ゴールデンウイーク、1日は ほうじ峠の登りを走り、2日 昨日は「佐久間・水窪スーパーマラニック」60kmのコースを走ってきた。
流石に今日は筋肉痛(T_T)
家でパソコンをやっていた。
午後3時過ぎ、よ~やくパジャマを着替え、母が入所している特別養護老人ホーム「さくまの里」へ歩いて出かけた。
痴呆になった母は、息子の私の事さえ解らない、意味不明な事を何時も話している。
佐久間に越してきて、痴呆になった母は、前住んでいた横吹を目指し歩いて行っては、家族に心配を掛けた。
夜中、父親から呼び出され、探し回ったことも幾度と会った。
今は、特別養護老人ホーム「さくまの里」にお世話になるようになって、家族の負担は楽になった。
今、自分が走れるのもそのおかげ。
昨日、姉の娘(姪)から頂いた、お節料理。
料理学校に勤めているだけあって、色々手が込んでいます。
「おせち」という言葉はもともと「お節句」が変化したもので、いわゆる五節句に神前にささげる節句料理の総称でした。
1年で一番大切なお正月料理だけに「お節」という言葉が残ったといわれています。
お正月におせち料理を食べるのは、正月の三日間女性が休養できるようにとよく言われますが、本来は、神様を迎えている間は物音をたてたり、騒がしくせず、台所で煮炊きをするのを慎むというところから来ているそうです。
今日は、佐久間中学校卒業生の同窓会。
里帰りをしてきた人も、もう家も無いので、久しぶりに佐久間に帰って来た人も、昔に帰って楽しく語らうことだろう。
お正月は、神様を迎えている時、本当は騒がしくせづに居なければならないのだが、神様もビックリなくらい騒ぐだろうな~。
今日は母のお世話になっている特別養護老人ホームの草刈り。
今年は、草刈り機を持って参加した。
終わってから、懇親会があるのだが、今回は欠席でハガキを出した。
草刈りをやり、汗をかいた後のビールは最高だ、しかし今回は、友達が午後来るのでやめることにした。
ここの老人ホームは、家族会があり、草刈とか、新年会、などやっている。
職員の人も、気さくな良い人ばかりだ、こんな人達に見守られ、母はここで暮らしている。
そこの 特別養護老人ホームの中を歩いていたら、ホームの理念が書いてあった。
-佐久間の里 理念 -
『私たちは、利用される一人ひとりと
手をつなぎ、心をあわせ、だれもが
自分らしさを大切にできることを
原点とします』
13年上の兄と、12年上の姉がおり。
母親の3番目の子供として、横吹(よこぶき)で産声を上げたのである。
父は私が中学校当時に車のい免許を取得し、我が家に車が入ったのである。
車は日産サニー、この車で、遠くの仕事にも行けるようになり、旅行も連れて行ってくれた。
しかし、道路が、横吹(よこぶき)にはついていないので、麓の国道に車を置いて、横吹(よこぶき)の家まで歩いてくる生活だった。
買い物で荷物が多い時などは、家まで、物を運ぶゴンドラを使い、運ぶのであった。
不便だけど、山の上に家があるのでしょうがなかった。
私が、湖西市の工場に就職し10年、横吹を引っ越そうという話が出た。
どうせ、横吹(よこぶき)を出るのなら、湖西で土地を探し湖西に住もうと、両親を誘ったのだが、やっぱり昔から住んでいる佐久間を離れたくないらしく、横吹(よこぶき)の近くに引っ越すことになった。
引っ越し先は、佐久間町半場。
ここは、車も家のすぐ前に止められる、買物だってすぐ行ける、学校も近くにあり、良い所だ。
佐久間に越してきて、職場の仲間に「佐久間駅伝に参加しよう」っと誘われ、その年、私29歳の春から、家の前を走り始めた。
裸同然の身体で、消防署員のタンカーに乗って下りてくる母、生きていた。
訳のわからないことを言っている。
病院で診察してもらい、警察に事情聴取、家に帰った。
その年の秋、近くの特養から電話、特養への入所の順番が来た。
自分では判断できず、父に相談した。
もう、我慢の限界、特養のお世話になることを家族で決断した。
2007年11月27日 母は特別養護老人ホーム 「佐久間の里」へ住所を移した。
母の部屋が決まり、そこからの景色を、写真に写した。
http://run2.ina-ka.com/www3/Untitled4.html
7年前、私が NHK学園に入学した頃から、何時の日かこんな日が来るのではないっと思っていた。
NHK学園を卒業し、専攻科(社会福祉学科)に入学し、介護福祉士を目指す時には、あと二年、頑張ってほしいと思っていた。
もう特養にきて、2年なろうとしている。
最近の診断で、脳の委縮が進んでいると説明があった。
ひとりごとが多くなる。
遅かった夏休みも、今日が最後になった。
今日の午後には、母が入所している、特養に母の顔も見に行った。
思えば、3年前の春。
職場で休憩中に、父親から電話が「おば~っが、またどっかにいったで・・・・・」そんな電話で、急いで家に帰ったら、娘が一人留守番をして居た。
もう、お昼から、見当たらなかったそうだ。
父は、車で探しに行っている。
夜は更けてくる、区の人に相談して、同報無線で呼びかけてもらった。
夜は、区の人達や、警察も警察犬も出動になった。
それでも、見つからない。
外は、冷たい雨が降り始めた。
夜、姉が家を掃除して「もしかしたら・・・・」と言った。
こんな寒い日に・・・・・。
80歳 母の人生。水窪から横吹にお嫁に来て、今の住む場所へとの引っ越し。
年老いて、痴呆が始まり「横吹に帰りたい、水窪に帰りたい」と言いていた・・・・。
翌朝も雨の中、捜査が始まり、お昼ごろ。警察犬が、吠えた山の上で、母が発見されと、無線に連絡が入った。
夢中で、山に向かって走って行った。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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