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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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たびたびここで話すように
佐久間町とは昭和の合併で、佐久間村・城西村・山香村・浦川町が合併して誕生した。
昭和35年生まれ城西村の横吹(斜面部落)で生まれた自分は城西小学校に通った。
小学校二年の時、その小学校は鉄筋コンクリートの当時はモダンな小学校となった。
城西村が佐久間町に合併して、経済的に裕福になって、このような建物ができたのであろう。

29歳の時
横吹(斜面集落)から佐久間町半場に引っ越した。
こっこは大変恵まれていた。
幼稚園も小学校も中学校も県立高校も近かった。
消防団の付き合いも佐久間第八分団の付き合いだった。
佐久間町に新庁舎ができ、その新庁舎の消防本部で
当時分団の会計をやっていたので会計監査に行ったのを覚えている。

新庁舎の三階だったと思う。
とても贅沢な造りだった。

次女が幼稚園に通う頃
私はPTA会長になったことがある。
町内の小中学校で行われる資源回収
古紙の価格が低く学校の収入が無い状態だった。
学校のPTAで町に資源回収の助成金の増額をお願いしようとの話になり
町内のPTA会長が集まって資源回収助成金増額の陳情書を持って
新庁舎の町長室に入った。

広々とした、とても立派な町長室だった。

佐久間町半場に越してきて
15年たったとき
平成の大合併

それまでに贅沢を尽くしてきた。

それもこれも、佐久間ダムの恩恵。

佐久間町時代、囁かれた言葉がある
「困ったら電源という木を揺すれ」
何か落ちてくるのだろう。

平成の合併で佐久間町は浜松になった。
もう電源のお金はあてにならない。
金の切れ目が縁の切れ目
淋しいけれど、そんな世の中。

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今日は父親の
七回忌の法要だった。

佐久間・水窪スーパーマラニックの頃
父親は一回サポートとして竜頭山に来てくれて、山住神社で、私たち走る仲間と写真に入ったことがある。
 
今は良い思い出。

この世に生を受けて、今までの出来事が思い出となって過ぎ去って行く。
辛いことも楽しいことも。
今は良い思い出。

佐久間町が浜松市になって、父親が
「今度引っ越すなら浜北だゾ~」
そんなことを言った。

佐久間町は平成の合併で浜松市になり
浜松市の中の佐久間町での考え方になった。
そして、私の父親ほどの年齢の人が佐久間町を去るのが当たり前のような考え方になっていった。

時代は変わった、人の心さえも変わった。

自分の心も揺れている。

揺れながら10年ん後も20年後も、ここで走っているのだろうナ~。


佐久間・水窪スーパーマラニック

竜頭山スーパーマラニック
になり、距離も12km短くなった。

過去の思いでを振り返った
父親の七回忌の法要の一日だった。
byしんしん

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昨日、仕事が終わってからジョグ
佐久間協働センター付近を走っていると
農協で働いている人が二人歩いていた。
その中の一人の女性から声をかけられた。
たしか、この人は浦川の人だと思ったのだが・・・・・・?
もしかしたら佐久間の人
コープで買い物?

私はバカな質問をした。
「如何して歩いているの」
女性
「電車」

そうか~。
外で作業しているとき、同報無線で何回も放送していたっけナ~
 浜松市防災ホッとメール
でも何回も受信していた。
午後1時から佐久間ダムの放流が開始される見込みのため、河川内仮設道路を午前11時から通行
止めとしました。

今回、通行止めの時刻が錯綜し、たいへんご迷惑をお掛けしました。

なお、仮設道路の通行再開予定は現在未定です。
 

そうだったんだ~。
本当にバカなことを聞いてしまった。

新しい原田橋
着工は2016年10月を予定している。
4年で完成すると市からの説明があったような気がする。
同じ佐久間町に暮していても
原田橋を通勤の道として利用していた人たちは、佐久間ダムの放水のため仮設道路の通行止めを気にしながらの生活をしているのだ。

半世紀前、佐久間ダムができ、多くの人が佐久間にやってきた。
佐久間ダムができた佐久間村に城西村・山香村そして浦川町が合併して佐久間町ができた。
昭和の大合併だ。
そして平成の大合併、12市町村が合併して佐久間町は浜松市になった。
 

そんなことを考えながら峠道を走って行った。
羽ヶ庄のビューポイントから見える景色に癒された。
byしんしん

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ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン主演の
最高の人生の見つけ方
をレンタルビデオを借りてきて、今日観た。

自働車整備士として油にまみれながらたくさんの家族を養うために働いてきた
モーガン
実業家として成功を収めた大金持ちの
エドワード

二人は同じ病院で余命6か月と宣告を受けてしまう。

そんな二人が「棺桶リスト」
 ・スカイダイビングをする
 ・ライオン狩りをする
 ・万里の長城をバイクで走る
 ・ピラミッドを見る
 ・香港に行く
 ・壮厳な景色を見る
 ・エベレスト登頂
 ・世界一の美女にキスをする
 ・泣くほど笑う
 ・見ず知らずの人に親切にする
死ぬ前にやっておきたいことをメモに残し、世界を旅する話から映画は始まった。

最高の人生・・・か~。

お金ではなく人のご縁ででっかく楽しむ。
自分なりに楽しむ。多くのラン友に感謝。
byしんしん

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浜松市天竜区龍山町には秋葉ダムがあり
そのダムの西側の山には龍山第一小学校がある。
その様に聞いていた。
今回、初めてその小学校に行ってみた。
 
今日は、桜マラソンの駐車場になっていた。
龍山第一小学校は、2005(平成17)年の合併で浜松市立龍山第一小学校になった
そして、2014年3月を持って閉校した。
浜松市立龍山第一小学校のHPがまだあるのでリンクを↓
http://www.city.hamamatsu-szo.ed.jp/tatsuyamadaiichi-e/index.html

子どもたちは誰も居ないが、金原明善像は残っている。

そして学校訓も
 
また、この学校は、2016年1月9日から2月13日まで毎週土曜22:00 - 22:44にNHKで放送のあった「土曜ドラマ」
「逃げる女」のロケ地になって居た。

そして今は、
「おやじ達の秘密基地」
なるものをやっているみたいだ。

龍山第一小学校を見学し帰りに、遊歩道があり登ってみた。

秋葉ダム周辺の桜は満開だ。

<試す人・信頼される人・夢ある人>

さ~。
アップも済んだ。
これから10㎞のマラソンだ。
自分なりの夢に向かって走り出そう。
byしんしん

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佐久間中学校時代の同級生に
「俺も勉ちゃんのように好きなことやる!」
と言われたことがある。

そう、どうせ一度の人生、やりたいと思ったことは実行あるのみ。

二十歳、横吹の竹馬の友(アキチャン)と、山の土手で煙草をふかしていた時
遠く下に見える水窪川を眺めていた時
「ハングライダーをやってみないか?」
と言われた時がある。
高所恐怖症の自分は無理無理無理、そう言った。
それから数日たって電話がかかってきて
二人で伊吹山にあるハンググライダーの講習風景を見に行った。
帰り、ハングライダーショップ「ロコ」によってアキチャンは大空にはばたきたいと講習料を払って次回から練習を始めた。
「お前もヤランカ」と言われたが、、、、俺は断った。

当時の私の職場は、鉄工所の熱処理。
4日働いて2日休むパターンだった。
普通の日が休みなので暇を持て余していた。
パチンコに行くのが多かった。

そんな自分が、
ハングライダーを始めた。
伊吹山に講習に行った。
アキチャンと大空への夢を語るようになった。
 
あれから35年
今でも夢を見続けている。
 


しかし、そんな人生も何時かわ終わる

人生という旅路の果て
本当の幸せとは? 本当に欲しかったものとは?

好きな事をやるのもいいが
そんな自分を支えてくれる人たちがいるということも忘れてはならない。

今の自分の趣味
超長距離、ウルトラマラソン・マラニック。
苦しみも楽しみも自分に教えてくれる。
 

最高の人生
それは、誰か他の人と比べることではない。

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拝啓 この手書み読んでいるあなたは~♪♪
ヤッパリここで走っているでしょう~♪♪
♪♪♪♪~。

拝啓 古希の自分へ。
元気に走っているだろうか?
まさか、その年でまだ富士山頂往復マラニック、一日寝ないで走るバカなことを続けているのかな?
ゼッケン88番を付けて

私の兄は49歳で亡くなった。
二十歳の長男、次男三男四男は小学校四年生だった。

父親のお兄さん私にとって叔父さん徳ニイは戦死している。

昭和十七年十二月十八日午前六時十分
ニューギニア島ブナにて於て戦没
             俗名 新間徳一
                                   享年 二十四歳
横吹の村の人たちに見送られ戦地に向かって行ったと
今な亡き父親に聞かされていた。
父親はその姿を母の背中で見ていた記憶が微かにあると言っていた。

城西地区 戦没者慰霊祭 解散

どんなに、故郷である横吹(よこぶき)に帰ってきたかったことだろう。

今の此の世を生きている自分は、なにを考え生きていかなければならないか。
自分の幸せだけのために生きるのではなく、何のために生きるのかを自問自答しながらの人生、今生きている自分に感謝しながらの生き方。

苦しい時にも笑顔を見せ、生きていこう。走り続けよう。

これからの自分の人生は、叔父さんや兄貴にとって、歩みたかった人生なのだから。
今を大切にして
古希(70歳)を目指して走っていこうと思うので、待っててネ(^O^)/

拝啓 この手紙読んでいる古希の自分が~♪♪
幸せな事を願います~♪♪
ジャンジャン。。。

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先日、名古屋ウィメンズマラソンを走った仲間からのメールのやり取
サブフォ達成しましたか。
の問いに

(笑)
まだ先の話ですね~!

でも頑張ります!
人生二度しなですものね。
今日も頑張るわよ~。
メールありがとネ。(^_-)-☆

との返信を頂いた。

人生二度なし。
オギャーと生まれて、今56年目の春を迎えようとしている。
佐久間町に帰って来て26年目の春、自分の暮している半場でのお花見

人生二度なし。
FBの走る仲間が今日、古希の祝いをしてくれたとの投稿を見た。
自分も出来るなら古希の年代まで頑張って走り続けたい。

人生二度なし。
自分の生きる道、人生、後何年生きているのか、それは誰もわからない。
だけど、今をガンバル。今日、なにをするかを考える。

人生二度なし。
森信三師が天王寺師範の講師時代に記録した「修身教授録」
今週の土曜日にはこの本を資料に萩田氏のこれからの生き方についての勉強会がある。

齢を重ね、いつか古希になった時、自分もFBに投稿したい。
孫に祝ってもらったと。

そのためには・・・・今をガンバル(^_-)-☆
byしんしん

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静岡マラソン
テレビ朝日で放送されたのかナ
走る仲間の同級生が、テレビに映ったそうだ。

昨日、メールが来た
「掲示板、投稿したヨ~ン(^.^)」
その夜、同級生の掲示板を見て知ったのだった。

「同窓会DE.com」の掲示板
http://320.teacup.com/tsutomu/bbs#
佐久間中学校を1975年に卒業した人達の掲示板です(^o^)丿


彼とは、
1990年4月
「秋葉ダム桜マラソン」10㎞
で声をかけられた。
スタートして5㎞くらいの所、、、。

走り終わって、話をした。
「俺たちも、もう30歳、年だから健康の事を少しは考えないと」
そんなことを言っていた。
それから彼とは数々の大会で出会うようになり、切磋琢磨して記録も伸びていった。
あるとき彼はトライアスロンを始めた。
俺もトライアスロンを進められた。
元来の山育ち、水泳は出来ない泳げない、水泳がないデュアスロンを自分も始めた。

湯谷温泉にゆーゆーアリーナができ、プールができた。
そこで一日水泳教室があり、初めて25m泳げるようになった。息継ぎを覚えた。
自分の目標が「トライアスロン伊良湖」になった。

初めてのトライアスロン、彼は袋井から伊良湖の会場まで来てくれた。
その後トライアスロンは
1996年「サンライズ磐田トライアスロン」
1998年「下北国際トライアスロン」
1998年「トライアスロン伊良湖」
1999年「レイクハマナ99in新居大会」
2000年「レイクハマナ2000in新居大会」
と参加した。
記録室
http://run2.ina-ka.com/kiroku.htm

佐久間町が浜松市に合併し、フルマラソン以上の距離を走るウルトラランナーに出会い、ウルトラやマラニックに私は興味を持ってきた。

彼は仮装で多くのフルマラソンを走るようになってきた。

日本は平和だ、多くの人がそれぞれに楽しんでいる。
それなりの自分の物語を描いている。

人生いろいろ島倉千代子
そういえば、こんなブログを書いたことがあったな~(^O^)/
 
これからも
チャレンジしよう。
様々なことに。
byしんしん

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「男はつらいよ」シリーズで多くの人を感動と笑いの渦に巻き込んだ
山田洋次監督の次なる作品
「家族はつらいよ」


妻よ、笑顔をください。
夫よ、離婚をください。


定年まじかの亭主が
酔っぱらって帰ってきて、
偶然、女房の誕生日だと知り
たまには誕生日祝いでもプレゼントしようかと思い。
「何か欲しいものは」と言ったら。
「離婚してください」
と言われた。

『家族はつらいよ』公式サイト
http://kazoku-tsuraiyo.jp/

何と、他人事とは思えない。
ストーリーだ。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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