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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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1928年(昭和3年)、大石先生は瀬戸内海に浮かぶ美しい小豆島の分教場に赴任する。
物語「二十四の瞳」は始まる。
大石先生は、いたずらっ子の落とし穴に落ち学校に来ることができなくなり、大石先生が担任する二十四の瞳の子供達は大石先生の元を尋ねる。


 
 
 
時代は1928年(昭和3年)から月日が経ち、長かった戦争が終わった。
大石先生は、また岬の分教場の教師として働き始める。
教え子達が大石先生の歓迎会をする。
その中に戦争で目が不自由になった磯吉がいた。
先生と撮った写真を見てた。目の見えない磯吉にも、この写真だけは見えた。
 


二十四の瞳、私の瞳。
私の目から涙がこぼれた。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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