浜名湖リゾート&スパ ジオーシャンに早く着き○田さんに出会い、世間話をして受付を手伝ってと言われた。
OKとばかりにやるようになった。
昨日書いたように顔は見たことがあるが、名前が、、、、。
そんなことがある。
自分の夢Tシャツの事もあるので、ほんとうは誰かにやってほしかった。
が、いつもお世話になっている○田さんのオネガイだ。受付を優先にしなければならない。
大○さんが申込書にハンコが無かった話がでる。
「私のはハンコを押してほしい」
大○さんは大○さんで言いたいことはある。
「わかったわかった、これから気を付ける」
大○さんがそう言って受付である私に参加誓約書を渡した。
その誓約書にはハンコが無かった。ガックシ。わかっているのかナ~。
朝のあわただしい時、自分のやりたいこともある。
観て見ぬふりをして、黙って受け取った。
忘年会が終わって○田さんが参加誓約書を確認して後で叱られるかもしれない。と思った。
が、そのときは、私はこう判断した、そのときは黙っていた。
「わかったわかった、これから気を付ける」
と言った大○さんにコッソリ伝えた。
私 :「ハンコなかったョ。気をつけて走ってネ」
大○:「えっ無かった。如何しようか~出すのヤメル」
○田さんに言われたら忘れたと言って謝っておく。
○田さんの気持ちは痛いほどわかる。大○さんの気持ちもわかる。
そんなこんなで時間が経って、スタート会場へ
2018年
浜名湖半周忘年ラン参加メンバー
女性15人 男性24人
わたしは先週の袋井クラウンメロンマラソンの残念な結果を払拭するように前を走った。
といってもマラニック、お話ししながら走った。
世間話をしながら走るのがマラニックの良いところ。
トモゾウさんと竹○さんと、ウッチャンがバカ速い 凄い人だと話をしていた、すごいナ~っと。
浜名湖を眺めながらのジョギング、すると、後ろからきた、元気100倍のウッチャン。
今日はヨッピーのリックを背負っての参加だそうだ。
左からトモゾウ・カッちゃん・ウッチャン
マラニックはこのスタイル。
リックに必要な物を詰め込んで走る。
その必要な物は自分で考える。他の人に聴くのもいい。それを参考に自分で考えて必要な物をそろえる。
なにか大切なものを忘れた時、他の誰かが持っていて助かる場合もある。例えば絆創膏や痛み止めなど。
基本は自己責任。いつも誰かが助けてくれるとは限らない。
舘山寺に着きコンビニで買い物。○崎さんは缶ビール。美味しそうだった。
去年までだったら舘山寺から遊覧船で瀬戸港まで行くのだが、台風24号の被害により営業を中止しております。と、なっており。天竜浜名湖鉄道の気賀駅まで走ることになる。
舘山寺から浜名湖100㎞のコースだと思い初参加の女性ランナーと一緒に気賀駅を目指した。
ところが、○田さんがメールで添付したコースは違っていたそうだ。
(添付のコースマップは見ていない、どうせ一緒だとかってに思い込んでいた)
また○田さんに叱られる(泣)
○田さんには悪いが、浜名湖100㎞のコースの方がわかっているし、浜名湖沿いだから景色も良いから、指定した道から外れ浜名湖100㎞のコースを選んだ。
後ろから佐久間で市町村駅伝が縁で知り合った○出さんが「コースどっちですか?」と尋ねてきた。
男性二人が正規のコースを行くので、私たちは浜名湖100㎞のコースに行きます。男性二人が行くコースが正規のコースです。と答えた。
ついでに
「ちなみに男性二人は独身です」
と冗談を言ったら、隣の女性が笑った。
初参加の女性と二人走っていたら前方に初参加の人と一緒に来たという女性が走っていた。
初参加の女性が言うには、彼女は奥の細道、芭蕉の通った道を走ったという。
その女性に追いつき、その話を聞くと
芭蕉の句を一句
「蚤しらみ馬の尿する枕もと」
芭蕉が一夜を過ごした家に行ってきた話をしてくれた。感動したと話してくれた。
女性が一人で奥の細道 全行程600里(2400キロメートル)を走ったのか~。
日本は治安がいい。世界に誇れる国だ。
(税金は高いが)
気賀の関所に着いた。
ココは去年の浜名湖一周100㎞で、城西小学校5・6年生のときの担任の先生にウン十年ぶりに出会ったところだ。
去年のブログ
ぐるっと浜名湖一周エンジョイ・マラニック2017
気賀駅は気賀の関所のすぐそばだった。
わたしの娘のアパートが近くにあるので届け物を持っていく。
帰って来て気賀駅に着いたらみんなビールを飲んでいた。
俺もと思ったが、自動販売機の日本のサイダーで我慢した。
気賀駅で集合写真、気賀駅は直虎ブームの面影があった。
酒飲んでいなかったけど酔っ払い状態だった。
電車が来て、天浜線に乗り込もうとしたら。ポケットの中にあるはずの財布がないのにきずいた(汗)
つづく。
今年は行かないようにしよう。
そう思ったけど、二度目の お誘いで参加するようにした忘年ラン。
昨日の日曜日、中部天竜駅から始発の電車に乗った。
今回は乗客は二人だった。
話しは変わるが、川村カネトの合唱劇を観たことがある。
昔、NPOがんばらまいか佐久間の活動委員会に入っていた頃だ。
そんな物語があったとは知らなかった。
遠山郷の観光協会の会長と知り合って、様々な事を話すようになった。
「何時かは飯田線も奥三河から廃線になるかもしれてない。」
「そうならないように飯田線を利用する企画の考える」
遠山郷の人たちで豊川稲荷へ行ってきたと言っていた。
また、浦川の知り合いから、こんな話も
PTA会長だった彼は合併時に中高一貫だと浦川中学校と佐久間中学校を統合させた時に、通学時に不便だった飯田線のダイヤを改正してくれないかと豊川駅までPTA役員とでかけたそうだ。
その時、丁寧に対応してくれたJRの人に、このように言われたそうだ。
「ところで今日はココまで何で来ました?」
「車です」
「こんな時は飯田線を利用してほしかった(笑)」
飯田線にゆられ豊橋駅について、東海道線の浜松行の電車に乗った。
大きいリックだったので出入り口の所で立ってスマホを見ていた。
鷲津駅を過ぎたのは気付いたが、スマホに夢中で次の駅で降りてしまった(泣)
一駅手前の新居駅(汗)
寒いホームで二十分待って次の電車で一駅前の弁天島の駅に行った。
中部天竜駅~弁天島駅まで1660円
浜名湖半周忘年ランの集合場所は弁天島駅前の浜名湖リゾート&スパ ジオーシャン
そこに8時には到着。
ロビー内のにあるカウンターでラーメンを食べた。
冷えた身体に温かいラーメンは美味かった。
欽ちゃんヌードルだけど。。。
そのうち呼びかけ人である○田さんが来た。
受付を頼まれる。
参加者名簿の人たちは知っている人が多い。
しかし、顔を見ても名前が出てこない。
名前は思い出しても、苗字は何だっけ?
そんな状態だけど、○田さんは違う。出会うと瞬時に名前を呼ぶ。
素晴らしい。
この人の頭はどうなっているのだろう。
長年付き合って分かったことは、頭の中が整理整頓されている、こと。そう思った。
鍵山さんの本「掃除道」を読んでも、整理整頓されている。
その人の身の回りの整理整頓が、同じように頭の中も整理整頓されているのだナ~っと、思った。
自分は、昨日酔っぱらって帰って来て、脱ぎ散らかした服がある。
あ~あ。
頭の中も、こんなのか。な。
つづく。
写真はウッチャンから お借りしまし(笑)
毎年10月、長野県と静岡県の県境兵越峠では、信州軍と遠州軍が「国境」をかけて綱引きで対決する「峠の国盗り綱引き合戦」が行われる。
わたし達ランナーは、遠州軍の応援にと2014年から水窪の「国盗り」駐車場から応援部隊を結成して走って青崩峠を目指し、そこから遊歩道を経て兵越峠の決戦の場を訪れた。
信州軍と遠州軍が「国境」をかけて綱引きで対決する、天下分け目の決戦の舞台だ\(^o^)/エイエイお~
遠州軍は2015年・2016年と連敗し昨年、今年こそはと思ったその日は悪天候のため中止になった。
そして今年の合戦はどうなるのか、っとメンバーを集めて応援に行ってきたのだった。
結果は、遠州軍が勝った。
遠州軍の綱引きメンバーが飛び跳ねて喜んだ。まるで歓喜の舞を舞っているようだった。
そのうち、浜松市市長の胴上げが始まった。
交通の不便な浜松市の最北端(水窪)兵越峠にて浜松市長が宙に舞った。
静岡県浜松市天竜区水窪町から信州に貫く青崩トンネル(仮称)の開通は7年後だそうだ。
浜松市では区割りをどうするのかの問題、市営球場を篠原地区へとの協議も盛んだ。
そんな難問のある市長が宙に舞った。
遠州軍の勝利を確認し、私たちは青崩峠を後にして信州側に遠山郷に向けて峠を下った。
信州の山々が紅葉している。これから信州は冬を迎える。
チャレンジマラニックin遠山郷
のコースにつき、そこコースを下った。
峠を下り切り、遠山郷のバイパスまで行けば、後は国道を平岡駅まで11㎞。
平岡駅に着いたのは15時25分
水窪の「国盗り」を朝の7時に出発、北遠の郷「水窪町」から青崩峠~兵越峠~遠山郷~平岡駅 計約40㎞を8時間25分かけて遊んできた。
楽し面白い「峠の国盗りマラニック」だった。
2014年(平成26年)遠州軍
2015年(平成27年)信州軍
2016年(平成28年)信州軍
2017年(平成29年)悪天候のため中止
2018年(平成30年)遠州軍
青崩れトンネル(仮称)開通まで7年、7年たったこの水窪は信州の遠山郷はどうなっているのだろう。
都会から着た観光客の憩いの場になっているのだろうか。
参考HP
信州遠山郷秘境の旅
浜松市の北遠、山々が晩秋に向けて色合いを変えてくそんな大地の変化を感じて走る
HOKUENジオ・マラニック
一日目は
山住峠
二日目は
大津峠
山が好き。
そんな貴方のマラニック
HOKUENジオ・マラニック
http://hokuen.web.fc2.com/pdf/zio.pdf
10月8日(日)
弁天島海浜公園深夜0時スタート
僕の7回目の浜名湖100㎞が始まった。
弁天橋を渡り舞阪西を左折国1を横断し東海道の松並木を走り舞阪駅へ左折する。
東海道線を潜り宇布見橋を渡り左折。
雄踏公園前を左折
雄踏大橋を渡り、浜名湖大橋方面に、折り返してきて、また雄踏公園前、ココを左折。
浜名湖ロイヤルホテルを左にみて、赤いアーチの橋を渡り、第一の注意コース砂利道に入る。
突き当り、左折して道なりに行くと10㎞地点があるはずだが見失った。
はまゆう大橋高架下を抜け右折、はまゆう大橋東交差点を左折、道なりコースマップNO2へ。
ホテル777を右にみて坂道を下り、すじかい橋交差点のコンビニで飲物とアイス(チョコ最中ジャンボ)を買う。
今まで足を止めることなく走ってきた、前後を走ってきた人は歩きはじめる。自分も歩きはじめる。
20㎞地点を過ぎ、コースマップNO1に戻る。
はまゆう大橋の西側にでる。
庄内湖を一周してきたわけだ。
そこを右折して約一キロの交差点を左折、左側の公園に飛行機の使い古しがおいてある。
突き当りを左折して「元祖手焼き・かたぱん」の店がある、真夜中なので開いてはいない。
突き当りを右折、100mくらいのところ28.9㎞地点「エイド」そこに今回は
3時40分に到着した。
杏仁豆腐・ウドン・飲み物各種、果物いろいろ。
左足にミサンガを付けてもらう。
約20分休憩し、重い腰を上げ、舘山寺を目指すことにする。
しかし、これからの浜名湖自転車道は先日の台風の影響で道路の破損があるとのスタート前に注意勧告があった。
一人では不安なので一緒に行く人を探した。
30㎞地点をクリアーし、舘山寺のコンビニでトイレ休憩、あったかいココアを購入。
舘山寺の街を抜け、気賀方面へ
大草山へ上り始め、三叉路が間違えやすいと思う。
わたし達は知っているので、右側の坂道を上るのだが、わかるかな~。初めての人。
東名高速道路の高架を潜り、「ぐるっと浜名湖ゆーりん」第1回目は、ココにもエイドがあったナ~。。。。
40㎞地点
ココにはわたしの右足も写っている。
辺りは夜明けで浜名湖の景色だ見える、遠く対岸には「ラブチャート・寸座ビラ」が見える。
コース前方にはみおつくし橋が遠くに見える。
やっと着いた「気賀の関所」
もと来た道をみおつくし橋まで、橋は渡らづに自転車道を真っ直ぐに行く。
ヤシの木並木をユックリ進み「プリンス岬」へ。
天皇御一家(当時皇太子)が半島にある別荘で静養されたことからプリンス岬と呼ばれている。プリンス岬出口付近に、50㎞地点
天浜線佐久米駅
古井さんがトイレに向かった。
疲労困憊の私は歩を進めた。
瀬戸方面へ左折、天浜線の踏切を渡り、古井さんに抜かれる。
次の自動販売機で飲み物を買う。
いつもなら、もうすぐエイドだと力もでるが、そのエイドは今回、まだ先の幸福の科学前になった。
三ケ日青年の家を越え、階段を下り、湖岸沿いの遊歩道を進む。
台風の影響で遊歩道は所々で粉々になっている。
61,95㎞地点
幸福の科学前のエイドに、やっとの思いで到着した。
身体は疲れていたが食欲はあった。
稲荷ずしは2つも食べた。
20分くらい休憩しただろうか、。
先を急いだ、次は猪鼻湖一周だ。
67㎞付近で山本さんが施設エイドを開設しているという。
なんとしてでも行かねばならぬ。
遠くに青い服の男女が見える。
施設エイドであろうか?
関係ないけどこんな写真を注入。。。何年前?
真夜中の0時から走りはじめて、ところどころにあるエイドを励みに目標に、ここまで走ってきた。
猪鼻湖ではハゼ釣りであろうか、釣り糸を垂れている人たちが多くいた。
人の生き方はいろいろだ、いまこうしている自分の姿は、過去から積み重ねてきた結果が現れている。ことだ。
自分は自分、他の誰とも違う自分。だと感じた。
これも過去の自分。名古屋ハーフにて
三ケ日中学校を右にみて。天浜線三ケ日駅を左にみて。次の交差点を左折してコンビニによって小豆バーを買った。
入河屋の「みかんソフトクリーム」をいつもは買うのだけど、今年はそんな余力はない。
ただ先を急いだ、歩いた。
前後には浜名湖100㎞の仲間は誰も見えない、ただただ先を急いだ。脳裏には電車でのワープを考えていた。
時間的には余裕があるのだが足が、走ることができない、知波田から鷲津まで、鷲津まで行き新居まで、、、。
78,85㎞「知波田のエイド」に到着
疲労困憊・満身創痍、知っている人がエイド ボランティアで働いている。
情けない状況の自分を見て克を入れてくれる。
とりあえず行こう。
歩いていても進んで行けばゴールは近づいてくる。
明神山の山頂。山登りは下山が肝要だ。
先を行った人を追いかけるように自分も立ち上がった。
その人は、80㎞地点への行く道で迷っていた。
その人に「こっちだよ」声をかけ、マリーナに向かって下り浜名湖の左側にみて進んだ。
ヤマハマリーナの船、大型クルザーのオーナー、そんな人の車だろうか高級外車が駐車場に並ぶ。
マリーナを横に、松見ヶ浦広場手前を右折(カナリ細い道)道沿いに行くと五叉路、そこを真っ直ぐにいって突き当りを右折、間違いやすいところ。
去年もここで難儀した。今年も誰かウロウロしていた人がいた。
コースマップNO4
前方にコースマップを片手に悩んでいる人が、まだまだ元気そうな人だ、此の道で大丈夫と伝え、まだ同じような直線があることを伝えた。
最後に施設エイドがあるかもしれないとも。
分りましたと、その人は走り始めた。直ぐに見えなくなった。
次にテっちゃんがきた。
軽快な走りだ、抜いていった。
とおく向こうにクーラーボックスが見える。
施設エイドだ。
テっちゃんが休憩していた。
わたしは椅子に腰を下ろし靴を脱いだ。
ふくらはぎが攣りそうだ、そうそんな時は塩分不足、梅干を食べたい。
梅干は無かった。みかん・ゼリーを頂いた。
脚を揉みしばらく休んだ。
もしかしたら、回復して走り出すことができるかも知れない。
上野さんにお礼をいって、最後のエイドを後にした。
日ノ岡の交差点、国道に出て歩いていると、平野さんの車が止まってくれた。
なにか食べますか?飲物ありますョ。
梅干を求めたがなかった。
塩分飴とバナナをもらった。
浅野ふとん店を左折、いままで歩きすづけてきたが立ち止まった。神社の階段に腰を下ろした。
鷲津駅から電車に乗ろうと決めた。
元汽船乗り場のところを鷲津駅に行くことにした。
むかし懐かしい鷲津駅、駅前にはむかしあったパチンコ屋はなくなっている。初めて来た鷲津でかつ丼を食べた食堂もない。
「駒忠」のビルはあった。しかし、こんな場所だったけナ~。
鷲津駅の前の階段を上がろうとしたとき、左ふくらはぎが攣った。
その場でしゃがんでふくらはぎがを揉んだ。
なんとか落ち着いて、歩けるようになって、キップの販売機で鷲津駅から新居駅まで190円のキップを買った。
浜松駅行のホームは階段を上って反対側に行く、脚を刺激しないように一歩一歩階段を上り、そして下った。
新居駅に着き、ここも階段を上って反対側のホーム行かねばならない。エレベーターを使用した。
新居の駅に着くと、同じ浜名湖100㎞の仲間だろうか、弁天島まで電車でワープする人がいた。
「時間はあるし、ゴールでのビールは走ってからの方が美味しいョ」
と言ったけれど、電車でのワープをすると言っていた。
ここでも昔の写真。いつのときかナ~。
新居駅からゴールまで国道一号線を真っ直ぐ、距離にして2㎞強か。
歩いていってもまにあう。
駅前をテっちゃんが歩いていた。
テっちゃんを追いかけた。
一所に歩いたり走ったり。した。
前に同じTシャツを着た二人組が、田中さんたちだ。
三番の橋を渡り。テっちゃんが4時までにゴールしましょうと走り出した。
後を着いて自分も走り出した。
残り一キロの看板をパスし、地下道を降りるときはユックリ慎重に階段を下り上りした。
二番の橋は歩いた。
国道一号線の信号機が黄色に変わり歩行者の信号に間に合うように走った。
テっちゃんは先に渡って弁天島海浜公園に入って行った。
わたしも最後の力を振り絞ってゴールに向かった。
ボランティアのオレンジ色のヤッケが迎えてくれる。
内藤さんだ、駐車場をところどころ曲り最後の直線の前に「ぐるっと浜名湖一周100㎞ウルトラ・マラニック」の横断幕がある。
レッドカーペットを踏みしめゴールした。
ボランティアの岡本さん・伊藤さんが迎えてくれた。
やっと終わった。
わたしの浜名湖100㎞2018、一回目から参加して今回初めてのワープ。
何回走っても同じコースなのに同じ景色なのに自分に試練を与えてくれる。浜名湖100㎞。
到知11月号特集「自己を丹誠する」
自己丹誠、自分という人間をまごころを込めて仕上げていく、ということである。
若い時には若さゆえに突き進むことができる。
年齢を重なて尚、自分自身の魂を輝かせるためには自己を丹誠する。こと、心を込めて自分をつくっていく。ことだ。
10月だというのにまだまだ暑い日が続く、今日も暑い日だった。
忘年ラン、浜名湖の思い出。
日陰で一人ユックリしていたら、左ふくらはぎに痙攣が。少し落ち着くと、また違うところに痙攣が、筋肉が勝手に固まっていく。
あ~。。。。
これが、これか。
僕は僕であって、そして僕ではない。
感じ。か。
タスケテくれ~。。。
その後、僕はオットッとにヘルプした。
筋肉の攣り、こむらがえりには
芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
これランナーの常識、だか自分はそんなことなかったし関係ないと思っていた。
転ばぬ先の杖、買って常備していくことだナ~と感じた。
デイモン閣下楽しい時ばかりではないのだ。
こむら返りとは
筋肉の意識しない持続的な強直性収縮である筋の攣縮を示し、有痛性である。こむら返りを生じている筋は硬く収縮しており、局所の筋が硬く膨隆しているのがわかる。筋攣縮の持続は数秒から数分であることが多く、特に激しい運動の後や、水泳後、睡眠中に見られることが多い。特に睡眠中は眠気が吹き飛ぶほどの激痛が襲うものの、寝起きで早急に対処ができない為、起床後にふくらはぎの筋肉痛や寝不足が残ることがある。
ウィキペディアから。
森町三倉にて。
到知11月号特集「自己を丹誠する」
自己丹誠、自分という人間をまごころを込めて仕上げていくことは、時に痛みを伴うことだと知った一日だった。
ジャンじゃん。
1975年~1988年まで青春時代を過ごした湖西市・新居町、浜名湖は思い出深い地だ。
そんな思い出深い地を離れ佐久間に帰って来て、2005年佐久間町は浜松市になった。
佐久間が浜松市になる前、僕はフル(42.195㎞)が最長の距離、100㎞なんて考えられない距離、考えたこともない距離だった。
朝から晩まで走る?、そんなことしたら身体がどうかなったら困るじゃないか。
とまで思った。
12市町村が合併した、その年、新浜松市が登場したその夏の日に、国道152号線を走っていた女性のランナーを見かけた。
車を走らせると、また数名の走る人がいた。
この暑い日い如何して、なにやっているのかナ~。
そう思った。
次の日、静岡新聞の紙面に「新浜松市誕生記念ウルトラマラニック」という記事が踊っていた。
浜松市に合併した12市町村の旧役場を水窪町の役場から佐久間町・龍山村・春野町・天竜市と巡って走る160㎞のマラニックだそうだ。
ゴールの浜松市役所でゴールテープに飛び込んでいる笑顔のランナーの顔が眩しかった。
42.195㎞までしか走ったことのない僕の心は興奮した。
土曜日に走っていた人は、160㎞という果てしない距離に挑戦している最中だったのだ。
12市町村が合併した浜松市を浜松駅から自分の暮らしている半場まで走ってみた。
60㎞
9時間かかった。
100㎞考えられない距離が、自分が挑戦しないだけの距離だと思い始めた。
2011年とチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100㎞の部を走った。
多くのランナーと100㎞先のゴールを目指した。
ゴールして完走メダルを手にしたときは感動した。
2012年・2013年と走って完走メダルは三個になった。
ソレゾレ思い出深いレースだったが、楽しい思い出より辛かった大変だった思い出が多かった。
そんなとき、浜名湖100㎞の話があり参加した。
前夜祭に参加して酒を飲んだ、挑戦する記録にこだわるより、楽しむことが最優先の浜名湖100㎞。
そうまさに
ぐるっと浜名湖一周100km
エンジョイ・マラニック
だった。
はじめて走った浜名湖100㎞
そのとき見た、湖西市は
30年前、僕が青春時代に観た景色、湖西市鷲津の駅前は様変わりしていた。
変わりゆくものがある。
変わらないものもある。
自分は年をとった。
年齢を重ねて様相は変わったが、気持ちは自分の青春時代と何も変わらない。
青春時代の自分の足跡を追っての100㎞のマラニック、浜名湖をぐるっと一周しながら景色、浜名湖の歴史、とともに自分の青春時代をも回想するマラニック。
楽しいから浜名湖100㎞、マラニックだから余裕ある時間設定だから、続けて走りたいと思う。
浜名湖100㎞、完走できる走力を維持していこうと思う。
天竜川の支流、遠山川に沿って広がる山深い谷間の地域「遠山郷」のマラニックを走ってきた。
ホント山奥なのでコースもこのとおり\(^o^)/
道の駅「遠山郷」かぐらの湯
を朝の6時半、花火の爆音を合図にスタート
合戸峠に着いたのが
7時15分
ここまで上ってきたけど、もっともっと上って着いたのが
小嵐稲荷
7時50分
ココからはひたすら下り。
途中ダートもある。
旧木沢小学校に
8時27分
ソバ・漬け物各種・果物各種・朝飯エイド(笑)
朝ご飯にとソバを三杯くった。
ここからマラニックのグルメ街道が始まる。
須沢分岐
9時13分
ココではでコンニャクの田楽、シカの肉、シェフが左手でナシの皮をむいていた。
少し行くと下栗「天空の里」を上っていく。
走路にチョークでガンバと書いてある。
しかし、我々はココは歩く無理しても走れない、そんな激坂だ。
食事処「いっ福」に到着
10時00分
夢街道90㎞のTシャツを届けた!(^^)!
冷たい麦茶と栗ご飯・果物をいただく。
頂上の「はんば亭」に着いたのが。
10時05分
ココにはフルーツポンチ・下栗いも・果物各種・イチジク・チョコ・その他いろいろ。
しばらく南アルプスの絶景を見ながら休憩。。。
そして、ココからオプションコースがある。行くのも行かないのも自分の判断に任せるコース
はんば亭から天空の里ビューポイント往復コース。
モチロン私はこのコースは毎年走っている。今年も走る。
山道をヒタスラ走り
ビューポイントに
10時32分
到着
帰りは宇佐ちゃんに会った。
はんば亭に戻ったのが
10時42分
はんば亭を山の方の遊歩道に進む。
女性をパスして、その人の目の前で切り株に足を取られて転ぶ。
やわらかい土とコケと下草にダイブ、ケガは無かった。
お地蔵さんに癒される。
大歓迎の
中根分岐、治郎さんエイドに
11時30分
多くて覚えきれないほどの食べ物、飲物、漬け物、貴ちゃんがボランティア接待班だった。
今回(泡)はヤメにした。
次のヤマメの塩焼エイドに期待した。
梨本エイド
12時10分
あれ~????
ヤマメの塩焼きが無いド~。。。。
スポーツドリンクを飲んで先を急いだ。
国道を走って和田までいくのかと思ったが、吊り橋を渡った。
12時22分
旧152号線、国道をヒタスラ走る。
知り合いが居たので話しながら歩く。
和田の旧宿場町を走り、龍淵寺へ曲がる。
なんと石の階段が壁のように立ちはだかる。
這うようにしてしがみ付くようにして登っていく。
龍淵寺に登り、ご利益がある湧水「観音霊水」をいただく。
龍淵寺エイド
13時00分
姫様饅頭・豚肉の串焼き、ビールが飲めたら最高ダニ。。。
途中、で追いついた、キクチさんとっち―さんの後ろ姿
島畑エイドに着いたのは
13時32分
ご存じココのエイドには「大スズメバチの酒」「マムシ酒」「熊の胆酒」がある。
それと、ヤマメの塩焼きもある。
島畑エイドを後にして吊り橋を渡り、観音様へ。
ヒロボーさんと此田エイドを目指す。
此田エイド
13時59分
ブドウ各種・ハチのから揚げ?・ナシ・蜂蜜(ミツロウ付き)かな?
重い腰を上げ、ユックリ走りはじめる。と思ったが、歩きばかりになる。
ヒロボーさんと色々な話をして、ゴールを目指す。
最後、ゴールの手前で走り出し、両手を上げてゴール。
遠山郷の飯田市市会議員の湊さんがゴールで快く迎えてくれた。
前夜祭にもマラニックの日にも後夜祭にも湊さんはニコニコと私たちを歓迎してくれていた。
楽しい面白い
チャレンジマラニックin遠山郷2018
だった。
おわり。。。
むかし、湖西市に暮らしていた頃の話し。
乗っていたボロイ車が山奥で動かなくなり、その山奥から自分の働いていた工場の寮まで歩いて行ったことがある。
距離にして5キロくらいか、車で走っていた道を自分の足で歩いた。日ノ岡の付近だったろうか。
大きな看板に標語があった。
「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」
あれから幾年たっただろうか。
結婚して子供ができて年老いていって。
昨日の新聞には、空飛ぶ車の記事があった。
これからのインフラ、過疎地の交通手段に有効活用になると。
狭い日本にリニアができ、東京から大阪を今より早く結ぶことができるようだ。
そんなに早く行ってどうする。
「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」
狭い日本、コンクリートで固められ、夏はコンクリートの反射熱で熱帯夜、便利を求めて後の世界に残骸を残す。
これでいいのだろうか?
「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く」
大きな看板のこの標語には後につづく言葉がある。
「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く、昔はみんな歩いてた」
本来の人間の、移動の手段、それは歩くこと。
東京マラソンが始まってマラソンがブームになって、いま歩き走りのマラニックを楽しんでいる。
「狭い日本、そんなに急いで何処へ行く、昔はみんな歩いてた」
昔の思い出を振り返りながらの走り旅。
浜松駅~佐久間町までの60㎞を走る浜松縦断マラニック、今年は23日の雨で原田橋の迂回路は通れなくなり、24日通れるようになり、その晩佐久間ダムの放流でまた通行止めになった。
そのため走る人に連絡し、どのように行こうか相談してから浜松駅を出発しようとスタート時間を30分遅らせるように連絡、参加者はノリピー・ヨッピー・ナオミちゃん・シゲミツさん・私5名、日本で一番大きな市は高山市、二番目に大きな市が浜松市、しかしそこは政令指定都市浜松市になった。
そんなバカデカイ政令指定都市浜松市の北の果てに走って行くマラニック、佐久間町が浜松市に合併すると決めた時、自分が一人で走ったコース、今回は5名で走ることになる。
佐久間町から浜松駅まで朝の7時までに行くのは不可能、職場の人に送ってもらい、私は街に出た。
西鹿島駅から赤電に揺られ、浜松駅について夕ご飯を食べアプレシオにはいったのが夜の九時、9時間1981円
8月25日(土)六時アプレシオを後にして浜松駅に吉野家で牛丼を食べ、浜松駅北口で参加者を待った。
集合時間は7時30分、佐久間の状態を説明していたら、スタート時間は何時もの7時から遅れ7時50分になった。
浜松縦断マラニック2018
5名のランナーが佐久間町を目指した。
西鹿島駅までのワープが二名、そのまま自分の足で佐久間を目指したのが三名
私は走力はないが、呼びかけ人として自分の足で佐久間を目指した。
佐久間まで行けば電車で下川合駅まで行こう。伊藤さんの別宅に6時ごろには到着するのでは?安易に考えていた。
秋葉ダム、15時30分、先を急いだけど、佐久間駅を18時16分の電車には乗り遅れた。
コープでビールを買って、佐久間駅で佐久間の花火を見ながら乾杯した。
20時03分の飯田線に乗り下川合駅へ、伊藤さんの別宅まで歩いていき疲れた身体を露天風呂で癒した。
お疲れ様の二度目のカンパイ、伊藤さんの料理をご馳走になり、夜は更けていった。
次の日は、東栄から浜北「あらたまの湯」を目指した
ルートラボ↓
東栄駅8時30分出発
あらたまの湯には16時50分到着
参加者5名、無事に到着、一安心。。。
お風呂に入ってユックリ、と思ったが、そうもしてられない、私は天竜浜名湖鉄道「宮口駅」目指して走った。
宮口駅に着いたのが17時10分、天竜浜名湖鉄道「宮口駅」~「新所原駅」まで880円。
クーラーがきいて涼しい車内、二日間苦しくもあり楽しくもあり充実した2018年の
浜松縦断マラニックだった。
われながら13回も13年間も良く続けられたと感心する。。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |