を連れてK町長と話しをしたそうだ。
貧乏人の子供、私の父親
大富豪の御坊ちゃま、K町長
K町長は浜松北高を卒業をして慶応大学で勉学に励んだ。
そして佐久間町で町長になり様々な事をしてくれた。
佐久間町は佐久間村・城西村・山香村・浦川町が合併してできた町だ。
佐久間町の長として大変な事があったとは思う。
私は城西村にある横吹(斜面集落)から佐久間町半場に越してきた。
小学校は城西小学校だ。
城西駅から小学校までは徒歩での通学だった。
K町長は城西地区の人だったが、その通学路は歩道が整備されることは無かった。
今回
浦川地区に住んでいた
平野さんが
K町長はたいへん立派な人でした。
とのコメントを頂いたのは
自分として感慨深かった。
私もそのように思います。
それに、もう一つ、大切な事をお知らせします。
本当に本当に大切なことは
今までの事ではなく
これからどうするかということ。
だと思います。
byしんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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S | M | T | W | T | F | S |
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