ココに越してきて28年。。。
佐久間町に帰って来て29年、、、。
私、27歳の時に、湖西市の会社(フジユニバンス)で働いているときに。
佐久間町に暮している父親から電話が来て
「横吹(よこぶき)には道路はできない。どこか便利のいいところに引っ越したい」
そんなふうに言われた。
横吹とは飯田線で相月駅を降りた先にある山の斜面に点在する斜面集落だ。
日本の生活様式が便利になり山の上の生活でも電気が来てガスが来て、と便利になってきた。
が、車を買っても、道路がないため、家の前までにはマイカーが来ることは無かった村、横吹。。。
「どうせ引っ越すなら湖西市に来いよ!!
浜名湖はあるし、海釣りは楽しいゾ~」
そんなことを言ったが、親父の心は揺れていた。。。。
たぶん。
あるときは、街に出る。またある時は、佐久間を離れたくない。
横吹で生まれ横吹で育った父親だから、他の地域に出ていく事は一大の決心だっただろう。
そんな親父との電話での言葉
「少ないけど、先祖から受け継いだ財産(山)がある、佐久間からは出たくない」
そんな言葉で、私たち家族は新居町の雇用促進住宅から佐久間町の斜面集落「横吹」に越してきたのであった。
そしてフジユニバンス水窪事業所に親子で通い始めた。
城西駅前に親戚の家がある。
そこに、空いた土地があるので、親父と二人で清酒を持って訪ねた。
「土地を譲ってくれないか?」
その家の長男は
「兄弟が多いので、難しいナ~」
と、よい返事はなかった。
半場の土地は
その昔。
母親が、父親が豊橋に単身赴任で留守の時に、手に入れたと聞く。
横吹は南斜面で日当たりが良く温かだった。
半場は北斜面の、山を背負った日陰なところだった。
しかし、道路が近くまで来ていて店も村内にあり便利だと感じた。
そんな半場に、私たち家族は引っ越してきた平成元年春。
今年、28回目の半場の夏祭りを迎えた。
そんな私が、その半場の夏祭りの神楽の中にいた。
私、初めての神楽舞。
できる事なら、横吹で、そんな思いもある。
横吹は限界集落、生まれた村は荒れ放題、今の世の中、真っ暗闇ではござんせんか。。。
そんなとこ。。。
このままでいけば、日本が人口減少を食い止めない限り半場の神楽舞もイヅレハ無くなっていくのかもしれない。
だけど、そんなことを嘆いていてはいけない。
今自分にやれることを、自分なりにやっていくこと。
戦前の師範学校の先生
森信三先生の本
この本から学んだことだ。
半場のお祭り
初めての神楽舞。
神楽の中から見える景色は、遠く過去の人たちがのぞいた景色だ。
過去があるから現在がある。
今を大切に生き
未来につなげよう。。。。
少子高齢化社会
人口減少社会
それを科学技術で克服するのではなく自然の流れとして受け止める事。
長寿社会ばかり求めない、生きている時を次世代を担う人に受け継ぐ事。
子を産み育てることが当たり前の社会。。。
自分の事ばかりではなく
未来の事を自分なり考え、今を生きていく時代
byしんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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