30年以上も前の話になるだろうか、かぐや姫のこの曲(赤ちょうちん)のレコード買った。
当時働いていた会社の寮の部屋で、レコード盤に針を落とし流れてくる前奏に胸がキュンとしたものだった。
私の青春時代は、湖西市で働き始めてからだ、自分の稼いだお金でコンポを買い、レコードを買い、車も買った。
結婚して、新居の雇用促進住宅 六畳と四畳半の狭い住宅だった。
今は良い思い出。
こんな、たくさんの思い出がある、湖西市や新居町を走る「ぐるっと1周浜名湖100キロ ウルトラマラニック」が今年も行われるそうだ。
53年間生きてきて色々な人に巡り合い、自分が成長していく。
なつかしい「赤ちょうちん」の唄をYouTubeで見つけ、そんなことを思った夕暮れである。
仕事帰り小春日和の佐久間町、中部から「なかっぺ橋・半場の村」を撮影
春霞・スギ花粉だろうか?・・・山々が霞んで見えた^^
去年の第五回チャレンジマラニックin遠山郷が終ってからmixiで投稿した。
五年前の話じゃ~。
走ることが好きなランちゃん(夫)と、釣りが好きなトドさん(妻)が遠山郷に来て「チャレンジマラニックin遠山郷」を誕生させるそうだった。
私(しんしん)は、その話を水窪の駅伝大会の待合室で、ひろぼーさんに教えてもらった。
私とひろぼーさんは、その「チャレンジマラニックin遠山郷」の誕生に立ち会ったのじゃ~。
それはそれは、楽しい面白いマラニックの誕生に村の人はもちろん、私たち走るものも大変大喜びをしたもんだ。
それが、いつの日かランちゃんが来なくなった。
私はとっちーさんとランちゃんが企画している小田原のマラニックに行った、そのマラニックの後夜祭でランちゃんや山西哲郎さんやジャズダンスのお姉さんと話をした、山西さんやお姉さん、遠山道に行きたいといっていた。
しかし、ランちゃんはランちゃんなりの言い分があった。
そんなことがあって・・・・今回のトドさんの事、
今は遠山郷の観光協会が行っている「チャレンジマラニックin遠山郷」
しかし、5年前にこの地にマラニックの明かりをつけたのは「チャレンジマラニックin遠山郷」始めたのは、ランちゃんとトドさんやその仲間達なのだ。
また何時か、木沢小学校の用務員室で逢う日を楽しみに待っている。
遠山郷でのマラニック。
今年も木沢小学校の前夜祭、美味しい酒を飲めるといいな~(^^)
昨日の「佐久間・水窪スーパーマラニック」竜頭山のほおづき平でヒロボーさんがオカリナを吹き始めた。
ヒロボーさんは前に”しだれ桜お花見バーベキュー”の時、伊藤さんのお宅でオカリナ仲間が集まり楽しそうに吹いていたのを思い出す。
「しだれ桜お花見バーベキュー」↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/690/
今日は、オカリナで動画検索をしてみた。
ふるさと・見上げてごらん夜の星を
相模原市緑区で2011年4月2日に開催された第14回津久井湖さくらまつりで行われた「東北・関東大震災復興支援コンサート」の動画です。
まいご(オカリナ)
ジブリ作品『となりのトトロ』より「まいご」切ない曲ですねーぇ。。
「地上の星」 を、オカリナで吹いてみた。
中島みゆきさんの、地上の星
かっこいいです(^^)
オカリナ奏者 宗次郎 Sojiro Live Stage 1990 = 道 =
オカリナと言えば 宗次郎さん 心にしみます。
オカリナの音色は私の心に深くしみこむ
(あらすじ)
幼い頃からプロ・サーファーになることを夢見て、毎日美しいハワイの海でサーフィンに明け暮れていた、勝ち気な少女、ベサニー。
その幸せな日常は13歳のある日、突然サメに襲われた時に一変する。
一命をとりとめたものの、彼女は左腕を失ってしまったのだ。
怒り、疑念、不安、そして悲しみ……。絶望の中で、サーフィンと決別し、別の道を歩もうと決めたベサニー。
だが、彼女はサーフィンへの思いを捨てることができなかった。
そして、想像を絶する厳しい訓練と、家族の支えによって、再びサーフィンの頂点を目指すことを決意する。
ソウル・サーファー [2012年6月9日公開]
「どんなに辛い事にも何か意味があると信じるの」
「明日を信じて今を生きる"私は諦めない"」
自分のこれからの人生にもこの言葉を刻んでいこう。
エッサッサとは、日本体育大学で伝統的に行なわれている応援スタイル及び運動のこと。大学生活において、新入生特別活動(前期授業の一環)で徹底的に教えられる。習得した後は各部祝勝会等で凱歌として披露されることが多い。
一般的に上半身裸、裸足のスタイルで行う。肉体の美、精神の美(雄たけび等)、集団の集合離散の美を追求する。
ウィキペデアでは、一般的に上半身裸と書いてあったけど、今日のは服を着ていた・・・・チョット残念だった。
来年は是非裸でのエッサッサを見たいものだ (^^;
二年前の8月、私が「浜松縦断マラニック」を走り終え浜松から豊橋まで来て、飯田線のホームで佐久間に帰るための電車を待っているときに隣のベンチにいた外人に声をかけられた。
「トウエイにイキマスカ??」何時もなら静かな私だが、「浜松縦断マラニック」のゴールで最終ランナーを待っているときに缶ビールを飲んでいい気分だった そんな私は「イキマス・・ワタシハ サクママデ行くのでトチュウノエキデス」っとすべて日本語で答えていた。
そんな出会いで、カナダ人のジョウダンと付き合うようになってきたのだった。
しんしん茶臼山に行く(*^^)v
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/38/
袖振り合うも他生の縁
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/51/
多国籍軍マラニック
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/167/
ほうじ峠 ウォーキング
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Date/20100418/1/
思いでいっぱい。
そんなジョウダンが、二年間の豊根村のALTの仕事が終え、今月の末にカナダに帰ると今日挨拶に来た。
楽しい思い出をアリガトウ、カナダに行っても頑張ってネ(^^V
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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