生中二杯にハイボール。先日の湖西連峰トレイルラン2020、走り終わってからの新年会、その二次会での記憶(笑)
二次会の会場は豊橋駅前「魚民」、まばゆいばかりの美ジョガーが隣に座りマラソンのベストを訪ねると三時間前半で走る走力の持ち主、話が盛り上がってきたが、多くの先輩方に「飯田線に乗り遅れたら大変だ!大丈夫~?」と心配され、泣く泣くその席を後にした。。。。
飯田線(豊橋20路42分発)水窪行きの電車に飛び乗った。
最終は中部天竜止まり、豊橋駅を21時50分、中部天竜には23時43分着、流石にこれだと次の日の仕事に差し支える。
永遠なのか、本当か~♪時の流れは続くのか~♪
湖西連峰トレイルラン2020、今年で12回目だそうだ。私はこの大会を12回参加している。
朝早く起き、着替えをして最寄りの公共交通機関中部天竜駅から始発の電車で二川駅に向かった。
浜松市の最北端の網走番外地の様な僻地だけど、このような電車が走っていることに感謝して飯田線に乗車した。
スマホの電源を切り持っていった、ありがとうを十万回唱えたらガンが消えてしまいました!という工藤房美さんの本「遺伝子スイッチ・オンの奇跡」を読みだした。
二川駅でトイレによって、スッキリして外に出ると下さんがいた。サクラさんもいた。
三人で岩屋緑地公園に行くと知り合いのスタッフたちが所狭しと準備に忙しそうだった。
走っている仲間も、この日は地元を盛り上げようとスタッフとして働いている。
私、ゼッケン8番第一ウェーブでのスタート、なんか得した気分、9時30分のクラッカーの合図とともに走り出した。
前の方ならんでいたものの、抜かれるわ抜けれる、アッというっ間に第一ウェーブの最後尾、山道に入ったころは次のウェーブの人たちが押し寄せてきた。
山の登坂では躊躇なく歩く。このままで最後まで走れるのか、心配だった。
多米峠からのショートカットも考えた。
しかし、身体が温まったら身分もハイになり、後ろから来た友さんにも励まされ勇気がわいてきた。
多米峠カレーエイドにヤット着いた。カレー大盛りを注文!
これからの山道も考えずに大盛りのカレーに挑戦した、泡もちょうだいした(笑)
少々満腹状態、ゲップ。
友さんを追いか林道を走る。こんな状態で走って良いのか?ゲップ、ゲップ。。。
走れることにカレー食べれることに感謝して走った。
林道を走り山道に入り、歩く。後ろには走りたい人が着いてくる、先を譲る。そんな繰り返し。
しばらくしたら、若い女の子が後ろを「お先に」と声をかけるが道が分らないと、「着いていきます」と、話すと蒲郡から来たそうだ。仲間は後ろにいるそうだ。
それでも、あまりにもヨレヨレすぎて、その女の子はオッサンたちの前に行った。
その姿を目で追うと、短パンに生の足が光り輝いて見えた。オッサンの目には眩しかった。
友さんと「今回も湖西連峰走って良かったネ」とお互い納得した(笑)
お汁粉エイドは本坂峠、旧本坂トンネルの近くだ、この峠には怪現象・心霊スポットで有名だった。遠い昔には様々な事があったのだろう。悲しい過去も。
しかし、令和の時代、世の中は確実に変わった、生足のうら若き女の子が腰に手を当て美味しそうに缶ビールをグビグビしておった(笑)
後は同じ道を帰るだけ、廃寺跡から宴会場がある石巻山を目指す。林道走りが心配などと言っていた人が、ピューっと先にいって行ってしまった。
急な坂道で、さっきまで一緒に走っていた人たちの姿が見えなくなった。
一人孤独にゴールを目指した。
感謝・感謝・感謝
ありがとう・ありがとう・ありがとう
59年間、生きてこれて感謝です~。
何時まで経っても変わらない♪そんな事あるだろうか~♪
年齢を重ねると体力の衰えは必ずある。
昨日の自分と今日の自分、変わらないように見えて変わっているのです。
佐久間町が浜松市に合併したころ佐久間中学校の同窓会をした。
私たち45歳の頃
当時、お互い年くったな~っと思ったが、今見ると若かったナ~っと感じる。
世の中の幸不幸は、その人がその本人が感じていること。
飯田線の電車の中で読んだ本「遺伝子のスイッチ・オンの奇跡」に、こんなことが書いてあった。
ガンになり余命一ヶ月と言われた著者は病院の先生に療養計画書を渡されたそうだ。
そのことを疑問に思った著者は自分の人生なのだから自分で人生の計画を立てたといいます。
事細かく10年後までの自分の人生の計画を書いた計画書を書いて担当の先生に持って行ったと書いてありました。
そしたら、なんと、計画通りに事は進み、余命一ヶ月と主治医に言われてた著者が10年間ガンの再発もなく今こうして生きているそうだ。
今回の湖西連峰トレイルラン、主催者の萩田さんが良く言います。
年の初めに一年間の計画を立てる。計画を立てればその通りにことは進む。
その計画を遂行するよう、自分なりに考える、と。
今年の私なりの計画は、5月の還暦同窓会、6月の夢街道90㎞
夢街道は今年で10回目となる。
情熱の真っ赤な薔薇を~♪胸に咲かせよう~♪
ほろ酔いで飯田線にゆられ、車掌に起こされて、中部天竜で下車して、千鳥足で家路に着いた。
走れることに感謝。お酒を飲めることに感謝。夢を見ることに感謝
ありがとう。
石巻山の宴会でのカラオケで「幸せさかして」五木ひろし「情熱の薔薇」ブルーハーツを歌った。
大変楽しかった新年会だった(笑)
お疲れ様でした(^O^)/
動画です。
この初詣ランは私の毎年恒例の行事だ。
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
今年も行こうと思い昨夜、いくよし君にラインしたら。
な、なな何と。
「明日の初詣ランは中止です」
と返信が来た。
「了解しました」
と返したが。一人でも走ろうと心に決めていた(笑)
佐久間の家を朝6時45分に出発。もしかしたら誰かいるかもしれない。
ヒョッコリ誰か顔出すかのしれない、と思っていたが、誰もいなかった(涙)
7時40分には着いて、朝8時、一人で何時ものスタートする場所で時計のスタートボタンを押した。
いつもはベテランさんの後を着いていたが、今回は一人、コースがハッキリしていない、今までボーっと走っていたのだと、自分で自分を呆れた。
それでも何とか新城運動公園の四季サクラのトンネルをくぐり公園を出て国道257を北上した。
花の木公園の横を走り、橋が出てきた、ここ渡たっけな~?真っ直ぐは通行止め書いてある?でも直進してみた、やはりダメだった。
戻って橋を渡った(笑)
また国道257号線を北上、見覚えのある第一エイドがあった(今回はエイドは無し)
休憩せずに進んだ。
只持の交差点で迷ってスマホで確認した、そして左折した。県道436を進んだが、待てよチョットオカシイぞ。
3人組の街人に尋ねた。
この道を行くと作手村に行くそうだ。
元の道に戻り、真っ直ぐ行くと田峯には着くそうだ。
この時、富士屋旅館がよい目印となった。インパクトの高い旅館。
間違ったところ↓
道聞いてよかった。
なんとか無事に田峯観音に到着。
初詣をして、甘酒をいただく。
売店で唐辛子を購入、これも毎年同じ。
その唐辛子をリックに詰め、田峯観音を後にする。
帰りは稲目トンネルを、これからは県道389号を南下するのであった。
やまびこの丘で休憩、残りは10㎞
ぼちぼち走り出した。重い橋どり。
「長楽」ガソリンスタンドの交差点、第一エイドのところだ。
思い出した。
あとは、この道をヒタスラ南下、アッチコッチ身体が悲鳴を上げているけど、走れることに感謝しながら走った。
新城運動公園の坂道は歩く、今回は一人だから急ぐことは無い。展望台に上って田峯観音の方を見ようかと思ったが、展望台は鍵がかかっていた。
新城運等公園内でも迷った(笑)
ウロウロしてゴールである我が愛車の前に帰ってきた。
時間は3時37分、ずいぶんかかったが恒例の初詣ランを無事に帰ってこれて安心した。
今日は走ったコース、一人で走ったが、LINEやメッセンジャ―で他の人の様子がわかり楽しいランだった。
なによりエプソンGPSランニングウォッチが走る友だった。
ありがとうございました。
今年も宜しくお願いします。
昨日は浜名湖半周忘年ラン。。
クリスマスも近いとあってサンタのカッコウで走ってみた(^O^)/
気賀に暮す孫にプレゼントを持って行こう、そんな考えで走り出した(^O^)/
クリスマスソングといえば、マライア・キャリー
「恋人たちのクリスマス」
そんな曲を頭の中にグルグルしながらのラン。
舘山寺を目指して走ると、マツダ ロードスター 集団がフルオープンにして走っている。
乗っている人を見ると、なんとサンタが運転している(笑)
そんな集団に愛想をフリフリ走っていると、いつものエイドの場所に、そのマツダ ロードスター の集団がいた。
サンタ仲間で写真
「メリークリスマス、私の車、バッテリーがあがったので今回は走ってきました」
サンタの集会、其々が夢と希望をみんなに与えましょう。そんな話し合いをして私たち走りサンタは舘山寺を目指した(^O^)/
遠く舘山寺方面の奥浜名湖の湖面にヨット?ウインドサーフィン?たくさん浮いている、なに?
舘山寺に着くと、多くの子供たちが・・・。
聞くと「サンタが浜名湖に大集合」そんなイベントなのだという。
先着100名の子供たちにプレゼントが貰いえる、とか。
静岡新聞↓
サンタが浜名湖に大集合!
舘山寺のコンビニでお菓子を買い、気賀を目指して一人で走る走る。
孫は、気賀駅の近くだが、その気賀駅に着いたのが12時15分、電車は12時21分、孫には会いに行けない(涙)
お菓子は、駅で待つ人々に配った(笑)
天浜線で気賀駅~知波田駅までワープ、知波田駅からウッチャンたちと走る。
途中良心市でミカンを買い、新居の関所でミカン休憩。
国1を弁天島を目指す。
朝走り始めた、ゼロ地点に帰ってきたのが15時ちょうど。
6時間の浜名湖の旅ランを楽しみました(^O^)/
さっ~。
ホテルのお風呂に入って、疲れを癒したら、お楽しみの忘年会だ(^O^)/
浜名湖を半周走って、ゴール後に走る仲間と忘年会、「浜名湖半周忘年ラン」今年で16回目になるそうだ。
私は、この大会10回参加している。
去年は↓
浜名湖半周忘年ラン2018 no1
浜名湖半周忘年ラン2018 no2
浜名湖半周忘年ラン2018 no3
浜名湖半周忘年ラン2018 no4
今年も、よく走った。
いろいろなことがあった。
忘年会、忘れる年の会
今年一年を振り返って、語り合う。
楽しかったことも、悲しかったことも。
いつの日か、その思い出も忘れるときがくる、忘れないように、今日は走る仲間と思い出を語る集い。
今年も有難うございました。
(人''▽`)ありがとう☆
ありがとう。
言われるように言うように。
先日佐中還暦同窓会のLINEで、ウッチャンから頂いた、この言葉を発したところ同級生から
浄土宗、南無阿弥陀の他力本願ですね。
新間君は、違うと思いますが
そんな書き込みがあった。
冬に走った明神
チャレンジ明神山(追憶)
今更(弘法大師)空海
チャレンジ明神山は毎年秋に行っている。今回はツバモトさんからのリクエストで昨日の開催となった。
参加してくれた人は私を入れて5名
尾籠集落を目指して走り始めた。
昨日の雨も上がり快晴で、走っていると汗が出てきて途中でジャンバーを脱いだ。
尾籠集落から岩山を目指し山登り。途中「ドッコイショ」で休憩、みかんを食べた。
岩山山頂手前の「のぞき岩」毎回感じるが素晴らしい景色だ。岩山山頂から直ぐ近くに明神山が見える。近くに感じるが、そこまでが大変な行程である。
山頂にて弘法様や役行者様に手を合わし、明神山を目指す。
明神山山頂手前では五つの急登がある。途中眼下に見える紅葉の山々が心を和ませてくれる。
尾籠の登山口から明神山を目指す登山道では誰一人の登山者とも出会うことは無かった。野生の猿が悲鳴を上げて走り去ることはあった。
それが、山頂には多くの登山者が居た。山頂の展望台に上り昼食とした。
下山は三ツ瀬登山口を目指した。
少し濡れた岩場は滑るので注意が必要だ、ウマノセ、クサリ場は要注意。。。
三ツ瀬登山口に出て、それからはロード、ユックリ走った。バイパスに出てトンネルを潜りコンビニらしき店を目指していた。しかし、そこはシャッターが閉まっていた。今年5月31日で閉店したそうだった。
本郷の商店街を抜け、とうえい温泉には15時前には到着した。
8時から15時、7時間の楽しい山行だった。
温泉に入り、疲れを癒し、ご飯を食べて、終わりとした。
ありがとうございました。
浄土宗、他力本願の考え、他人の力を借りての事だと思っていた。
それは違っていた。
それは
ありがとう。
言われるように言うように。
他力本願
ほめれば ほめられる
愛せば 愛される
感謝すれば 感謝される
拝めば 拝まれる
というように、
【投げかけたものが返ってくる】
そんなような意味なのではないか。
過去を悔まず、未来のために生きる
教えてもらうだけではダメだ。互いに教え合うことが大事だ。
公共事業
素直に生きて
知識ではなく行いこそが大事
「待ってくれ~」
派手な格好のオジちゃんオバちゃんが、電車に乗り込んだ(笑)
水窪、国盗り駐車場、朝7時スタート。
今回のコースは
水窪~門谷集落~塩澤集落~寄り道(小和田駅)戻ってきて~中井侍~平岡駅。
そんな予定だった。
しかし、小和田駅にやっと辿り着いたとき、特急伊那路が通り過ぎた。時間は11時半。
話し合いの結果、塩澤集落へは戻らずに、次の13時25分の電車を待つことにした。
何もない小和田駅での二時間は、何も無かった。何かがあった。
電車で中井侍までワープ。
中井侍駅を降りると、芋を焼くニオイ。
いもフェス案内板を辿って坂道を上る。
天竜川にかかる橋が眼下に見える。中井侍のお祭り。片手に刀、片手に鈴、踊っていた。
見学を終わり。次の駅、伊那小沢駅を目指し坂道を下った。
伊那小沢にも立派なは橋が有る。
次は鶯巣駅、ここで電車で帰ろう、とも思ったが、平岡駅まで行こう。そう思った話し合った。
ユックリ走って、平岡駅で温泉、そんな計画だった。
が、時計を見ると、16時46分の電車に乗れるカモ。
駅近くになって、電車が平岡駅に止まっている。
「待ってくれ~」
派手な格好のオジちゃんオバちゃんが、電車に乗り込んだ(笑)
だった。
水窪駅に無事について、急な階段を下り、吊り橋を渡り、16時半ごろ車に辿り着いた。
7時間半の、水窪&天龍村ジオ・マラニック&フォトロゲ無事終了。。。
距離約30㎞。
ありがとうございました。感謝。
命のアサガオ永遠に、そんな本が私の本棚にある。
わずか7歳で白血病のため、この世を去った丹後光祐君の話しである。
私のラン友が白血病になったと聞いて、白血病の事を知って、静岡県骨バンクを推進する会を知って、その総会で本を書いた丹後まみこさんの講演を聴いた。
光祐君が亡くなったのは1993年。癌治療は壮絶だったと言っていた。抗がん剤が強すぎたのか光佑くんの心臓は薄くペラペラだったと言っていた。
私の13才年上の兄貴も癌でこの世を去った。そんな後、この本に出会った。
それから数年して、父親も癌で、医者に余命3ヶ月と宣告されて死亡した。
私の母親は80才で老人ホームに入所して、91歳でこの世を去った。
yoshieさんは去年、交通事故で亡くなった。突然の知らせだった。ウソだと思った。
ほんとうだと知って、こんな別れもあるのだと思った。
昨日は、そんなyoshieさんと縁ある人が集まって湖西連峰を走った。
多くの人がyoshieさんの思い出を語った。
命のアサガオ永遠にそんな本を書いた丹後まみさんの言葉がある。
「私は、君に再び会ったときに、自信をもって会えるような、そんな生き方をしていきたい」と。
yoshieさんよ永遠に。
人の死は二度あるという。
一つ目は、心臓が止まって、葬儀を済ませて、天に召されたとき。
もう一つは、人々の思い出から消え去った時だと、何かの本に書いてあった。
これからも湖西連峰を走ると、キットyoshieさんのことを思い出すだろう。
ウルトラの母のことを。。。
yoshieさんよ永遠に。
「いま、なんじ?」「とちじ~」
青崩峠~兵越峠までの遊歩道、とおき小屋で休憩中、サクラさんからラインで写真が届いた。
峠の国盗り綱引き合戦の会場に着き東京都知事に会ったと写真が送られてきたのだ。
今回、走るメンバーは
山草人さん・ヒロボーさん・kazukawaさん・ヨウ子さん・クミちゃん・スミちゃん・ヤヨイさん・それと私しんしん8名
こんな写真を見て。
山草人:「都知事が来ている、何故?」
その存在を知っている人はわかってはいたのだけど、山草人さんは
山草人:「それにしても、似ている」と感心していた。
八幡カオル、日本のピン芸人。本名、八幡 薫( やはた かおる)。女性。出身地水窪。
会場に着いて、みんなで、その都知事と写真を撮った。
朝7時、私たちは飯田線水窪駅下の国盗りの駐車場から走ってきたのだ。
青崩峠を目指して。
そこまでは坂道ばかり、西浦(にしうれ)最後の池島(いけじま)そこからは兵越峠と青崩峠の分岐を青崩峠を目指した。
峠の国盗り綱引き合戦のボランティア、水窪の人たちが駐車場の仕事をしている。
ガンモさんが居た。
最後尾を走っていた自分は仲間を追いかけていた。
急な坂道、前を行く人は歩き始める。
サバ地蔵、はや太郎の墓、足神神社で走るメンバー全員が集まる。
霊験新たかな湧水を飲む。
足神神社にヒロボーさんが代表でお賽銭を祀ってくれた、これからの峠の国盗りマラニックの安全を祈った。
青崩峠には群馬から来たというハイカーがいた。田中陽樹のブログを観たという、そのハイカーは山ヒルが多くいる、そのように連想している青崩峠だと語っていた。
青崩峠から兵越峠に向かう遊歩道がある、そこを私たちは行く。
尾根沿いのその道は、青崩れからだと急登が続く、これでもかこれでもか、階段の上りばかりだ。
最初の小屋で休憩、そこからは尾根沿いの紅葉が素晴らしいトレイルの道、とおき小屋を過ぎしばらく行くと峠の国盗り綱引き合戦のざわっめきが聞こえてくる。
ステージの真ん中にサクラさんが場所を取ってくれてある。そこで綱引きを観戦した。どっちもガンバレ!!
結果は一回戦、遠州、二回戦、ものいいが着く。引き直しとなった。次も引き分け。
選手が精根尽きるまで引くと言う。カワイソウ。
平岡駅を15時45分の電車に間に合わなくなるので、結果がわからないまま兵越峠を後にした。
遠山郷まで坂ばかり、下り坂を駆け下る。今年の紅葉はまだ早いのか色付いていない。
峠の綱引きの結果が出たのか、マイクロバスが下ってくる。太鼓の子供たちが走っている私たちを応援してくれる「ガンバレ~♪」
なんか、恥ずかしいような嬉しいような。
下り終わると、遠山郷のバイパス、広い道を橋を渡ると、ランナーも協力した植林した桜の花がある。
トモドウさんの桜の花は満開だった。
遠山郷の神樂の湯をゴールとする人が数人。
私は平岡駅を目指す。
山草人さんスミちゃんも。
この二人に着いていくのが大変だった(泣)
やっと着いた平岡駅、15時15分。
昨日の峠の国盗り前夜祭、そこから始まった今回の企画、朝7時に国盗りスタート。
今年も平岡駅まで来ることができた。
飯田線にゆられ、水窪駅に着き、急な階段を下り、吊り橋を渡り、バイパスを歩き、駐車場に、国盗りの水車の前で写真、
ありがとうございました。
感謝です~。。。。。
前夜祭のメンバーは
山草人さん・ヒロボーさん・kazukawaさん・下さん・サクラさん・ヨウ子さん・クミちゃん・ヤヨイさん・それと私しんしん
海の幸、刺身、美味しかったです。
人生を旅に例える人がいる。ウルトラマラソンを人生に例えてエッセイにまとめて書いている人がいる。
人生を時計に例えて一時間を三年で例えて考える。
今回の浜名湖ウルトラ60㎞、最後国道一号線を走っているとき、遠く弁天島の空に満月のきれいな月が私たちを迎えてくれた。
ウルトラマラソンを人生に例えると、丁度今から臨終も迎える直前に神様から御褒美を頂いたようだった。
関電の原発金品問題、当時の高浜町の元助役が金品を受け取った話、人の上に立ち甘い汁を吸い尽くして云ってしまった人の話し。
ウルトラマラソン・マラニック、自分の楽しみは走る仲間との語らいにある。身体のアッチコッチにがたが来ても毎年走っていた浜名湖は走りたかった。
気心知れた走る仲間と。
浜名湖ウルトラ60㎞を人生に例えて、ウッチャンが人生のストップウォッチを押した。
何時もの弁天島の何時ものスタート地点、2019年10月13日朝7時30分、浜名湖ウルトラ60kmという人生が始まった瞬間だった。
「人生は選択の連続である」ハムレットは言った。
しかし、今始まった浜名湖ウルトラ60kmという人生は決められたコースがあり、決められたゴールがある。その決めた人は神様かもしれない。
風と昨日の台風で濁った白波のたつ浜名湖を左に私たちは舘山寺に向かった。コンビニに立ち寄り細江に向かった細江の関所に行く遊歩道は通行止めのバリケードがあった。散歩の人との会話、水窪の話し、細江の関所はよらずに先を急いだ。交通教育センターレインボー浜名湖その横の遊歩道ではクロダイの大物を釣り上げる人がいた。
礫島の横を走り、白亜の建物の横を走る、浜名湖は左手に見える、朝とは違い穏やかな様子だ、遊歩道を掃除している人、ウッチャンが挨拶を交わした「ありがとネ」と。お互い様だと地元の人が、心が和む。
知波田のコンビニで、冷やし中華とノドごし生500mi、後は20㎞弱身体にご褒美。
湖西高校の前を走り、フジユニバンス横を行く頃には辺りは暗くなってきた。ライトを照らして進んで行く。
24時間の時計で言えば、20時くらいか?
人生後半。
X:「む、ほほほ。おまえも大人の女であれば分っているであろう、チコウよれ」
V:「なりませぬ。私はそんなつもりでココに来たのでは無いのです」「あれ~~♡」
真実は一つ。その真実を知らないので夢想が次から次へ・・・・。
関電の原発金品問題、当時の高浜町の元助役が金品を受け取った話、話しの大小はあるが地位が上がるとそんなことは往々にして起こり得る話となだめられる。
人間とは神だ。様々な動物連鎖の頂点に立つ神様だ。
しかし、人間には理性がある。
我々三人は、ウルトラマラソンという人生を誠実に走ってきた。
新居の関所を通過して、新居の駅を通過して、湖西署の前を歩いていると、東の夜空に満月が輝いていた。
ウルトラマラソンという人生の最後に神様が御褒美をくれたように綺麗に輝いていた。
後一キロのプレートを確認し、弁天島の浜名湖リゾート スパ THE OCEANの裏門をゴールとした。
ウルトラマラソンという人生の終焉を迎えた私は、昔働いていた富士鐵工所(今フジユニバンス)の先輩と新居の居酒屋で再開する約束をしていたのだった。
走るということ、そのような事、なにが面白い?
走り終わってからのビールが格別美味しいのだ。
昔の思い出、今までの生きてきた話し。
様々の話しをした。
ありがとうございました。
また酒飲みましょう(^O^)/
ウルトラマラソンという人生、その人生を終えたあと美味しいビールでの祝福のとき、自分の人生も笑って最後を迎えることができたなら最高の人生なのではないだろうか?
第一回目の「チャレンジマラニックin遠山郷」木沢小学校からのスタートだった。
神奈川県から来た最勝寺さんトドさんが企画してくれたマラニックだった。
最勝寺さんは白のBMWに乗っていた郷ひろみに少し似ていてカッコよい人だった。
トドさんは太っていて釣りが好きで頼もしい人だった。
第二回目からかナ~。
スタート前にジャズダンスの先生が来てくれてウォーミングアップのときの先生のレオタードが刺激的だった。
そんな時から治郎さんの豪華絢爛のエイドが始まった。
走っている途中のエイドでビールを飲んだのは初めてだった。
なんか、いけないことをやっている少年のような気持になった。
自己責任、いかなる事故が起きても責任は問いません。
そんな事を書いても、本人が死んで他の誰かが「泣きわめき、夫を返して」と訴えたなら。
どうなるのだろう?
最近、バカな大人が多すぎる。
死んだら後の事は知らない、そんなことを真顔いう大人(オジイ)
私は、どんなに偉い政治家よりも、素晴らしい概念を唱えた人よりも(限界集落を言い始めたある人)○○○・高知大学名誉教授よりも。
治郎さんは素晴らしい男気を感じる。
今度はランナーが恩返しをするばんだ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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