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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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富士山頂での、お迎え隊にお礼を言って、
よいよ下山だ。

この時間なら、ゴールは見えている、が何が起こるかわからない。
頂上浅間大社奥の院に別れを告げ、いざ下山。
今回は御殿場口登山道、宝永山周りで下山することにした。

やはり、富士宮口登山道より空いていて走りやすい、眼下に素晴らしい眺望だ。


途中「わらじ館」で写真

地下足袋での登山は足の裏が痛い!!
しかし、砂走りでは靴の中に砂が入らないのでGOO!!

御殿場口登山道から宝永山への分岐を間違えない様に、

ここからは宝永山、二年前走った時より多くの宝永山に行く人が居た。

六合目の「雲海荘」でカップヌードル(500円也)を買って朝飯。

五合目まで歩みを進めていると、後ろから名倉さんの声。
彼は富士宮口登山道から下山してきたのに、大分混んでいたのだろうか?

第7チェックポイント(富士山新五合目)
9:50
履いていた地下足袋をシューズに変えて道路を走って下って行く。
名倉さんは快調に走って行くのだが、私は着いていくことができない、自分のペースでユックリ進む。

一人で着いた、
第8チェックポイント(標高2000㍍)
10:30
第9チェックポイント(料金所)
11:30

西臼塚駐車場で命のエイドがあった。
有難いことです。

第10チェックポイント(標高1000㍍)
1:20
ただただ単調な道を走ってきた。

第10チェックポイント(浅間大社)
3:18
地元の人だろうか、アイスや水、梅干を差し入れてくれる人が居た。

ここからは田子の浦港のゴールまでは15㎞。

今回の「富士山頂往復マラニック」は多数参加のため色々な人の出会いがあり楽しめた、最後の道も迷うことなくゴールへと向かうことができた。

最後の田子の浦港へ向かう直線で、知り合いの方が乗合で家路に帰って行く人が居た。

田子の浦みなと公園の手前でビール好きなランナー永○さんの奥さんが居た。
車の助手席で本人は缶ビールを片手に持っていた^^;

公園内には着替えを済ました俊足ランナーの人たちが居た。

多くのサポートの人に迎えて2014年私の「富士山頂往復マラニック」のゴールとなった。

ゴール(田子の浦港白灯台)
5:44

スタート6時10分→ゴール5時44分
総合時間
23時間34分

ありがとうございました。
感謝!!

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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