オッサンだけど
この歌に感動した。
人生のすべてに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて
Keep on beliebing 信じ続けます。
信じ続け、走り続けていけるといいと思う。
10年後も。。。。ここ地元で。
地元のためにできる14のこと〜いつまでもあると思うな親と村〜【長文】
http://www.jimo.co.jp/blog/kodama-blog/6258/
萩田さんの勉強会の第二回
よいよ森信三先生の「修身教授録」
に沿っての話が始まった。
第一講
「学年始の挨拶」
第二講
「人間と生まれて」
を音読した。
戦前、日本には「修身」教育があった。
「修身」
http://www.moral-science.com/morals.html
森信三先生は修身の教授であって、この「修身教授禄」は
その先生が今の世に生きる、私たちに修身の授業を行っている・・・・そのように感じた。
「修身」は第2次大戦前,日本の初等・中等教育の教科「道徳教育」
戦後、「道徳」になった。
森 信三(もり しんぞう、1896年(明治29年)9月23日 - 1992年(平成4年)11月21日)は、日本の哲学者・教育者。
ウィキペディアから
戦後日本は壊滅的な打撃を受けた。
その国を、戦後、立ち直らさせたのが、この修身教育を受けた日本人だ。
出光興産の創業者出光佐三
百田尚樹の「海賊とよばれた男」を読んだ。
も、その一人。。。
ムーハウス
森町の三倉にムーハウスがあると萩田さんに聞いてはいた。
随分山の中だ。。。。
佐久間町に居て山の中とは言えないが。。。。。
野田、そんな感じがするところだ。
そこには
パソコンで、萩田さんからこのような内容のメールが来たから行ったのだ。
人生”絶対不変の真理”を学ぶ
前々から
人間としての考え方、生き方、真理を伝えたい、いっしょに勉強したいと
思っておりました。
森信三先生が言っております 「人生二度なし」・・・と
すばらしい人生を生きるために
私といっしょに楽しく学びませんか
きっとこれからの生き方が楽になると思います。
・・・・と。
ムーハウスとは、
(有)丸宗建築の伊藤宗英(ムー)さんの別荘だ、そうだ。。。。。
その人は、佐久間町の城西の人だそうだ。。。
私にとって城西小学校は母校
ムーさんは先輩になる人だと思う。
その別荘は、競輪選手が合宿に使用しているそうだ。
ココを拠点に、日に何百キロというトレーニングをしているそうだ。
俺たち一般人には想像もつかない世界に、選手たちはいるそうだ。
普段、自分たちが暮らしているところとは全然違う、如何に自分は甘えているか、考えさせられる。。。。
そんな男たちの香りがしたムーハウスだった。
しかし、何故か、飾ってあるのはオートレースのオートバイだった。
次に来るときは、お酒を飲んで宿泊したいな~。。。。
ムーハウス。。。。
勉強の方は。。。。
人生”絶対不変の真理”を学ぶ
目まぐるしい変化の時代であるこの世の中
永久に変わらないものなどないと思いがちだが
それは、、、ある。
絶対不変の真理
人は生きている限り必ず死がやってくる、こと。。。。
また
「自分の人生は自分しか生きられない」
「人生は一度限りである」
これは地球上に人類が誕生して以来の不変の真理である。
だから、今をどの様に生きるのか。
萩田さんの勉強会は始まったばかり。
これからが楽しみだ(^O^)/
ps
この前、ムーさんの同級生の人と、ほうじ峠ウォーキングをしたことがある。
下の写真にいるかな?
ムーさん
致知出版社からのメールで、
探検・角幡唯介 僧侶・塩沼亮潤との対談番組があることを知った。
12月6日(土)のEテレ「SWITCHインタビュー 達人達」での放送だ。
録画予約した放送を昨日観た。
僧侶・塩沼亮潤は、「大峯千日回峰行」という荒行を達成した僧侶である。
「大峯千日回峰行」とは、奈良県・大峯山の頂上にある大峯山上本堂までの 往復48キロの山道を1000日間、1日も休まず歩き続けるという荒行である。
このことは、私、相月(あいづき)の お寺に行ったときに そこの僧侶から いただいた本「人生生涯 小僧のこころ」で知っていた。
人生生涯小僧のこころ(塩沼亮潤)
今回、探検家と「大峯千日回峰行」という荒行を達成した僧侶との対談番組だった。
お互いが死んでしまうかもしれない、そんな場面に出会った経験を話し合った。
探検・角幡唯介は独身の頃は、死というものに恐怖は少なかったけれど、今 子供ができ恐怖を感じるようになってきたと話していた。
「今死んでしまうと この子の将来を観ることができない」と。
最後の僧侶・塩沼亮潤の言葉が印象的だた。
森の中での対談で、死というものを自然界の木々が枯れて朽ちてしまい、その養分で新しい芽が出てくる事を話し、自分の生きてきて経験してきたことが後の世に通じることだと。
今年、一年、いろいろな事をやったあな~。
自分の経験も、あとの世に通じることだと信じて頑張っていこうと思う(^O^)
先日読んだ、静岡新聞で
「浜松駅前でブラッシュ・モブ、浜松市は多国籍の・・・・・・」
そのような記事を読んだので
今日は”浜松・フラッシュモブ”で検索してみた。
目的の多国籍の人たちの動画は見つからなかったが、、、、、。
こんな動画が見つかった。
2013年11月2日
に書いたブログ
「フラッシュモブ&プロポーズ大作戦 」
私たちの年代は、だいたい、二人っきりになった時に、
「結婚してくれないか・・・・」
みたいな、感じではなかろうか???
今はプロポーズも様々、
その中の一つが
今回のフラッシュモブを使っての告白だ。
友達、ダンススクールの人たち、みんなで二人の未来を後押しする。
そのようなシーンを、ネットで動画で世界の人々と共有する。
静岡県浜松市のザザシティ中央円形広場
で、行われたフラッシュモブ、
全世界に発信!!
二人の未来に幸多かれ。
\(^o^)~≪☆♪祝*CONGRATULATIONS*祝♪☆≫~(^o^)/
数年前、読んだことがある本
「それでもぼくは走る」永井恒
その著者、永井さんの講演があった。
永井さんとは
静岡県磐田郡佐久間町(現・浜松市天竜区)に先天性ろうあ者として生まれる。
一女四男の末っ子。一番上の姉、三男と永井恒がろうあ者。浜松聾学校中学部3年生の時、先生の勧めなどもあり長距離走をはじめる。
小柄でいじめなどに苦しんだこともあったが、校内のマラソン大会で優勝したことをきっかけに、自信が芽生え、以来、前向きな心を持ち、長距離走に打ち込むようになる。
高等部卒業後も長距離走を続け、1983年には5000m・1万mのろうあ者日本最高記録を樹立し、その後マラソンでも同記録保持者(いずれも当時)となる。
50歳を越えた今も走り続け、これまで参加した大会は350以上。早くから手話通訳者の参加を求めるなど、ろうあアスリートの先駆的存在。2007年には、全国47都道府県すべてで、フルマラソンを含む長距離走大会に優勝した。
マラソン以外にも、ろうあ者の理解を深めるため、講演活動など国内外でさまざまな活動を展開。
『聴力障害者の時間』『ろうを生きる 難聴を生きる』(NHK教育)『それでもぼくは走り続ける〜47回目のラストスパート』(SBS静岡放送)などに出演した。
講演で小学校から浜松の 聾学校に入り寮生活だったという。
私より三歳年上、私が城西小学校に入学した時にはもう、浜松で暮らし、休みになり佐久間に帰りたい城西に帰って親に会いたかったと言っていた。
最後に永井さんで検索して出た動画を貼り付けてみました。
「僕もかつて、心を閉ざしていた時がありました。
しかし、マラソンと出会い、
人生が少し変わったように思います。
心の扉を開いて、外に飛び出しませんか。
そうすれば、人生はきっと楽しいものになるハズです。
だからこそ僕は、今もずっと走り続けます。」
孤独のランナー永井恒が贈る人生の言葉
9年前、佐久間町が浜松市になった時から知り合った。
萩田さんからAir Mailが届いた。
去年の年末、オーストラリアを仲間でレンタカーを借りて旅をする計画を立てていると聞いていた。
今回、その計画を実行していて旅先からのAir Mailである。
「オーストラリアに来て一週間になりました。今日はエデンという小さな町に宿泊です。走行距離3372㎞オーストラリアは広い」
私より10歳年上、私より行動力あり考え方も若い。
まさに、私の好きな詩
サムエルウルマンの「青春の詩」のような人だ。
http://members3.jcom.home.ne.jp/fuyou3/profi/samueru%20uruman.htm
8月28日にオーストラリア約8000㌔の旅を終え日本に帰ってく予定だ。
「浜松縦断マラニック」にも参加してくれる予定なので、お土産話を楽しみに待っている。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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