世界遺産「富士山」
この富士山を、海抜0メートルから富士山頂(3776m)を24時間で往復するというマラニックを企画している人がいる。
「富士山頂往復マラニック」
スタートは、富士田子の浦港の白灯台の前からだ。
ここを土曜日の夕方6時にスタート。
一時間を3年だから54歳、まさに今の自分の年のころだ。
国道139号線を富士宮に向かって走っていく、第一チェックポイントは富士宮の浅間大社。
ここでは、お祭りの真っ最中だ。
ここを19時50分。
サラリーマンだったら定年の年。
やれやれの年ですかな(^^)
祭りで人ごみの中を行き浅間大社に参拝、これからの富士登山の安全を祈願する。
富士宮からは県道180号線(富士山スカイライン)を富士山に向けてただただ上る、富士宮の町を抜けると辺りは真っ暗。
第二チェックポイント(標高1000m)
22時36分
もうしんどい、走ることもできず早足で歩くようになる。
第三チェックポイント(料金所)ここで0時35分
もう人生が終わり、次の人生が始まったところだ。
料金所からは、県道152号線。
標高も上がってきたので涼しくなり風が気持ちいい。
空を見上げると満点の星空だった。
第四チェックポイント(標高2000m)
2時05分
小学校に入ったころかな(^^)
第五チェックポイント(新五合目)
3時35分
小学校高学年
第六チェックポイント(富士山頂)
7時45分
青春真っ只中
山頂での景色は抜群だった。
天気も快晴だった。
第七チェックポイント(新五合目)
9時35分
男三十頑張れる盛(^^)
第八チェックポイント(2000m)
10時24分
私が走り始めたころかな(^^)
第九第十はチェック忘れ。
第十一チェックポイント(浅間大社)
14時20分
40歳代は働き盛りだけど、病気や怪我には気を付けなければ(^^;
ゴール(田子の浦港白灯台)
17時53分
子供も巣立って、夫婦でユックリできるころ。
そんな時に、ゴールができた。
こんな風に丸一日かけて世界遺産になった富士山を楽しむことができた。
人の一生を一日と例えると。
私の「富士山頂往復マラニック」を経験して24時間寝ずに走ったことで思うことは。
一日のうちでいい時も悪いときもない。
朝には朝の良いところがあり。
夜には夜の良いところがある。
また辛いときも苦しいときもあるということです。
そんな事を乗り越えて迎えたゴールはものすごく感動するのです。
自分の人生もこのようにしなければと思った。
ジャンシャン。
集合場所である、ふじのくに田子の浦港公園でデジカメを起動し画面を見たら・・・・・SDカードがありません ( ̄□ ̄;)ガーン
・・・・残念!!
とりあえず色いろんなところから写真を お借りしてブログを書いていきます。
今回は参加人数が増え、名簿の上では175名、当日キョンセルが20名ぐらいあったそうなので150名余りのランナーが富士山往復に参加、この大会は年々増えているそうです。
そんなランナーがスタート地点である、田子の浦港(白灯台)の前に集まる。
皆集合すると、白灯台が少ししか見えない。
今回は、参加人数が多いためウェーブスタート、私は最初のグループ、8月3日(土)18時ちょうどスタートになった。
富士山は今年もスタート地点からは望めない、山頂はどうなっているのだろうか?
カミナリ様の仮装での参加の人もいる、山頂で雷が鳴ってなければいいのだが。
富士宮浅間大社(CP-1)に着いたのが19:50
ここで富士山御神火まつりをやっていて、ランナーはその人ごみの中に紛れ浅間神社に参拝をし、これからの安全を祈願して富士山頂に行く。
標高2.000m(CP-2)に着いたのが22:36
料金所跡(CP-3)に着いたのが0:15
去年は、ここでエイドがあって、食料や水分の補給ができたのだが、今年は何もなかった・・・・・もしかしたら今年も、と思ったのだが残念だった。
この大会に参加するなら、富士宮の最後のコンビニから富士山五合目のところまでは何も補給できないことは覚悟して参加しなければならない。
その間の、飲み物は各自用意しなければならないのだ。
(施設エイドが一つあった、本当に助かった、そこでもらったコーラが何とも美味しかった)
標高2.000m(CP-4)には2:05
富士山新五合目(CP-5)3:31
ここで、服を着替え合羽を着て、ランニングシューズを足袋に書き換えた。
去年より涼しい気がする、去年は合羽を着なかったような。
7合目付近から息が苦しい、意識がもうろうとしてきた。
無理をせずに、休みを多くとって山頂を目指した、去年はこんなにも大変だったけな~?
この時点で、今回は去年より遅いので完走は諦めていた、帰りの五合目でリタイヤしバスで帰ることも考えていた。
富士山頂3.776m(CP-6)7:45
去年はここを7:35
去年と同じくらいのペースだ。
山頂のお迎え隊に名前とゼッケン番号を告げ、山頂剣ヶ峰に向かった。
途中、サングラスをかけた旅行者にスマホで写真を撮ってくれる様にお願いすると、その人は外国の人で日本語はわからないようだった。
それでも、身振り手振りで撮影してもらった。
山頂の天気は良かった。
バックは剣が峰3776m。
山頂を後にして同じ道を下山すると、呼びかけ人のヒロボーさんと出会う、
「五合目に10時までに行けば、完走できるよ」
そんな言葉に励まされ、下山を急いだ。
ところが、朝からの登山者が増え、上り優先で待ち時間んがあり、なかなか下山することができない。
そんな時、道を譲ってくれる人もいて、本当に助かった。
中には、下山の待ち時間にゼッケンの"海抜0メータから富士山を往復する"との文字を読み、「弾丸登山じゃない、ダメだよ」との声もかかった.。
世間の目は、ニュースで県知事が弾丸登山の禁止を訴えていたので、弾丸登山=悪 となっているのか。
それでも、今の私には夢がある、去年時間外で田子の浦港に着いたのは6時50分、誰もいない駐車場で夜、自分の写真を写した。
去年の写真
今年こそは時間内に完走できるかも、と思っての下山なのだ。
富士山新五合目に帰ってきたのが9:35
10時前に帰ってこれた、ここからよほどのアクシデントがない限り完走はできそうである。
標高2.000m(CP-8)
に10時42分
料金所跡(CP-9)
標高1.000m(CP-10)
は記入を忘れた。
この間、自動販売機もなく、手持ちの水分も底をついてきた。
そんな時に、であった施設エイド、ペットボトルを一本もらい正に命の水を手に入れた。
富士宮で、富士山焼きそばの屋台があったので、そこで焼きそばを食べる。
富士宮の町に入るとコンビニがあるので、ここでアイスを買うのを楽しみに走っていると、途中道路の路肩に
「富士山頂往復マラニックの選手の皆さんご苦労様間です。麦茶です」と冷えた麦茶と梅干をセットしてあるではないか。
地元の誰かがセットしてくれたのであろう。
感激してしまった。
今回の富士山頂往復マラニック、施設エイドに助けられた、最初の渡辺さんとミドさんのエイドから始まり、暗い料金所手前での施設エイド、
ここで私は持っていたタオルを忘れ、もう諦めていたけど帰りにも同じところにエイドがあり、忘れたタオルも帰ってきた。
新五合目では、富士山頂往復を走るランナーの仲間だろうか、女性のランナーが居た、そこでも一杯の飲み物を頂き手持ちのオニギリを食べた。
新五合目からの帰り、手持ちの水分が何もないとき、途中のトイレで水を汲もうとしたら、雨水なので飲めませんと書いてあり、補給をあきらめた。
去年エイドがあった料金所跡を通過するとき警備の人の麦茶が美味しそうに見えたな~。
そのすぐ後、これも誰かこのマラニックの参加者のラン友からペットボトルを頂いた。
料金所跡から富士宮の町まで(自動販売機があるところまで)が長い、そんな時、去年あった施設エイドのところに今年もあった。
そこでコーラとトマトジュースを頂いた。
富士宮に出るが、浅間大社までが遠いのなんの、やっと着いた浅間大社ではお祭りで大渋滞、子供たちのヨサコイが始まるところだった。
見たかったけど制限時間が迫っている、ゆっくりとはしていれない。
浅間大社(CP-11)14:20
富士宮の駅でランナー発見、電車に乗りそうな感じ、声を掛けたら・・・・山頂のお迎え隊をやってくれたサダさんだった。
「まだ十分間に合うよ、ガンバレ!!」
と励ましてくれた。
ここから15㎞
新東名の高架をくぐり行くと、施設エイドの人にスポーツドリンクを頂く、また行くとアイスを頂く。
俄然勇気がわいてきた。
目の前に見えてきた東名高速道路の高架橋を西富士道路と間違え右折してしまった。
なんかおかしいな~。
と思って、散歩途中の人に道を聞く。
何とか西富士道路に戻り、この道を南に田子の浦港に向かう。
時間は、5時、間に合うか・・・・・どうか。
せっかくここまで来たのだから、時間内に完走しなければとの思いから、走った。
歩道橋を渡り、自分の車が止めてある駐車場を横に見て。
去年の私のゴール地点だったところを過ぎ、今回はゴール地点のふじのくに田子の浦港公園に上った。
そしてゴールである、田子の浦港(白灯台)前にゴールした。
到着時間17時51分
総合時間23時間51分
ありがとう。
呼びかけ人であるヒロボーさん。
数々のボランテェアの皆さん。
そして富士登山では道を譲ってくれた登山者の人たち。
富士登山ではたくさんの外国人の登山者がいました。
すれ違いこちらから「こんにちは」とあいさつすると「コ・ン・二・チ・ハ」とあいさつを返してくれました。
こんな素晴らしい「富士山頂往復マラニック」来年も絶対参加したいです。
来年はゴール後に、美味しいビールを飲みたいから電車での参加をしなければ(^^)
富士山の見えない静岡県に住む私は、今日、富士山に登る。
静岡県は"ふじのくに"という。
静岡県公式ホームページにも"ふじのくに静岡県公式ホームページ"となっている。
http://www.pref.shizuoka.jp/
その中に「富士山憲章」のページがある。
http://www.pref.shizuoka.jp/bunka/bk-223/fujisannohi/kensyou.html
平成11年6月7日に設置された富士山憲章。
今 新たに、富士山憲章の全文世読み・・・・・・・そのことを踏まえ今日の出発を迎えよう。
そういえば、佐久間町にも"富士山"の見えるところがある!!
竜頭山の山頂近くにある展望台からだ。
(山頂からは見えない)
天気が良いに日、東側に少しだが見えるときがある。
明日の「富士山頂往復マラニック」
3年前に、このマラニックを知り、申込用紙を取り寄せて、その用紙に書いてある。
日本一の富士山を、海抜〇メートルから山頂3776メートルまで、24時間以内で往復する
まさに、標高差日本一の大会に挑戦してみませんか。
この言葉に魅せられ参加するようになった。
大会の趣旨は
参加者は、食料、水、防寒衣、ライト、(雨具)他、走るために必要と思われるもの全てを
デイバック等に入れ背負う等してして、コースマップに従って走ります。記録のみにこだわらず
24時間というなかで、海抜0メートルから日本最高峰富士山3776メートルを往復し
走ることを通して富士山の素晴らしらを感じ、楽しみながらゴールを目指し、並びに参加する
ひとりひとりが各々の行動に責任を持ち、安全には十分注意の上
「富士山頂往復マラニック」を楽しみます。
富士山が世界遺産になり、弾丸登山を止めるようにと静岡県・山梨県の両知事が言っていた。
しかし、それなりの準備をして私たちはマラニックを楽しもうとしている。
ただの観光ではなく、マラニックを通して富士山の素晴らしさを感じ、楽しみながらゴールを目指す。
そして走ることを楽しむ「富士山頂往復マラニック」を楽しむのです。
明日が楽しみ。.::・’☆(=^・^=)☆。.::・’
「富士山登山競争」
http://www.fujimountainrace.jp/forms/top/top.aspx
を知っているだろうか?
私は、この大会を聞いてはいたが参加することを躊躇していた。
ところが、新城の仲間が「富士山登山競争に行かないか」と誘ってもらい、私47歳の頃、初めて参加することになった。
当時は、初参加で山頂コースにエントリーできたのだった。
前日、新城の本長篠に三人が集まり、山梨県に向かった。
富士山の見えない静岡県に住む私はせっかく来たので富士山を見たかった、が、富士吉田市あたりに来たのに富士山は姿を見せなかった。
ところが、富士吉田市役所で前日受付をしていると、その富士山は顔を出した。
そして、この大会に何度も参加している新城の仲間は、その富士山をみて「あそこがゴールだ」と言った。
日本で一番過酷なハーフマラソン(21km)明日はあの富士山を走って登るのだ、18歳の頃、職場の仲間と登った富士山がそこにあった。
八合目の山小屋の屋根が輝いて見えた。
この大会に参加するための練習は、佐久間にある山「竜頭山(標高1351.58m)」に登った。
最初の舗装道路が肝心だと聞き、ほうじ峠にもよく走って上った。
インターネットでみると、この大会に向けての練習で富士山に足を運ぶ人もたくさんいるそうだ。
しかし自分は、地元にいいコースがあるので、ここで一人で練習した。
そして、初めて参加した富士山登山競争のスタート前、二〇〇〇人余りの富士山頂を目指す集団の中に私は入っていた。
そこの場所で聞いたことがある「山頂の女神に会いに行く」と。
その年、奇跡的に四時間二七分で山頂にたどり着くことができ、次の年は八合目でリタイヤ、次の年は悪天候のため五合目までで中止。
体力的にもう無理かなと思い、次の年からヒロボーさん呼びかけの「富士山頂往復マラニック」に参加するようになった。
ユックリ走るマラニックだけど、富士山の山頂までは遠く長い、それなりの練習をして望まないといけない。
今年はどんなドラマが待っているだろうか、山頂の女神は・・・・・微笑んでくれるだろうか?
静岡朝日テレビで 「世界遺産直前スペシャル 富士山」をやっていた。
「日本の心 Mt.Fuji」
私の心の富士山は、18歳のころ初めて上った富士山。
登山中は景色も変わらず苦しい思い出しかないのだが、山頂での御来光が神秘的で感動したのを覚えている。
それから月日は流れ、20歳後半になり、ジョギングを始め、フルマラソンを走るようになり、ジョギング仲間も増えてきた。
そのジョギング仲間から、「富士登山競争」の話を聞いた。
「富士登山競争」
http://www.fujimountainrace.jp/forms/top/top.aspx
そんな登山競争に私は平成20年7月25日初めて挑戦した。
ゴールタイム 4時間25分31秒
初めての挑戦で完走できたことはとてもラッキーだった。
次の年は悪天のため五合目までとなった。
五合目ゴール 2時間12分47秒
そして次の年は山頂まで行けず八合目で終わっている。
八合目 4時間01分43秒
私 しんしんの、50歳の夏が終わった。平成22年の夏の話。
そして平成24年の夏、次への富士山への挑戦は、「富士山頂往復マラニック」になった。
このマラニックは、静岡県の田子の浦港の白灯台から富士山頂までの往復を24時間以内に走るマラニックだ。
私は45分オバーでゴールした。
そのマラニックの時のブログ
no1
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%20%E7%AC%AC10%E5%9B%9E%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%A4%A7%E4%BC%9A
no2
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%20%E7%AC%AC10%E5%9B%9E%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%A4%A7%E4%BC%9A%20%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92
no3
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%20%E7%AC%AC10%E5%9B%9E%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%A4%A7%E4%BC%9A%20%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%93
そして今年、5月18日の「ぐるっと富士山一周ウルトラマラニック」
一日かけて富士山の裾野を一周した。
そのブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/20130519
私の心のMt.Fuji。
Tさんの案内で、富士山下山はお針廻りはしないで宝永山まわりでの下山にすることにした。
Tさんはもう何回も富士山頂往復マラニックを完走したことがある、そのTさんが言うには「このまま走行けば完走できるよ!!」そう言っていた。
5合目でリタイヤしようと思ていた私は少し欲が出てきた、完走だ~!!!。
後は下りしかない、そんな風に思っていた宝永山まわりだが、下りばかりでない、6合目の山小屋に向かうときは上りもあった。
それと須走では靴の中にジャリや砂が入り、大変だった。
新五合目には10時30分、ここの食堂でうどん(800円)エネルギー補給だ、Tさんがまだ食事をしていたけど私は一足先に新五合目を出発した。
よ~っし完走だ~。これからは下りしかない、頑張るゾ~。
そう思って走り出した。
が、靴の中が気になり、途中から歩きが入ってきた。
右に左にカーブを回り下ってきた、そんな道が平坦になってきてそろそろ第9チェックポイント料金所跡が見えてくるのではと思っていると、後ろから軽快に走ってくるTさんが居た。
Tさんに抜かれ、後をついて行こうと思っても、Tさんの背中は小さくなるばかりだった。
あそこの角を曲がるとエイドがあるのでは・・・・そう思いながら走っていたけどなかなか出ない、よ~やく着いたチェックポイン料金所跡には12時31分。
エイドでボランティアの人が食べ物・飲み物を出し私たちを待っていてくれた、疲れた身体でたどり着いたエイドは走るものにとって本当にありがたい、そのボランティアの一人に遠山郷で知り合ったAさんも働いていた。
ここでスイカを食べコーラを飲んだ、美味しかったな~。
そんな時、後ろで「新間さん私はここでリタイヤします」と声が聞こえてきた、豊橋のYさんだ、疲労で食べ物を食べれないそうだ。
私も、リタイヤしよう、来週 浜松縦断マラニックもあるし、無理しないようにした方が良いし・・・・・リタイヤする理由が次々と湧いてきた。
エイドの人に
私 :「私もリタイヤします」
Aさん:「エ~ダメだよ~、新間さんは!!!まだ行けるよ~」
私 :「・・・・・・」
Tさん:「私は浅間大社までは行こうと思います」
私 :「・・・・・行けるとこまで行こうかな~」
Tさんの後を着いて走り出した、Tさんの走りには着いていけず歩きが入ってきた、浅間大社まで20kmこんな調子で何時間かかるのだろう????
フラフラ歩いていると、遠くにビーチパラソルが・・・・エイドだ!!
私 :「浅間大社まではどのくらいですか?」
エイドA:「浅間大社まで10km、そこから田子の浦まで15kmですョ」
エイドB:「15時にエイドは撤収です。私は車で田子の浦まで行きますョ」
私 :「車に乗せてって~私リタイヤします(^^)」
ここで終わりにしよう、そう思った。時刻は14時40分、もう20時間以上走っているのだ、もう ここで終わりにしよう。
ところが、まだ少し15時までには時間がある・・・・・。
私 :「行ける所まで走っているので、途中で見つけたら拾ってください」
そういって、走り始めた。
もう少しで走る事を止めることができると思うと、順調に走る事が出来た。
時計を見ながら、15時になりエイドの人たちは撤収しているところかな?、そろそろ来るかな?
後ろを振り返りながら、走っていた。がが・が・が・が来ない(TT)
富士宮の町に出る、浅間大社はどこだ、昨日の浅間大社はお祭りでごった返していた、ようやく着いた浅間大社、ここまでこれたことに感謝し浅間大社に手を合わせた。
浅間神社16時25分、ここから電車と考えていたが、せっかくここまで来たのだから残り15km歩いてもいい とにかく行こう、自分の考えは変わっていた、とにかくゴールへ行こう・・・・と。
富士宮の駅前で、一人のランナーが居た、歩道橋の上から声をかけたが聞こえないようだ、電車に乗っていくのかナ~。
田子の浦に向かって一人歩いていると、背後から二人ずれのランナーが来たその一人から私に「走りましょう、ヒロボーさんの連絡で6時半までゴールを延長してくれるそうですよ」と教えてくれた。
二人ずれのランナーを追いかけるよう私も走るようになった、もしかすると時間内完走、完走Tシャツが手に入るかもしてないと希望が出てきたのだ。
田子の浦に曲がる高架の橋の所で、遠くに見える二人ずれのランナーが曲がろうとしない「お~い、ここを右だゾ~!!」聞こえないのだろうか、時間はまだ6時前、まだ間に合いかもしれない。
私は二人ずれのランナーを追いかけもせず田子の浦港へと高架の橋をくぐって右に曲がった。
ここからは車で何度も走ったことがある、田子の浦までは直ぐだ、痛い脚を引きずりながら少しペースを上げた、時間は6時、すると田子の浦まで5kmの標識があったのだ。
30分で5km???無理だ!!疲れた体では無理だ。
身体に力が抜け、ペースが落ちた、歩道橋をトボトボ上り、田子の浦港での直線道路ではもう日が暮れていた、最後、ラスト、は走った、ゴールを撤収した仲間が車で帰っていく、私は一人、私の愛車 軽トラの前にゴールした。
18時50分、24時間50分をかけて「富士山頂往復マラニック 第10回記念大会」を走破した。
富士山頂往復マラニック 112km 一日かけて富士山を楽しんだ。
走り始めて15km地点 浅間大社でのお祭り、そこから真夜中の走りでは大きな月明かりに見守られ走る事が出来た。
料金所跡でのエイドは食べ物 飲み物も沢山あり本当に助かった、夜の富士山から見える富士市の夜景も心に残っている。
富士山八合目からの登山は空気が薄いからか、大変苦しい思いをした。
山頂で私たちランナーを迎えてくれた人たちに感謝。
剣ヶ峰の手前で田子の浦の海岸で拾った砂を撒いたのは、今思うと石碑まで行けばよかったと 後悔している。
富士山の下山、宝永山を周った。
宝永山とは、末広がり広がる富士山の右側にあるチョコンとできた山だ、河口に大きな石が点在していた、一緒にいたSさんが自衛隊のテントかと勘違いしていた。
その他、思い出を語ったら尽きない、私の「富士山頂往復マラニック」だった。
富士山よ ありがとう。
2012年8月4日(土)の夕方6時、田子の浦港(ふじのくに 田子の浦みなと公園)を100名以上のランナーがスタートした。
ランナーは皆、それぞれに富士山に向かって走り出した。
私も、今年はこの富士山に向かうランナーの中の一員だ、背中のリックの中には富士山に登るため必要と思われる全て詰めた。
その中には、呼びかけ人であるヒロボーさんが最終確認要項書に書いてあった海抜0メートルの砂がある。
去年までは海水だったそうだが、今年は工事中で海水を汲むことができないため海岸の砂になったそうだ。
第一チェックポイントである富士宮の浅間大社に向かう途中の国道139号線沿いで日が暮れてきたのでリックの点灯ライトを点け 手持ちライトを用意した。
19時52分、田子の浦を走り始めてから1時間52分、浅間大社に着く、この日浅間大社はお祭りで多くの見物者でごったがえしている。
ランナーはここでこれからの富士登山を浅間大社に祈願する。
ここから、富士山に向かって上りが続く、富士宮の市街から外れると辺りは真っ暗だ。ランナーの点灯ライトを目印に歩みを進める。
途中知り合いのNさんに会い一緒に歩いた、私より年上の人生の先輩であるランナーの人の話を聞きながら二人で歩いた。
第3チェックポイント(料金所跡)に0時22分、ここにエイドがあり給食・給水をする。
何時もなら寝ている時間だ、でも今日 俺は富士山頂を目標に歩いている。
10分くらい休憩し、マイカー規制になった富士山スカイラインを新五合目を目指し歩き始める。
九十九折りのカーブを幾つ曲がっただろうか、夜空には月が光っている、星も瞬いている、眼下には富士の町の夜景がきれいだ。
新五合目に着いたが3時28分、トイレにより自動販売機で飲み物を買おうと思ったら電気が入っていなかった。
手持ちの飲み物は500mml一本、次の山小屋までこの一本しかない。
他のランナーはここで防寒着に着替えている、私は長袖シャツのまま五合目から登山道に入った。
一人きりの登山道、夜空を見上げると冬の星座であるオリオン座が見えた、唯一知っている星座だ標高が高いので見えるのだろうか?・・・・今 私は富士山に登っている。
6合目の山小屋に着き、はちみつレモンを買った、300円成り。
ここで、防寒着である山登り用のカッパを着た。
8合目近くなると辺りは明るくなってくる、夜明けが近い、駿河湾を一望できる、雲海が広がりその下に伊豆半島が見える、良かった登ってきて、この景色が私を迎えてくれたのだ。
8合目からの上りは辛かった、空気が薄くなたせいだろうか、息が苦しい。ヒロボーさんが富士山
3500m以上は地上とは別世界ですと書いてあった、高山病ではないだろうか????
自分の腕を手に取り脈泊を見た・・・・早い・・大丈夫だろうか?????
近くの人に、自分の顔色を訪ねたら「ピンク色ですよ・・・大丈夫です」と答えてくれた、それに安心したのか、なんか楽になた(^^)
9合五尺の山小屋からは大渋滞、山頂が見えているのだが人・人・人ここは下山する人もいて本当に前に進めない状態だった、最終確認要項書にも書いてあった通りだ。
そんな時、一般の登山客だろうか、一人登山道を外れ下って山を下ってくる男性がいた、その男性が大きな石に足をかけたらグラグラとその石が動いた、下には私を含め沢山の登山客が渋滞の中で山頂を目指している。
一つ間違えば重大事故だ、その人は上りの登山客のブーイングで登山道に戻った。
富士山頂に着いたのは7時35分、富士山頂でヒロボーさんに会い写真を撮ってもらった。
その後、剣ヶ峰に向かい田子の浦から持ってきた砂を石碑の所へと思ったのだけど、人があまりにも多いので、手前の所にその砂を撒いてきた。(ちょっとズルかな(^^)
また、ヒロボーさん達のいるところに行くと、食べ物と飲み物があるので休憩し話をした。
やっと、ここまで来た、田子の浦から富士山頂まで、自分なりの目標を達成した瞬間だ。
帰りか~、もういいか五合目まで帰ってそこからはバスで帰るか今回はここまで・・・そんなことを思っていた。
下山のことは地図を見ればとしか考えていなかった、どうしようかな~。
そこへ富士山頂往復マラニック常連のTさんが居たので帰り道を一緒に走ってもらうことにした。
帰り道は、宝永山周り、毎年 道を間違え御殿場口の方に下山する人がいるらしい、Tさんの道案内の元、下山するため山頂を後にした。
次回につづく。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
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