2012年8月4日(土)の夕方6時、田子の浦港(ふじのくに 田子の浦みなと公園)を100名以上のランナーがスタートした。
ランナーは皆、それぞれに富士山に向かって走り出した。
私も、今年はこの富士山に向かうランナーの中の一員だ、背中のリックの中には富士山に登るため必要と思われる全て詰めた。
その中には、呼びかけ人であるヒロボーさんが最終確認要項書に書いてあった海抜0メートルの砂がある。
去年までは海水だったそうだが、今年は工事中で海水を汲むことができないため海岸の砂になったそうだ。
第一チェックポイントである富士宮の浅間大社に向かう途中の国道139号線沿いで日が暮れてきたのでリックの点灯ライトを点け 手持ちライトを用意した。
19時52分、田子の浦を走り始めてから1時間52分、浅間大社に着く、この日浅間大社はお祭りで多くの見物者でごったがえしている。
ランナーはここでこれからの富士登山を浅間大社に祈願する。
ここから、富士山に向かって上りが続く、富士宮の市街から外れると辺りは真っ暗だ。ランナーの点灯ライトを目印に歩みを進める。
途中知り合いのNさんに会い一緒に歩いた、私より年上の人生の先輩であるランナーの人の話を聞きながら二人で歩いた。
第3チェックポイント(料金所跡)に0時22分、ここにエイドがあり給食・給水をする。
何時もなら寝ている時間だ、でも今日 俺は富士山頂を目標に歩いている。
10分くらい休憩し、マイカー規制になった富士山スカイラインを新五合目を目指し歩き始める。
九十九折りのカーブを幾つ曲がっただろうか、夜空には月が光っている、星も瞬いている、眼下には富士の町の夜景がきれいだ。
新五合目に着いたが3時28分、トイレにより自動販売機で飲み物を買おうと思ったら電気が入っていなかった。
手持ちの飲み物は500mml一本、次の山小屋までこの一本しかない。
他のランナーはここで防寒着に着替えている、私は長袖シャツのまま五合目から登山道に入った。
一人きりの登山道、夜空を見上げると冬の星座であるオリオン座が見えた、唯一知っている星座だ標高が高いので見えるのだろうか?・・・・今 私は富士山に登っている。
6合目の山小屋に着き、はちみつレモンを買った、300円成り。
ここで、防寒着である山登り用のカッパを着た。
8合目近くなると辺りは明るくなってくる、夜明けが近い、駿河湾を一望できる、雲海が広がりその下に伊豆半島が見える、良かった登ってきて、この景色が私を迎えてくれたのだ。
8合目からの上りは辛かった、空気が薄くなたせいだろうか、息が苦しい。ヒロボーさんが富士山
3500m以上は地上とは別世界ですと書いてあった、高山病ではないだろうか????
自分の腕を手に取り脈泊を見た・・・・早い・・大丈夫だろうか?????
近くの人に、自分の顔色を訪ねたら「ピンク色ですよ・・・大丈夫です」と答えてくれた、それに安心したのか、なんか楽になた(^^)
9合五尺の山小屋からは大渋滞、山頂が見えているのだが人・人・人ここは下山する人もいて本当に前に進めない状態だった、最終確認要項書にも書いてあった通りだ。
そんな時、一般の登山客だろうか、一人登山道を外れ下って山を下ってくる男性がいた、その男性が大きな石に足をかけたらグラグラとその石が動いた、下には私を含め沢山の登山客が渋滞の中で山頂を目指している。
一つ間違えば重大事故だ、その人は上りの登山客のブーイングで登山道に戻った。
富士山頂に着いたのは7時35分、富士山頂でヒロボーさんに会い写真を撮ってもらった。
その後、剣ヶ峰に向かい田子の浦から持ってきた砂を石碑の所へと思ったのだけど、人があまりにも多いので、手前の所にその砂を撒いてきた。(ちょっとズルかな(^^)
また、ヒロボーさん達のいるところに行くと、食べ物と飲み物があるので休憩し話をした。
やっと、ここまで来た、田子の浦から富士山頂まで、自分なりの目標を達成した瞬間だ。
帰りか~、もういいか五合目まで帰ってそこからはバスで帰るか今回はここまで・・・そんなことを思っていた。
下山のことは地図を見ればとしか考えていなかった、どうしようかな~。
そこへ富士山頂往復マラニック常連のTさんが居たので帰り道を一緒に走ってもらうことにした。
帰り道は、宝永山周り、毎年 道を間違え御殿場口の方に下山する人がいるらしい、Tさんの道案内の元、下山するため山頂を後にした。
次回につづく。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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