滞空時間8000時間、日本が世界に誇った「零戦」を
駆って戦い交戦国から畏れられた歴代のパイロット
南京攻略、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、
ガダルカナル島争奪、幾多の戦場をくぐり抜けた
著者のみが語り得る本当の戦争論!
国の誇りを守った男たちの記録
著者は戦後、自ら戦争の話をすることはなかったそうだ、
だが、1991年に起こった「湾岸戦争」をテレビで見ている若者が「花火のようで綺麗」「まるでテレビゲーム見たい」
そんな言葉を目の当たりにし「これはいけない!」と思ったそうだ。
また、戦争に行っただけで最前線の酷いところを知らない人たちが、口先だけの反戦を唱え、誤った戦争観を伝えていることにも違和感を覚えたそうだ。
お互いに何の恨みもない者同士が殺し合う、殺さなくては自分が殺されてしまう戦争というものを私は恨みます。戦争が金輪際なくなってほしいと切に願っています。
戦後、日本は豊かになる一方で、心は貧しくなり、人々は平和の有難さを忘れてしまいました。この平和は、ただ何もしないで転がり込んで来たものではありません。
日本のために戦った兵士たちと戦争とは関わりがない筈の女性や子供などの一般の人たちを合わせた三百万人以上ともいわれる人の犠牲の上に成り立っているのです。
とも書いて、この話は始まっていた。
戦争で戦い、敗戦で戻って来た時に、温かく迎えてくれた故郷への恩返ししようとしました。
地域のお宮さんを大切にし、村の公会堂に遊具を作ったりもした。
この故郷から、思いを伸ばし、日本も良い国になるのだと、大きな夢を見る。
今回、この本を読み、私も思った。
故郷を大切にしようと。
この平和の世の中に暮らしていれるのは、先人たちの思いがあったからなのだ。
いつか私も年を取り、走ることなどできなくなる時が来る。
そんな時に笑って入れるよう。
今は、自分のできる限りの挑戦を楽しもう。
ジャン・ジャン。
byしんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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