ランニングの途中、知り合いから話があった。
k:「○木のバーさんが訳の分からないこと言って歩いてた。見守って」
私:「了解」
走りも終盤になり家に近づくと前に誰か歩いている、走り寄り顔を見たら違う人だった、半場の人だった。
私は言った。
私:「○木のバーさんが歩いていたと、半ボケ?」
青:「そうよ~。寺のコーちゃんも言っていた」
私:「寺のコーちゃん?和尚さんの事」
青:「そう」
私:「和尚さんも、最近忘れっぽくなったとみんな言っている」
青:「・・・・・」
私:「・・・・・」
そう言えば、そんな自分も、最近物忘れが・・・・・。
自分も今週の安全協会を忘れた(涙)
私:「私も最近、細君に忘れたと怒られることが多い」
青:「私も良く家の人に言われる」
私:「ま、お互い様ということで」
青:「そうだね~」
佐久間の朝のチョットした出来事だった。
9月24日(土)
BSプレミアム
「限界に挑め!天空の超人たち~激走!日本アルプス・2016~」
の録画を、今、観た。
日本海をスタートし、
北アルプス(剱岳-薬師岳-槍ヶ岳山荘-上高地)
上高地-薮原駅-旧木曽駒高原スキー場
中央アルプス (木曽駒ケ岳-空木岳)
駒ヶ根高原-市野瀬
南アルプス (仙丈ヶ岳-塩見岳-赤石岳-聖岳)
畑薙第一ダム-井川オートキャンプ場-井川ダム-富士見峠-静岡駅
大浜海岸(ゴール)
距 離 約415Km
累積標高差 約27,000m
富士山を海から頂上までを7回分の高低差になる。
そんな、日本一過酷なトレランのビデオを見た。
ある人は
「行けるところまで行きたい」
又ある人は
「自分の可能性を探す旅」
そんな風に語っていた。
平均年齢40歳
カッコいい大人の夢のカケッコだ。
1月10日(日)は
第八回「湖西連邦トレイルラン」
静岡県西部「浜名湖」の西側、湖西連邦のハイキングコースを走るトレラン(トレイルランニング)(不整地を走る)があるのだ。
トレイルランニングとは。
トレイルランニング(英: Trail running)は、陸上競技の中長距離走の一種で、舗装路以外の山野を走るものをさす。トレランやトレイルランと略される。
ウィキペディアから。
私は第一回目からずーっと参加している。
今までは普通のランニングシューズで走っていたが、
今回、トレランシューズを初めて購入した。
品 名 ナイキワイルドトレイル
使用用途 ランニング
原産国 ベトナム
今まで買おう買おうと思っていたが、なかなか踏ん切りがつかづいた。
去年の年末、御殿場プレミアムアウトレットのナイキで、目につき、エイっと思い切って買ったのだ。
私は幅広の足でナイキはチョットとは思ったが、決め手はリーズナブルなお値段(#^.^#)
今週の日曜日は、このシューズで、張り切って走ろう。
多米峠のカレーエイドと、本坂峠のお汁粉エイドも楽しみな
「湖西連邦トレイルラン」
オッと、その前に去年の暮れから拗らせている風邪を治さなくては(^O^)/
またですか、風邪(笑)
走ってる人は風邪をひきやすい。
ブログより。
<業績>
日比野寛(ひびのかん)は,マラソン校長として愛知県はもちろんのこと日本のスポ-ツ界にその名を刻んだ人物である。彼は第一高等学校(現 東京大学)2年生の時に,検診で胃腸病を発見された。以後彼は,健康のため「歩き方・姿勢」に気を配るようになり,健康が回復した後に国家の役人となった。
役人だった彼が,母校の第一中学校(現 旭丘高校)の校長に赴任したのが1899年(明治32)のことである。授業ボイコットなどの学校騒動の最中に望まれての人事であった。彼の教育理念は,「抱き鯉主義」(水に入って鯉になれ,鯉の泳ぎと共にこれをつかまえるように教育も生徒の中に入って指導せよ)と呼ばれた。彼が校長第1日目からテニスコ-トに立つと,次第に校内の騒動はなくなっていった。健康面で苦労した彼は,生徒に「病める者は医者へ行け,弱き者は歩け,健康な者は走れ,強壮な者は競走せよ」と呼び掛け,日本で最初にマラソンを本格的に教育界に導入した。「マラソン校長」のゆえんである。
17年間校長を勤めあげた彼は,退職後に日比野式走法(上体はまっすぐ腰の上,運動は手と足でする)を多くの人に広めていく。
<年譜>
1866年(慶応2) 中島郡大里村(現稲沢市)に織田文斎の三男として生まれる
1885年(明治18) 愛知県第一中学校(現 旭丘高校)から第一高等学校(現 東京大学)へ進学
1898年(明治31) 日比野家の養子となる
1899年(明治32) 愛知県第一中学校長になる
1911年(明治44) 日本最初の生徒長距離競走を実施
1950年(昭和25) 83歳で没
愛知エースネットHPから引用
数年前、私が「中日豊橋ハーフマラソン」に参加したころ、エリートランナーは「日比野賞中日マラソン大会」を走っていた。
そんな時にマラソン校長日比野先生の話を聞いたことがあるのだった。
日比野先生の偉業を忘れない様に始まったであろう「日比野賞中日マラソン大会」も第57回大会を最後に2009年その幕を閉じた。
そんな日比野寛の銅像が瑞穂公園陸上競技場の前にあるらしい。
何時か名古屋を訪ねた時には、是非とも訪ねて行きたいところだ。
今年の6月1日に第一回売木村マラニック(40㎞)が開催されるそうだ。
その時には、新野千石平ロードレース大会もあるという。
新野千石平ロードレース大会の時には毎年仕事で参加できないが、今年は6月8日が仕事になりそうな予感。
もし6月1日が仕事でなかったら・・・どちらにしようか・・・悩むところだ。
第一回というのに引かれるが。
新野千石平ロードレース大会も参加したい、あの激坂の苦しみは何とも言えない、そんなところにおじいちゃんおばあちゃんが応援している。
南信州のマラソン大会、味のある楽しい大会が多いのだ。
それにしても、売木村と阿南町新野、隣同士で同じ日に開催するなんて・・・悩んでしまうではないか。
家に帰ると、天龍村教育委員会からの茶封筒がポストに入っていた。
中には
第46回天龍村梅花駅伝の御案内と大会運営への徹底についてと書いてあり。
A4の用紙が6枚入っていた。
佐久間駅伝と比べ、大変厳しい規則になっている。
その内容を一部抜粋する。
★選手変更は2月12日(水)正午までとし、以後は欠員した区間に補欠が充当されるのみとする。
★当日受付で新たな選手の登録及び変更は一切受け付けません。
★毎年、チーム応援と思われる車両が駅伝中に通行しますが、監視を厳しく行い、ポイントを数カ所設け、車両ナンバー確認し、再度そのナンバーの車両が大会中に通行した場合は運転手から事情を聞き、チーム関係者等だった場合は、そのチームは棄権扱いとし、来年以降も参加は認めません。
★輸送バスの乗車については必ず時間に所定のバスに乗るようにチームで責任を持ってお願いします。乗り遅れや乗り間違い等があっても主催者側では一切責任終えません。
こんな、感じだ。
・・・・・キビシ~。
選手名簿は天龍村のホームページに記載。
↓このようにネットで確認できる。
http://www.vill-tenryu.jp/image/46entry26.01.27%20.pdf
佐久間駅伝に参考になることが沢山詰まった梅花駅伝なのである。
天龍村ホームページ
http://www.vill-tenryu.jp/
走り始めて・・・もう何年なるだろう。
初めのころは、ゼッケンや記録をしっかりとっていたのだか・・・最近はおろそかになってきた。
はじめはメモ帳に書いていたのだが、パソコンをやるようになり、ネットにつながるようになり。
記録を書いたページを作っていた。
↓my記録
http://run2.ina-ka.com/kiroku.htm
継続は力なり。
学校のグラウンド(土)のところでは20km(200m×100週)まで裸足で走った事がある。
このマラソン、途中まで靴を履いてリバテイまで行ってから裸足で走ろうかと思っていた。
が・・・・が・が・が。
せっかく走るなら、フルマラソン(42,195km)を走ったほうが楽しいかな・・・と決心をして。
C駐車場の車の中に靴を置いてきた。
もう・・・逃げる事はできない(><)ノ ひいぃぃ~
そんな、楽しい、裸足ラン
の 動画です。
走り終わり、今まで裸足で走っていたのに・・・・。
荷物置き場まで、、、、裸足での移動が、なんか大変だった(^^)
それでも、走った後は気持ちがいい。
フルマラソン(42.195km)を、裸足で走ってよかった。
楽しかった。
以下はラン中に撮った写真です。
(クリックすると大きくなります)
応援も、仮装もいっぱい、楽しそうでした。
(大会ゲスト 市橋有里さん・・・きれいでした)
無事に裸足で42,195kmを走ることができました。
感謝です。
(*^^)//。・:*:・゚'★,。・:*:♪・゚'☆ パチパチ 。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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