1975年~1988年まで青春時代を過ごした湖西市・新居町、浜名湖は思い出深い地だ。
そんな思い出深い地を離れ佐久間に帰って来て、2005年佐久間町は浜松市になった。
佐久間が浜松市になる前、僕はフル(42.195㎞)が最長の距離、100㎞なんて考えられない距離、考えたこともない距離だった。
朝から晩まで走る?、そんなことしたら身体がどうかなったら困るじゃないか。
とまで思った。
12市町村が合併した、その年、新浜松市が登場したその夏の日に、国道152号線を走っていた女性のランナーを見かけた。
車を走らせると、また数名の走る人がいた。
この暑い日い如何して、なにやっているのかナ~。
そう思った。
次の日、静岡新聞の紙面に「新浜松市誕生記念ウルトラマラニック」という記事が踊っていた。
浜松市に合併した12市町村の旧役場を水窪町の役場から佐久間町・龍山村・春野町・天竜市と巡って走る160㎞のマラニックだそうだ。
ゴールの浜松市役所でゴールテープに飛び込んでいる笑顔のランナーの顔が眩しかった。
42.195㎞までしか走ったことのない僕の心は興奮した。
土曜日に走っていた人は、160㎞という果てしない距離に挑戦している最中だったのだ。
12市町村が合併した浜松市を浜松駅から自分の暮らしている半場まで走ってみた。
60㎞
9時間かかった。
100㎞考えられない距離が、自分が挑戦しないだけの距離だと思い始めた。
2011年とチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100㎞の部を走った。
多くのランナーと100㎞先のゴールを目指した。
ゴールして完走メダルを手にしたときは感動した。
2012年・2013年と走って完走メダルは三個になった。
ソレゾレ思い出深いレースだったが、楽しい思い出より辛かった大変だった思い出が多かった。
そんなとき、浜名湖100㎞の話があり参加した。
前夜祭に参加して酒を飲んだ、挑戦する記録にこだわるより、楽しむことが最優先の浜名湖100㎞。
そうまさに
ぐるっと浜名湖一周100km
エンジョイ・マラニック
だった。
はじめて走った浜名湖100㎞
そのとき見た、湖西市は
30年前、僕が青春時代に観た景色、湖西市鷲津の駅前は様変わりしていた。
変わりゆくものがある。
変わらないものもある。
自分は年をとった。
年齢を重ねて様相は変わったが、気持ちは自分の青春時代と何も変わらない。
青春時代の自分の足跡を追っての100㎞のマラニック、浜名湖をぐるっと一周しながら景色、浜名湖の歴史、とともに自分の青春時代をも回想するマラニック。
楽しいから浜名湖100㎞、マラニックだから余裕ある時間設定だから、続けて走りたいと思う。
浜名湖100㎞、完走できる走力を維持していこうと思う。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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