受賞者に聞いてみた。
7月30日静岡新聞・中日新聞、に記載されていた高齢者叙勲
私が暮らす佐久間町の人がいたので様々なことを聞いてみたのだ。
その人は今、私が働いているところの隣「上島キャンプ場」で管理人をしている。
Q・どうしてこの勲章を頂くことになったのか?
A・上島キャンプ場の管理をする前、佐久間町の町会議員をやっていた、そのときの働きが認められたのだろう。
上島キャンプ場
それは、キャンプ場としてゴルフ場として、今、佐久間町のゴルフ好きグランドゴルフ好きの人が集まる社交の場となっている。
その、キャンプ場、みんなが集まって楽しむ場所は、そこを管理している○山さんの様々な尽力があったこそ今佐久間にあるのだ。
その事を何も知らない人は
天竜川の河川を不法利用しているのでは?
と、そのように見ている人が多くいる、それが現実である。
私も昔はそのように思ったときもある。が今は違う。
河川利用許可書もシッカリ管理等に掲示してある。
高齢者叙勲
さまざまな事情で叙勲されずに高齢になってしまった人を対象にした叙勲
米寿のお祝いも兼ねている勲章
その○山さん88歳は戦争のときは東京で大学の寮にいたそうだ。
16歳で終戦を迎え、佐久間に帰ってきた。
佐久間町中部は終戦後、王子製紙本社があり紙を製造していた海外の人が数人いたそうだ。
昭和29年佐久間ダム建設が始まり、この時も外国人の技師が多く佐久間に来て働いていた、○山さんはその人たちに肉を売るために肉屋の仕事を始めたそうだ。
佐久間は全盛期26000人の人がいた。中部の街には青い目の人が多く歩いていたのだ。
そんな海外の人の暮らし繰りを目の当たりに見ていた○山さんは中部の人たちは
これからの子供たちには学力を付けさせること、そのように思ったらしい。
そして今、○山さん88歳は、健康で働けることに感謝し、夫婦で上島キャンプ場の除草に悪戦苦闘している。
昭和一けた生まれ。
小学校のときには修身の授業を受けた人だ。
誇りを持って生きている。
誇り→プライド
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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