台風14号の接近で、大会開催も危ぶまれた、「第2回 しまだ大井川マラソン」開催前の一週間はどうなるのか私も心配だった。
参加通知の封筒に、「大会についいての連絡や、現地の様子をお知らせします!」と書いた一文を見て、草々登録した。
10月30日夜11時33分事務局から開催決定のメールが来た。
しまだ大井川マラソンは大井川のい河川敷にあるマラソンコース(リバティ)を利用しての大会だ、大会関係者はさぞ悩んでの大会開催であっただろう。
さて、大会だが、ゲストランナー松野明美さんの挨拶から始まった、今も毎日15km走っていますと言っていた。
スタートラインは、申告タイム順にゼッケンの色を分わけて区切ってある。私は3時間30分「青」のスタートラインに着く。
走り始めて、しばらくすると派手なスパッツの小柄な女の人が前を走っているなっと思っていると、沿道の人が「松野さ~っと」声援を送っているではないか、私も挨拶をして持っていた携帯で写真も撮らせてもらった。
「移りましたか?」「大丈夫だよ」なんて話したかな~。
とても気さくで可愛らしい人だったな~。
15kmまで、キロ5分で走っていた。が、足へのダメージが少し多いと思いペースを遅くしたが、時すでに遅し、ハーフを過ぎたあたりからペースが遅くなり始めた。
年配のランナー(○田さん)が後ろから追い付いてきた。
「新間さん、ペースが遅すぎるよ」それから。○田さんお後をついて行ったが、だんだん○田さんに着いていくこともできなくなった。
30km過ぎの大エイドでは、チキンラーメン、魚の塩焼き、まんじゅうなど食べた。
私の30回目のフルマラソンの記録だ。
私も、50歳。3時間30分を切るのは無理なのだろうか。
走り込み、これからの課題だな~。
父の死、指の怪我、お盆前で今回はどうしようかと悩んでみたが、無理行って参加することにした。
スタート場所となる、富士吉田市役所横で写真を撮ってもらう。
右手には父が死ぬ直前まで腕に付けていた時計を締めて。
身体が弱かった父も、若い時 職場の仲間と一緒に富士登山をしたことが有ると、思い出話をしたことが有る。
まれにみる快晴で、とっても景色が良かったと話していたことを思い出す。
今日 しんしんはそんな父の形見と山頂を目指すのだ。
スタートラインんに並ぶと、何時もの名物 富士吉田消防職員の挨拶が始まった。
富士山山頂を目指す、2500名あまりのランナーが掛け声をあげ、気勢を上げた。
朝7時、号砲とともに、しんしん50歳代初めての富士登山競走の挑戦が始まったのだ。
町の中は日影を探し、歩道沿いを走ったため、天気の割には暑さを感じることななかった。
まずは、馬返しまでのロードを走り切り、良い位置で山道に入って行こうとの考えで走って行く。
馬返しに8時5分、ココからの山道、歩きに徹する。
五合目、2時間10分、去年はココで打ち切り、今年は山頂を目指し歩みを進める。
7合目過ぎから、足取りが重くなり、八合目の山小屋を通過するたびに、最後の関門のある山小屋までの気力が失せてきた。
今回は、練習も足りなかったし、八合目で止めよう。
そんな思いがわいいてきた。
しかし、八合目の関門11時をクリアーしたいとの思いも有った。
関門のある山小屋手前の階段を後数段残し、午前11時の関門は閉まってしまった。
私が先頭で、八合目の食堂に案内され、私は山頂で飲もうと思っていたコーラをココ八合目の山小屋で注文した。
終わった、「親父、山頂には行けなかった」
そのコーラを持って、八合目の関門の所に行き、写真を撮った。
「あんまり無理するなよ!!」
親父の口癖だった。
コーラを飲み、一息つくと、せっかくここまで来たのだから・・・との思いが湧いてきた。
他のランナーの中にも、八合目打ち切りになった人で山頂を目指す人が数人出てきた。
自分も山頂を目指し、登り始めた。
両足は痙攣し、疲労困憊しての山頂へのトライだった。
山頂に着いたのが 11時45分。
もう、ゴールは撤収されていた、自分だけのゴール。
富士山頂浅間大社奥宮 での写真。
その後、山頂でアクエリアスを買い、3年前と同じ所で喉を潤した。
下を見、まだ山頂を目指し登る人を見ると、3年前の感動がやってきた。
良かった、記録はないけど、山頂に立って。
親父とは、水窪の山「熊伏山」に一緒に登ったことが有る。
青くずれ峠から熊伏山を目指し、熊伏山から天竜村の平岡駅に行ったのだ、電車で水窪駅に行ってタクシーで車を取りに行った、そんな思い出が有る。
横吹(よこぶき)にも良く登った。
私が小さいころ、「どうしてこんな所に家が有るだいね?」そんな事を話した記憶が有る。
毎日、家に帰るためには山登り。
そんな私のDNAが、富士山に登りたい・・・・っと言っているのかもしれない。
指の怪我はこんな感じ。
初めて富士登山競走に参加したのは第61回、新城の走友に誘われての参加だった
8合目まで何とか登り、時間内完走を諦めかけている時に、ヒロボーさんのマラニックで知り合いになった高野さんから声をかけられ、頑張って登った結果、
4時間25分31秒 時間内完走者 1105人中 942位だった。
山頂に立って、ランニング仲間から祝福をされた。
その後 一人 山頂の自動販売機から500円のコーラを買い飲んでいる時に、何とも言えない感動が自分の心に伝わってきた。
次の年、第62回大会は、悪天候のため山頂コースに申し込んだ人も5合目で打ち切りとなり、なんだか不完全燃焼で終わった、第62回富士登山競走。
ゴールタイム2時間12分47秒、だった。
今年も、その富士登山競走が明日行われる。
今日、本長篠の駐車場で走友と待ち合わせだ。
出来ることなら、山頂で自動販売機でコーラを買って、また感動する自分に会いたいものだ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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