今日は会社に休みをもらい、親父の35回忌で相月(あいづき)のお寺に行った。
お寺に入る前にお墓に、トウバを供え、残りのトウバを持って、御寺入った。
お経をあげてもらい、7月の四九日のお話を和尚様を話し合った。
親父名義の土地の相続登記の話を聞きに、浜松にある法務局に行くのだ。
途中、浜北の「五味八珍」で昼飯、浜松合同庁舎に着いたのが1時半かな。
浜松合同庁舎の6階、静岡地方法務局(浜松支部)の受付に聞き、登記相談窓口に。私の登記相談受付番号は25番だった。
お金もないし、出来るなら手間がかかっても、自分で相続登記をとここに来たのだ。
登記相談で登記事項要約書を貰ってくるように言われ、5階の窓口に、登記事項要約書を貰って、これからのことを聞いたら。
まあまあ、色々な手続きが多くありそうで。司法書士に頼んだ方が良いのではないかとの結論になった。
「司法書士の人に持っていき、どのくらいかかるか聞いてみた方が良いのでは」と言う話になった。
登記相談窓口の人は、私の言い分を親身になって聞いてくれ、本当に優しい対応だった。
一日、暑い中、軽トラックでアッチに行ったりコッチに行ったり。
疲れた一日だった。
昨日、遠山郷あんばまい館(遠山郷観光協会)から手紙が届いた。
今年の、チャレンジマラニックin遠山郷の申し込み用紙だ。
開催日は9月19日(日)
今年は 55kmの部と45kmの部になっている。
去年は前夜祭、無料で個人的に持ち込みを・・・っと書いたあったのいで、私は缶ビールを持っていった。
今年は、会費1500円と書いてあった。
もちろん、今年も前夜祭・後夜祭とも参加するつもりである。
申込書と一緒に、去年のチャレンジマラニックin遠山郷のケーブルテレビでの放送でやったDVDが入っていた。
80歳のランナーが、今は亡き妻の写真をペンダントに入れて、遠山郷を駆け抜けた。
74歳の自分の父親を見てきてからのDVDだったので、なぜか泣けてきた。
健康、何物にも変えれない宝物。
幼稚園の頃まで、横吹(よこぶき)の家で猫を飼っていた。
名前はタマ。
兄弟は12歳年上の姉、14歳年上の兄だった私は、兄弟との遊びがなく、そのタマが遊び相手だった。
幼稚園に入ったころ、そのタマも年老いて、元気がなくなり死んでいった。
とうちゃ~(当時 父親の事をそう言っていた)が横吹の家の畑にお墓を作ってご飯を祭った、幼稚園の帰りにそのお墓を拝んで帰った思い出が有る。
夕ご飯のころ、幼稚園の私が「タマはおなかはすいてないかな~」っと言ったそうだ「ご飯も祭ったで、今頃食べているワイヤ」っと とうちゃ~が言ったら、幼稚園の私が泣いたそうだ。
横吹の家にも、テレビが入り。
金曜日の夜8時からプロレスをやっていた。
プロレスをやらない日は、動物の物語をやっていたような気がする。
野生の動物の記録物語だったような。
野生の鹿の親子が普通に暮らしていた。
ある日 母鹿が鉄砲で打たれ死んでいき、子どもの鹿が母鹿の死んだのを解らず、押したりしても動かない 。
あきらめた子鹿は、これから一匹で野生の中で生きて行かなければならない。
山の方へ、一匹で走って行く子鹿の姿をテレビで見ていると、無性に泣けてきた。
小学校に通っていたころの私だった。
16時 仕事を終わり。
佐久間病院に父の顔を見に行き、何か持ってくるののはないかと尋ねた。
「ゴミ箱を持って来て欲しい。車庫の横にあるで」
食べ物を食べることもできない。木曜に買ったペットボトルのお茶も飲めなかったと言って、そのペットボトルを私によこした。
代わりに、職場で頂いたスポーツドリンクを置いてきた。
新城へ行き、「戦国街道ラン」でお世話になっている「すねえもん倶楽部」の会長経営の会社に行く。
5月29日の「佐久間・水窪スーパーマラニック」の障害保険の申し込みなのだ。
それが終わると、西鹿島駅へ行く。
我が家の二女が、佐久間に帰ってくるので「西鹿島駅に16時10分に来てほしい」と連絡が有り、迎えに行くのだ。
ところが、30分遅刻。
佐久間に帰ってきたのが7時半、車庫でゴミ箱を探すが見当たらない。
着替えを持って、佐久間病院に父の顔を見に行った。
イヤホンを着けテレビを見ていた。
「おい!」と声をかけるとビックリしていた。
面会時間は20時まで、顔を見ただけで帰ってきた。
74歳、テレビ好きなオヤジ・・・・・、食欲が無く、飲むこともままならない。
大変だけど、今 好きなテレビを見ている。
私も、今日は好きなことで、駆け回った。
「走る事」「ラン友」「家族」の為に。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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