私が暮らす佐久間町は、平成の合併で浜松市になりました。
合併当時、NPOを設立し、佐久間中学校と浦川中学校を統合し佐久間高校へと中高一貫校だと県立の高校に市立の中学校を合併させました。
NPOには、最初から活動委員として携わっています。
合併から10年の歳月がたとうとしています。
浜松市側では、佐久間町当時に作った施設の管理に憂いていると聞きます。
そして、その施設を地域で管理してください・・と。
観光トイレなど、そのトイレがある地域で管理してくださいと打診し、地域側では長い目で見て電気代その他の負担は出来ないと判断して、これを機会に解体してくれる様に市に、、、お願いする。
そのような感じだろうか?
その話は、きっと、旧佐久間中学校にも浦川中学校にも来ているだろう。
合併当時から設立したNPOがんばらまいか佐久間。
そんな団体で、理事と言われる人を知るようになり、その人たちの話を聞くと、この地域の事を思って理事になっている人がいるとは・・・とても思えない。
ほとんどの理事が、ここ佐久間はいずれダメになる、そう思っている人が理事をやっている。
そんな人たちに、浜松市側が旧佐久間中学校・浦川中学校を地域で管理して下さいとの要請が来たら、これを機会に解体してくださいというのは火を見るより明らか、だと思う。
管理が大変なのは、二つの中学校より、、、もっと大変なのがある。
それは、民話の郷会館。
この会館を、これから維持していくには、、、、、。
ホクエンミュージックタウン構想・・・これも有かな?
その様に感じます。
佐久間町に29歳の時に帰ってきました。
暮らしているところは道路も無い、山の上の村、、、その年に
中部天竜駅近くの半場という地域に越してきて、私と家族の暮らしは始まった。
ここ佐久間町は夏祭りが主で、ここ半場でも例外ではない。
今、その祭りに練習で連日夜に参加している。
ここにきて25年
ここのお祭りは、北遠では一番最初。
B型鉄橋から見る花火・・・もう25回目か~。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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