隣には横吹(よこぶき)から来た夫婦、なっちゃん(80歳)と いちにい(85歳)が住んでいる。
私の家の両親は、二年前 父(たけしに~)享年74歳が他界し、母親(ひさね~)84歳は 特別養護老人ホーム(さくまの里)に入所している。
なっちゃんは「たけしに~が生きていててくれれば横吹(よこぶき)の昔話もできたのに、寂し~~」と何時も話してくれる。
そんな なっちゃんに「お昼御飯が住んだら 一緒に母が居る特別養護老人ホーム(さくまの里)に行きませんか?」と話をしてみた。
お昼ご飯を食べ、車のあるところに行くと。
少し おしゃれをした なっちゃんは私のマイカー(軽トラ)の前の木陰で しゃがんでいた。
車の中で なっちゃんは「親は生きているうちに何度でも見に行けね~」「死んでからいくら悲しんでもダメだ!!」言っていた。
さくまの里 行き、母の入所している棟に行くと、何時もは車いすで居る母は 今日は部屋のベットで横になっていた。
担当の介護士さんが 言うには丁度介助の最中だそうだ。
今日は"母の日"痴呆の母親には何もわからないかもしれないが、
昨日も竜頭山に登りました。昔のままの落ち着かないわがままな息子です、そんな息子は今年 52歳になりました。
と心の中で 母に伝えてきた。
たけしに~、ひさね~、なっちゃん、いちにい みんな山の斜面にある村 横吹(よこぶき)で助け合いながら暮らしていた仲間だ。
部屋を見渡すと、母のタンスの上に、さくまの里の介護士さんからの 母の日のプレゼントがあった。
さくまの里の介護士さんに感謝!!
私には13歳年上の兄がいる。いや居た。
1997年(平成9年)私38歳の夏、中部のお祭りで酔っ払って騒いでいた時に電話がかかってきた。
母親からだ。
母:「政彦が転勤先で吐血して入院したらしい」
俺は営業の仕事で気を使い、胃潰瘍にでもなったのかもしれないと思って。
私:「胃潰瘍かなんかじゃない?」
母:「どうもそうではないらしい・・・・」
次の日、兄の奥さんが二人の子供をつれ佐久間の私の家に来たのだった。
何が何だかわからないまま、私の車で私、義理兄、義理姉、父、4人で兄(政彦)の入院している埼玉の獨協病院に行ったのだ。
高速道路を走る車の中で、どうも兄は癌という病気にかかているのでは、そんな話になっていた。
病院に着くと、兄が入院している病棟に行き面会をした。
点滴の注射をつけてはいるが、笑顔さえ見せて話す兄を見ていると・・・・まさか・・・そんなわけがっと思った。
そんなことを思っているときに、主治医から話があるので親戚の方は来てくださいとの話がある。
私は、主治医の話を聞くことはやめた。
兄と話をしていたかった。
13歳も年上なので、小さいころ遊んだ思い出はないけれど、母親から話はよく聞かされていた。
「政彦はよく勉強していた」「政彦は本ばかり読んでいた」
私は小さいころ勉強が嫌いで遊んでばかりいた、そんな俺を母は叱るときいつも。
「政彦はよく勉強したが お前は・・・・」
と、怒られた記憶が多くある。
兄はベッドで眠り始めたので、私は車に戻っていくと、主治医の話を聴きに行った義理兄が来た。
義理兄:「癌だそうだ、胃、肝臓にまで転移しているそうだ」「もって3か月だそうだ」
兄は転勤族で、静岡から東京・八戸・青森・(その間子供も男の子ばかり4人恵まれた)そして今の山梨県甲府市に来た。子供も大きくなったので単身赴任で埼玉に行っていた その矢先の病気だった。
酒は飲まないけど、タバコやコーヒーは好きな人だった。
8月の半ばに告知され、10月16日この世を去った。
兄51歳の秋だった。
今思えば、もっと話をしておけばよかったと思う、過ぎたことを悔やんでも何もならないかもしれない。
人生にはゴール(死)がある、それは何時 どのようにして来るのか誰もわからない。
これかの人生、生きていることに感謝し、亡き兄の分まで人生を楽しまなくては。
合掌
今年咲いたツツジの花が枯れ、今日はそのツツジの刈り込み作業をしていた。
今日は佐久間は真夏日、汗をかきかき作業していた・・・そんな時、母親がお世話になっている特養「さくまの里」から電話だと、事務の人から呼び出しがあった。
電話では「○○さんが意識が無くなり今 佐久間病院に運ばれました・・・」「今検査しています・・・」そんな内容だった。私は「昼間様子を見に伺います」と言って受話器を下した。
如何したのだろう? あまりの暑さに・・・・いや~な予感・・・・。
昼前に家内からメール「休みを取ったので、オバアチャンの看病に行きます」
早めに昼食をとり、佐久間病院に向かった。
佐久間病院の処置室に行くと、オバアチャンが寝ていて隣で家内が椅子に座っていた。
家内の言う事には、元気だョ、今までいろいろ話して今ちょうど寝たところ、検査の結果は悪い所は今のところないそうだョ。
点滴のにつながれ、酸素を鼻から吸って静かに処置室で寝ていた母親。
特養「さくまの里」にお世話になったのが81歳の時、認知症になり徘徊がひどく警察・消防団・警察犬・ヘリコブターでの捜索も、父親の日々の仕事が母親さがしだった。
今 そんな母親が、佐久間病院の処置室で横になっている・・・。
私 「オバアチャンは今 84歳・・・かな」
家内「85歳だよ、今日が誕生日 息子でしょ 母親の誕生日ぐらい覚えときな!!!」
私 「・・・・・・・・・」
そうか~、今日が誕生日か~~~。
今年も佐久間は暑くなりそうだ、体に気を付け無理をせず、私も私なりに齢を重ねていこう。
色々なことがあった今年 11月に浜松駅から遠山郷まで90kmを走って翌日から腰痛になった。
その腰痛も大分よくなり、今朝は5km走ってみた、なんとか走れる、しかし無理は禁物、今日はここまで。
年末の大掃除の合間を縫って、午後からお墓参りに行ってきた。
去年の今頃は父と二人でお墓参りに行ったのだが、5月に父の癌が見つかり74歳でこの世を去った。
もっと 色々なことを話しておけばよかったな~ 。
生前 父は「お墓は、あまり綺麗にしていると不幸がよくある家だと連想させるから」と言っていたのに。
あるときテレビで細木数子が「お墓は綺麗にしておかないと、その家は不幸になる」そんなことを聞いてから、お墓を綺麗に磨くようになった。
バケツに、お墓を磨くための、たわしを入れて。半場からお墓のある相月に私の愛車 軽トラで出発。
ここ”ほくえん”は朝から寒く、相月に向かうとき見えた竜頭山は真っ白だった。
そんな竜頭山に、こんな日も登っているのか車が2台、登山口に駐車してあった。
相月の墓地で、去年父がしたように、今年は一人お墓の掃除をした。
枯葉取り、お墓磨いた。中腰での作業は腰にはよくないが父のやってたことだから。
花を祀り、線香に火をつけようとしたら、雪が降ってきた。
今年の年末は寒い、天気予報でも、山間部は雪だといっている。
竜頭山に登っている人たちは 大丈夫だろうか。
5月16日 今は亡き親父に、自宅で床屋をやってもらった。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/240/#comment
その坊主頭の髪の毛が伸びてきた。
親父の部屋を片付けていたら、「柳家ポマード」が出てきたので、髪の毛に付けてみた。
ポマードなんか付けたの何年ぶりかな~。
C型肝炎だった親父が、肝臓癌になり。
病院の親父の主治医から電話が有り、呼び出され、余命宣告された。
俺は親父に「髪の化が邪魔くさくなったで、バリカンで坊主してくれ」っとたのんで刈ってもらった。
坊主頭。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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