昨日、水窪自治センターを10時に出発した。
私は、佐久間自治センターで10時半からエイドの為にランナーを待っていた。
小雨の中、11人のランナーが佐久間自治センターにやってきた。
最後のランナー、〇ヶ〇さん、彼女はウルトラマラソンを参加すぬのだが、全行程を完走するのは出来ないことが多いそうだ。
それでもスタートラインに立っている。
参加することに意義が有る。そんなランナー。
〇ヶ〇さんを見送って、次は自分の家の用事で浜松に車で向った。
雨の降る中、ランナーは龍山自治センター目指し走っていた。
思い起こせば、5年前の夏。
この「浜松市」誕生五周年記念のマラニックで走っているランナーを見て、私のランニング人生も変わって行ったのだった。
次の日、職場で見た静岡新聞で、「浜松市」誕生五周年記念マラニックの記事を見て、呼びかけ人である〇田さんの存在を知ったのだ。
今回は、雨の中走るランナーの後ろ姿を見て私は浜松に向った。
色々な用事を済ませ、長女の働く三ケ日に来た。
そして三ケ日自治センターに寄り道をした。
佐久間にも劣らぬ、立派な自治センターだ。
合併は浜松市の地方に何をしたのだろうか。
当初、クラスター型の合併と言って、地方の特色を生かした合併と盛り上がったのに。
今は、市長も変わり、クラスター型と言う話も頓挫していった。
そんな中の、新「浜松市」誕生五周年記念 水窪~浜松 160km ウルトラマラニック、今年は雨の中の出発となり、ゴールである浜松市市役所に着く時には天気も回復、暑いくらいの天気になった。
数年先の事を憂いでいるより今を楽しもう。
今頃、〇ヶ〇さんは何処を走っているだろうか。
今日、浜松合併記念の160キロマラニックの日。
私は、佐久間自治センターでエイドのボランティアをやらせてもらった。
最後のランナー、〇〇〇さんを見送って、次は自分の家の用事で、浜北のホンダに父の車の名義変更、浜松(船越)に二女の住むアパートへ。
そのまま、次は三ケ日へ、三ケ日自治センターで時間をつぶし、長女と出会い用事を済まして、夕ご飯を一緒に食べて、今 佐久間に帰ってきたところだ。
帰りには、雨も強くなり、今頃 ランナーはどうしているのだろう・・・・・と心配になた。
三ケ日自治センターで出会った、ガードマンの人も、合併になって三ケ日も寂しくなったと言っていた。
政権が何に変わろうとも、「民主党」だろうが「自民党」だろうが「みんなの党」だろうが、明日になれば、朝日は登るし、私は朝ランをするだろう。
なんのこっちゃ(^◇^)
朝ランから帰ってきて、静岡新聞を開いて「読者のページ」ひろばの「助けられた命 感謝の心刻む」に目がとまった。
今年の富士裾野高原マラソン大会でランニング中に意識を失い、ボランティアスタッフの迅速な処置により、一命を取り留めたランナーの投稿だった。
きっと、親戚中に走ること、マラソン大会に参加することへの批判が集中することだろう。
その後、この人はどうなって行くのだろう、ランニングを再開したのだろうか。
毎年の、成人病検診を受け、医師の話をよく聞き、無理しないで走るのは良いことだと思うのだが。
走らない人には、走る=心臓に良くない 見たいな考えが有るようだ。
私が聞いた言葉にこんなのが有る。
「皆さん走りなさい。走れない人は歩きなさい。歩けない人は病院んい行きなさい。そして体を治して、歩きなさい。走りなさい。」
それほど、歩いたり走ったりすることは、人間として当たり前のことなのだよ。っという言葉。
人は、健康のために歩きだす。
私は、太り過ぎなのを気にして走りだした。
そして、今は長い距離を走りたい。
富士山頂に時間内に完走したい。
そんな思いで、日々の練習をしている。
平成17年(2005)7月4日(月曜日)の静岡新聞に記載されていた。
新「浜松市」を縦断するウルトラマラニックの記事。
5年前(平成17年7月3日)、佐久間に住む私は。浜松に買い物に行くため国道152号線を車に家族を乗せて浜松に向かて走っていたのだった。
背尻(せじり)の辺を車で走っているとリックを背負ったランナーが一人二人、国道を・・・・どこまで走るのかな~。
次の日 静岡新聞を見ていたら、先に書いた新聞記事が記載されていたのだった。
今年は、あれから5年目。
新「浜松市」を走るマラニックも「誕生五周年記念」として2010年7月水窪~浜松 160km ウルトラマラニックを走るそうだ。
今年は、自分も走ろうと思ってはいたのだけど、分け合って走れなくなった。
サポートをやろうと思っている。
走る人も、走らない人も。
田舎に住む人も、街に住む人も。
みんなガンバレ。
今の時代を生きているのだ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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