世界遺産「富士山」
この富士山を、海抜0メートルから富士山頂(3776m)を24時間で往復するというマラニックを企画している人がいる。
「富士山頂往復マラニック」
スタートは、富士田子の浦港の白灯台の前からだ。
ここを土曜日の夕方6時にスタート。
一時間を3年だから54歳、まさに今の自分の年のころだ。
国道139号線を富士宮に向かって走っていく、第一チェックポイントは富士宮の浅間大社。
ここでは、お祭りの真っ最中だ。
ここを19時50分。
サラリーマンだったら定年の年。
やれやれの年ですかな(^^)
祭りで人ごみの中を行き浅間大社に参拝、これからの富士登山の安全を祈願する。
富士宮からは県道180号線(富士山スカイライン)を富士山に向けてただただ上る、富士宮の町を抜けると辺りは真っ暗。
第二チェックポイント(標高1000m)
22時36分
もうしんどい、走ることもできず早足で歩くようになる。
第三チェックポイント(料金所)ここで0時35分
もう人生が終わり、次の人生が始まったところだ。
料金所からは、県道152号線。
標高も上がってきたので涼しくなり風が気持ちいい。
空を見上げると満点の星空だった。
第四チェックポイント(標高2000m)
2時05分
小学校に入ったころかな(^^)
第五チェックポイント(新五合目)
3時35分
小学校高学年
第六チェックポイント(富士山頂)
7時45分
青春真っ只中
山頂での景色は抜群だった。
天気も快晴だった。
第七チェックポイント(新五合目)
9時35分
男三十頑張れる盛(^^)
第八チェックポイント(2000m)
10時24分
私が走り始めたころかな(^^)
第九第十はチェック忘れ。
第十一チェックポイント(浅間大社)
14時20分
40歳代は働き盛りだけど、病気や怪我には気を付けなければ(^^;
ゴール(田子の浦港白灯台)
17時53分
子供も巣立って、夫婦でユックリできるころ。
そんな時に、ゴールができた。
こんな風に丸一日かけて世界遺産になった富士山を楽しむことができた。
人の一生を一日と例えると。
私の「富士山頂往復マラニック」を経験して24時間寝ずに走ったことで思うことは。
一日のうちでいい時も悪いときもない。
朝には朝の良いところがあり。
夜には夜の良いところがある。
また辛いときも苦しいときもあるということです。
そんな事を乗り越えて迎えたゴールはものすごく感動するのです。
自分の人生もこのようにしなければと思った。
ジャンシャン。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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