むかし中学生の頃、隣村「相月」に暮らしている同級生と話したことがある。
「山の上で、一生暮していると思うと嫌になるゾ~」
相月の同級生も
「自分とこは日陰で、かちゃ~が洗濯物を日に何回か場所を変える」
そんなことを話した記憶がある。
(山間部の山に囲まれたところは、洗濯物を干すにも苦労した)
月日は流れ
就職して湖西に暮らし、子どもが生まれ、横吹に帰ってきた。
半年間、麓に車を置いて、家まで歩いて登っていく生活をした。
多くある荷物はサクドウで運んだ。
(サクドウ→ゴンドラみたいな物)
次の年、平成元年、小渕首相が元号は「平成」です。
と言った年の3月に半場に越してきた。
富士鐵工所の仕事から帰ってきて、冷蔵庫にビールが無い時、半場の塩澤酒店に買いに行った。
焼き肉をやろうか、と鉄板を用意して、さて焼くぞ。そんな時にタレが無いことに気がついて、中部(なかべ)の丸山肉店にタレを買いに行った記憶がある。
店が近くにある便利で良いナ~っと思った。
しかし、そんな半場でも、私の同級生は都会に行っている人が多い。
長男で家があってもココには暮して居ない人が多い。
話しは変わって
明日は
チャレンジマラニックin遠山郷
だ。
水窪の北、長野県にある「遠山郷」でのマラソンイベントだ。
遠山郷の看板地域に「下栗の里」がある。
斜面集落で、そこに点在する家々が素晴らしいと関東から来たランナーがため息を漏らす。
日本の原風景だと。
下栗の里を走って下っていくと、民家があり、そこで よう来てくださった と大歓迎をしてくれる家がある。
横吹での生活を、懐かしく思い返す。縁側でビールを飲んだ記憶が蘇る。
そのとき
自分の暮らしていた「横吹」も、多くのランナーに知ってもらいたいと思った。
そして「夢街道90㎞」は、始まった。
存在意義も北遠の斜面集落を紹介すること、今は二軒となって消えていくかもしれない村「横吹」を一人でも多くの人の心に残すのが今ここに残された自分の存在意義だと思って暮して居る。
人はソレゾレ意義があって生きている。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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