日本一の富士山を、海抜0メートルから山頂 3776メートルまで、24時間以内に往復する
まさに、標高差日本一の大会に挑戦してみませんか。
こんな案内に魅せられて今年で三回目になる。
受付を済まし、このマラニックを走るための装備のチェック。
夜走があるため、自分(ランナー)の存在を車に知れせるために蛍光板やライトなどの準備をしているかボランティアが参加者を点検するのだ。
自分は今回、工事作業用に売っていたタスキ型の反射帯を加工してベルト状にした物を用意した。
スタート30分前、好例の唱歌「富士山」を参加者とスタッフみんなで歌う。
伴奏は勿論、呼びかけ人である萩田さん。
今回はもう一人のオカリナ奏者も来ていた。
スタート前の緊張が一気に和むのであった。
スタート地点に移動、チョット前まで雲で見えなかった富士山も顔を出してきた。
今回の参加者は300人以上、スタートもゼッケン番号50番刻みでウエーブスタートになった。
私は127番。18時10分のスタート。
走り始め、暫くは富士山を眺めながらの走りになる。
嗚呼富士山、あの頂に、今回も行くことができるだろうか。
第一チェックポイント
浅間大社(8:04)
ここはお祭りの真っ最中。
ここでランナーは、今回の富士登山の安全を祈願し、長い過酷な富士登山が始まるのである。
第二チェックポイント
標高1000㍍(10:45)
もうこの辺では早足での歩きになる。
第三チェックポイント
料金所(12:28)
辺りは真っ暗闇、仲間を探し話しながら歩く歩く。
第四チェックポイント
標高2000㍍(2:25)
第五チェックポイント
富士山新五合目(3:32)
ここから私は持ってきた地下足袋に履き替え登山道へと入って行った。
富士山頂の剣ヶ峰には7時35分
田子の浦の砂をそこにこぼす。
そして証拠の記念写真。
富士山頂お迎え隊の皆さん、ありがとうございました。
これからの下山もガンバリマス。
富士山頂往復マラニック(下山)篇につづく。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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