遠山郷でマラニック同走会があった時に、お酒を飲んで盛り上がって・・・・宿泊する民宿「島畑」での布団の中で・・・・・。
誰かがランナーの事を質問した。
たけちゃん「ランナーはわがままだ!!」
ヒロボー 「私のマラニックに来る人は、いい人ばかりだ」
私 「・・・・・・・・・・・・・・・・」
本当は「良い人もいるけど・・・チョットな~という人もいるゾ~」
そう思ってけど、口には出さなかった。
ヒロボーさんは、自分のマラニックを・・・・こんな考えでマラニックを行っているのだな~。
色々な人がいる、色々な意見もある。
そんな中で、そんな人の言い分を聞き、自分のマラニックに活かしているのだろう。
そんな考えのヒロボーさんは、大きなマラニック「ぐるっと浜名湖一周マラニック」を企画して、ボランティアを集って大会を開いた時に・・・少しトラブルがあったそうだ。
ヒロボーさんはそんな人の話を聞いて一緒にお酒を飲んで、次へのマラニックに活かそうとしている。
私の「夢街道100km」は、そんなヒロボーさんのとは少し違う。
あまりトラブルを招く人は、遠慮してもらいたい。
分かり合える人で、、、楽しく走りたいのである。
人は、みんな違う。
走る人の中でも、それぞれの考えがある。
たけちゃん・ヒロボー・私・・・みんな違ってみんないい。
追伸
たけちゃんとは、「チャレンジマラニックin遠山郷」を最初に始めた人の一人です。
この同走会の時には、とどさんと二人で遠山に来ていました。
とどさんは、
「私の有給は遠山郷に来るために使っている。」
「髪の毛も遠山郷のレイジ兄の床屋で刈っている。それまでボウボウ」
と言っていた。
それほどの遠山好きな人だ。
たけちゃんは
サブスリーランナー、走る事に疑問を感じブラインドランナーのサポートを始め色々な事をやっていると聞く。
二人とも、遠山が縁で仲良くなった人だ。
12市町村が合併し新浜松市が誕生した時に、「新浜松市合併記念マラニック」を走っている人に出会った。
100km以上の距離を走るウルトラランナーの人たちだ。
その人たちが走ったウルトラマラソンの話を聞き・・・・いつか私も走ってみたいと思った。
いつか参加したいと思っているウルトラマラソン
サロマ湖100kmウルトラマラソン
http://saromanblue.jp/guideline
宮古島100㌔ワイドーマラソン
http://miyakojima.net/100km/
四万十川ウルトラマラソン100km
http://shimanto-ultra.jp/
歴史街道丹後100kmウルトラマラソン
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/kanko/ultra/index.html
えちご・くびき野100kmマラソン
http://echigo-joetsu.com/100km/
どのウルトラも地域おこしのため特色をだし走った人が感動したと話していた。
いつか自分も、こんな大会に行きたい。
そんな夢がある。
でも今は「夢街道100㌔」で我慢する。
浜松市は12市町村が合併して大きくなった。
佐久間に住む私は合併とは、この地域に住む私たちに何を問いかけているのか考えた。
佐久間町とは昭和31年9月30日に佐久間村と山香村・城西村・浦川町が合併して誕生した町だ。
佐久間町に佐久間ダムができ、近くの町村は佐久間ダムからの恩恵が目的だったのかもしれない。
その佐久間ダムの影響なのか、佐久間町内の小中学校は鉄筋コンクリートの新校舎に次々変っていった。
それぞれの地域に、それぞれの新校舎が。
今、その当時の新校舎が、浜松市への合併によって人々が町への引っ越しによって児童が減り廃校になっていく。
そして・・・その学校が取り壊しになっていく。
八丁坂の途中にある、山香小学校が今解体の最中だ。
色々な考えがあっていいと思う。
そんな山の生活の現状を見ながら「夢街道100km」を走ってほしい。
今、時分にできること・・・そんな現状を受け止め今の現実を自分の脳裏に焼き付けておくこと。
ず~っと続けていきます「夢街道」・・・・・今の現実を見て、未来。。。に。
PS
遠山郷は山間部ですが・・・佐久間とは違う未来が見えます。夢・希望が見えます(^^)
夢・希望・そのためには努力も必要。
最初のころは、「浜松縦断 夢街道90km」といい、コースも水窪町から青崩峠を越えて遠山入りしていた。
2011年の夢街道(とっちーの「終わりなき旅」から)
夢街道(前半)
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/38e0361983280ac5e1bfd8e12c974fd7
夢街道(後半)
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/ce88b998e11a91455945b9ca7a3496ee
2011年の最初の開催の前に、この道を走った人も。
それぞれの夢街道
娘三人夢街道90km日記
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/253/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/269/
菊池さん しんしん夢街道90km日記
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/365/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/366/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/367/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/368/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/369/
本当は青崩峠を越えた方が、いいに決まっている。
青崩峠は歴史街道、私の母親は水窪の人で何人もの人を信州に送っていった事を話してくれた。
そんな人たちは、ここ青崩峠を越え、峠で振り返って故郷を後にしたのだろうと思うと・・・なんと風情のある峠だろうと感じる。
ところが、2012年から青崩峠は信州側山間部の深層崩壊の恐れによって通行止になったのである。
兵越峠は車の道、ランナーの安全にはこの道しか・・・今はないのである。
★話は、前回から続く。
切開(きいなま)から国道152号線を北上する。
相月バイパスの合流地点から水窪川をはさんで川向うには飯田線が通っている。
その飯田線のトンネルの出口付近の山の斜面が崩れている。
もっと大きく崩れれば水窪川が堰き止められていったかもしれない。
山が人工林の杉林ばかりになり、地盤が弱くなってこんな状態になってきたのだと言う話も聞くが・・・・・そればかりでは無いような気がする。
飯田線の城西駅が見えてくる。
ここは、私が城西小学校に通ったときに利用していた駅舎だ、当時は駅員さんもいて改札口で切符を切っていたのだが・・・・・。
城西小学校には、この城西駅から二㌔くらいかな~。
昔の子供は・・・・よく歩いたものだ。
城西小学校が見えてくる・・・・私の母校だ。
ここも生徒数が少ないそうだ、・・・・いつかが消えていくのだろうか?
城西を抜けると、水窪の町が見えてくる。
城西と水窪は近いけれど、城西は昭和31年9月30日町村合併で佐久間町になる道を選び、水窪町は佐久間ダムで潤っている佐久間にはなびかなかった地域なのだ。
水窪町に入り、最初の信号のある交差点を、町の方に進む。
ここからは、水窪の街並みを散策しながらのんびりと歩いていくのがおススメだ。
昔は、信州街道を歩く人が信州に向かう峠を越える前の宿場町として栄えたのだろう。
水窪の町を抜けると、国道152号線は・・・・じりじりと上り坂になってくる。
西浦(にしうら)に出ると、浜松市最北端の店「はくりや」がある。
ここはCP-5雑貨屋「はくりや」(トマトエイド)だ。
トマトを各自二個ずつ用意してある。
去年から、峠越えが「青崩峠」から「兵越峠」になった。距離も長くなった分、脱水症が心配の種だ・・・ここで水分を買っておかないと遠山郷までは自動販売機もない。
500ml二本は必要だ!!
「はくりや」から西浦の国道152号線はマスマス上り勾配が急になってくる。
西浦の最後の村「池島」、ここに兵越峠と青崩峠の分岐点がある。
ここを、トンネル「草木トンネル」方面に向かう。ここトンネルは当初三遠南信道の高速道路として建設され人は歩くことが出来なかったが、今は新しく「青崩トンネル」の建設が始まり、このトンネルは歩行者も歩くことができるように歩道も整備された。
草木トンネルを抜け、兵越峠を目指しひたすら歩みを進める。
兵越峠は秋に、信州の観光協会と遠州の観光協会とで「峠の綱引」をやるので話題になる事がある場所だ。
兵越峠に来た時には、県境の印に注目である。
この峠から、九十九折の道を信州「遠山郷」に向けひたすら下る。
遠くに神楽の湯がある和田の町がかすかに見え隠れする。
しばらく行くと、「このた」の村に下っている道がある、間違えないように。
この道を下ると、「このた」の村だ、急斜面の村の前には・・・・断崖絶壁の岩がある。
秋の紅葉の季節には素晴らしい景色が見えるので、是非秋に来てほしい村だ。
この村を下りきると、国道152号線に出る。
この国道を和田に神楽の湯に観光協会「アンバマイカ」に向かっていく。
和田のバイパスに曲がると、道の駅「遠山郷」の看板が・・・・100kmのゴールだ。
次回につづく。
去年の夢街道は前日の台風で大変だったのっを覚えている。
6月になり雨が多く降る時があり、サポートの関係で遠山のKさんに電話すると「青崩峠の信州側で、深層崩壊の恐れがあり通行止めです。青崩峠は通らないで下さい」との話を聞く。
「夢街道は止めた方が良い・・・・中止してください」との話もあった。
中止っと言ってもな~。
マラニックを走る人は少々の雨でも集まるョ・・・・・、でもKさんも立場もあるし・・・遠山の人に迷惑を掛けたくないし。
ヒロボーさんとも相談して、第二回「夢街道90km」は青崩峠を超えるのをやめ、兵越峠越えとした。
そしてKさんに「観光協会には迷惑を掛けないように開催します」とメールした。
参加者のみんなに、「今回はサポートの人は着れなくなりました」と連絡した。
大きな台風が接近し私の住む地域も被害が出て飯田線も不通になり、第二回「夢街道」の日を迎えた。
台風一過で雨も止み一人で夢街道の準備をしながら遠山に車を走らせると、水窪のバイパスで携帯電話の着信があった。
遠山のKさんからだった。
「今日の夢街道、サポートやってやるョ」
ありがたかった。
しかし、心配事がまだあった。
飯田線が不通になっていることだ。
JRに問い合わせると、飯田線は水窪駅までしか運転していないそうだ。
遠山で走っていくと電車で帰ろうとしている人は、、、、、帰る事が出来ない。
そんな人は兵越峠を越えない、水窪をゴールにしてもらわないと・・・・と考えて遠山に車を走らせた。
遠山に着き観光協会「アンバマイカ」に入り、JRの話を聞いたら「今日の1時から正常運転に戻りました」との話が合った。
ホ~っとした。
そんな感じで迎えた、第二回「夢街道」浜松駅を21時にスタート、浜松の市街を走りはじめたのだ。
浜松市街は蒸し暑く単調なまっすぐな道路は気分もすぐれなかった。
が、旧天竜市に出て、最後のコンビニ「山東サークルK」を過ぎ、船明ダムの湖畔を走ると、風が涼しく気持ちがいい風が吹いてきた。
横山の街に入り、天竜川に架かる「横山橋」を渡り、コースはこれから山の奥へと入っていく。
横山トンネル、秋葉トンネルを走る。
このトンネル、ほんの10年前にはなかった。
このトンネルが出来て、私の住む佐久間は浜松の市街に行くのにずいぶん楽になった。
しかし、道路が良くなっても、山間部に住む人は少なくなっていく。
とくに・・・・若い子供を育てる世代が町に出ていくために、山間部の学校は廃校になり佐久間町時代に多額の予算で建てられて建物が取り壊されていくのだ。
秋葉トンネルを抜けると、天竜川の龍山村(今は龍山町)にある秋葉ダムが現れる。
国道152号線から右に折れ、その秋葉ダムのCP-3「秋葉ダム公園内トイレ」に行くのだ。
去年だったっけな~、ここのCPを通らないランナーがいた。
折角、ヒロボーさんが書いて下さったコースマップを見ていなかったのだ。
今回はスタート前に、チェックポイントは必ず寄ってチェックしていくことと、連絡しよう。
CP-3「秋葉ダム公園内トイレ」去年の記録を見てみると。
速い人で1時45分、遅い人で3時15分だった。
ここからは車も通らない真っ暗な道だ。
国道の道は狭いトンネルがあり危険ではないかと、呼びかけ人として東岸を走るようにと決めたのだけど・・・・・この真っ暗な道を一人で走るにはかなりの勇気がいるだろう。
3km走ると「峰沢橋」という吊り橋がある。
コースは暗い山道だけど、あまりの暗さに・・・・・この橋を渡り国道を走ったというランナーもいたようだ。
私は、去年は県道を走り。その前は吊り橋を渡り国道を走ったのだ。
景色は国道の方がよかった。
国道行くと、瀬尻の町横の秋葉ダム湖から霧が湧き、遠くに竜頭山が見えた。
その霧が・・・まるで竜が竜頭山に向かって登っているようだった。
「瀬尻橋」の横を通り次の橋が「大輪(おおわ)橋」だ、ここには自動販売機があり観光トイレがある。
ここから走っていくと前の方の山に人家が見える、山の斜面に張り付くようにその村には家が建っている。
ここは「西渡」(にしど)という村だ。
PC-4「西渡バス停」(伊藤エイド)があるところだ。
去年は速いランナーが、伊藤エイドで給水・給食が出来なかったので、今回はしっかり走る前に説明するようにしなければ。
CP表も伊藤さんが持っているそうなので、、そのこともシッカリ伝えなければ。
ここから、コースは国道をはなれ「塩の道」となる。
西渡の斜面部落を上る「八丁坂」がコースになっている。
昔、まだ道路が無いころ、平野部の物資は渡船で運ばれていた。
天竜川を渡船で運んできた物資を水窪や信州の方に運ぶには、西渡の上の方にある街道までその物資を運ぶ道「八丁坂」があったそうだ。
昔の人々は、この道を背負子に塩や魚などを積んで運んでいた道なのだ。
塩の道「八丁坂」
http://yama-machi.beblog.jp/sakumai/2008/05/post-e6a2.html
八丁坂を上りきり「明光寺峠」を超え瀬戸の村を行く、
車が通れる道の終わり、瀬戸の村の家々の軒先を通る塩の道となる。
歩道も終わり道路を下っていくと、先ほど上ってきた村道と合流する。
この村道沿いには、水窪川の東斜面に点在する部落がある。
瀬戸・間庄(ましょう)・立原(たっぱら)・横吹(よこぶき)私の元住んでいたところは横吹だ。
この道を通ると、立原から横吹が見える・・・私の家がかすかに見える。
昔の思い出が甦る。
村道が山から下っていくと、旧国152号線に出る。
この交差点を左折する。
2kmほど行くと、相月バイパスの出口に出る。
ここの集落は切開(きいなま)だ。
ここら辺の村の名前はチョット変わっている村の名前があります。
この夢街道・・・これから何年も続けると・・・・・こんな村もあったんだな~。
そんな風になっていくと思います。。。。。
そう・・・ここは限界集落。
ここから国道152号線。
国道といえど、道路は狭く、歩道もありません。
車に気を付け、遠山を目指しましょう。
次回に つづく。
今日からシリーズで、夢街道100kmのコースを説明していこうと思う。
まずは、去年走った方のブログ↓(とっちーの「終わりなき旅」から)
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/c9a557064f6b4cac630d6fb431efa327#comment-list
今年のスタートは6月28日(金曜日)夜の九時スタート。
30分前には浜松駅南口に来てください。
浜松駅南口を出発し、北口に向かう。
ここのコースは、浜松市の玄関口を走るという意味があるのだ。
寂しくなった駅といえども浜松市を訪れる人は、ここ浜松駅を利用する。
そんな人ごみの中を抜け、これからの遠山郷までの100km の道、旅を始めるのに、まずこの人ごみの中を通ってほしいのだ。
北口を出ると左側、北側に行く。
ザザシティーの交差点の所が、遠山郷まで向かっている国道152号線だ。
この交差点を右折、地下道になるので間違えずに国道152号線を北上してほしい。
ここからは、単調な国道をただただ北上。
しばらく行くと、13km地点のCP-1「新原ローソン」が左側に見えてくる。
ここは、今回はCP表を置くことができない。
ここでの記録は、自分で覚えておき、次のCP-2「山東サークルK」に記入してほしい。
「新原ローソン」から北上すると、遠鉄電車の線路は出る、「新原東原北」の交差点だ、ここを左折する。
ここから遠鉄電車沿いの道となる、ここからは歩道もなく国道といえども道路が狭くなくので、歩道のある時は歩道を、歩道の無いときは右側通行をしてほしい。
第二東名の下をくぐり、
しばらく走り、天竜川に架かる橋「鹿島橋」を渡る、この橋は車の通る橋の横に歩道がある。
夜の鹿島橋もいいものですよ。
橋を過ぎると、「鳥羽山トンネル」がある、ここも自動車専用のトンネルの横に歩行者のトンネルがある。
二俣の街を走ると「双竜橋」の交差点がある、ここを左折、二年前かな~、ここの交差点を曲がらずに行った人がいたっけ。
コースマップをよく見て走るようにしてください。
しばらく走ると、左側にCP-2「山東サークルK」がある。
ここが最後のコンビニと書いてあるが、本当は一㌔先に去年「ローソン」が出来たので、最後ではない。
しかし、一昨年から利用させてもれっているので、今年もここをCP-2にします。
ここ重要
去年まで遠山郷のKさんが、サポートをしてくたのだが、今年は・・・断りました。
理由
★私のマラニックは、ハガキでも書いたように「地域の店をなるべく利用しましょう」です。
コンビニはトイレを借りるだけでなく、ここでこれからの山道での食料を買い込みましょう。
★サポートを頼りすぎると思ったから・・です。
これだけの距離を走るとなると。。。なにが起こるか分かりません。しかし、時間はたっぷりあります、安易にサポートを頼るのではなく、、、自力で遠山郷まで行くのだ・・・・そういう思いで参加してほしいとの思いもあります。
★これが一番の理由かもしれない、予算化ない。
私のマラニックは、なるべく低予算でとの思いがあります。
私が住んでいる「ほくえん」に来てほしい、、、そんな思いで始めた「ほくえん旅ラン」
他のマラニック・ウルトラマラソンを見ていると、海あり山ありと風光明媚なコースをウリとして集客しています。
だけど、北遠、、、なにがあるのだろう・・・と考えた結果の・・・・安さでした。
(それと、顔の見えるマラニックを目指しています。少ない人数で会話しながら走り、遠山に着いたら皆仲間だ!!そんなマラニック)
話が脱線しましたが・・・話はまだ続きます。
CP-2「山東サークK」を出る頃には丑三つ時 辺りは真っ暗です。しばらく行くとコンビニ「ローソン」があり、この辺のひろい敷地の周りには墓石の会社が数件あります。
ここは、旧天竜区、浜松市に合併しこの広い敷地に市営の墓地を作ろうと計画されているのです......\( ><)シ ぎょぇぇぇ
蒸し暑い夜はきっと涼しく走る事が出来るでしょう。
船明(ふなぎら)ダムの横を走り、トンネルと二つ抜け、この辺からは左側に天竜川を眺めながらの走りとなる。
道の駅「花桃の里」にトイレあり、真っ直ぐな国道を北に走るとこの道路沿いには平家蛍が毎年現れるところだ。
横山の街に入り、天竜川に架かる「横山橋」を渡り、コースはこれから山の奥へと入っていく。
次回につづく。
★今日、保険の申込をしました。
4275円成り。
★申込者・去年の参加者へのハガキは金曜日に投函
サポートの二人には今日ハガキを出しました。
私が浜松駅から初めて走ったのは佐久間が浜松市に合併した、その年だった。
まだ、浜北のサンストリートが建設途中で、歩道も整備されたなかった。
天竜に着き、天竜川沿いを走ると気持ちが良かった。
秋葉トンネルを抜けると秋葉ダムが見えてきた。
秋葉ダム東岸の木陰沿いを走り、西渡から佐久間方面に向かった。
夢街道100kmは、ここから八丁坂を上り、水窪川の西側の山に点在する村にある塩の道を通ることになる。
島の部落から旧国道152号線に、切開(きいなま)城西・水窪と走り。
西浦で浜松市の最北端の酒屋「はくりや」に寄り、信州に向かうため峠を越すのだ。
兵越峠を越すと、そこは信州。
最初に出てくる村は「このた」秋には紅葉の美しい所だ。
和田の街に出て、道の駅「遠山郷」にある遠山郷観光協会「アンバマイカ」がゴールとなる。
そこには温泉「神楽の湯」があり、その温泉で疲れた体を癒すのだ。
浜松市の中心、JR浜松駅の南口でアクトタワーをバックに写真を撮ってから、この旅は始まる。
町から山へ。
「山の者も町の者も、男も女も、みんな仲良く目指せ遠山郷」
今日は、仕事から帰ってきて夢街道100km最終案内を作っていた。
去年走った人で、今年は音沙汰の無い人にも送ろうと思う。
私のマラニック「ほくえん旅ラン」は申込用紙にも書いてある通り。
このマラニックは私が趣味で楽しむために始めました。道路使用許可も取っていないので、歩行者としての、交通ルールやマナーを守って走るようにしてください。
山間部に入ってくると国道でも、歩道がない所が多く、道路も狭くカーブが連続します。
"ほくえん”に暮らす人の生活道路を使用させてもらっているとの気持ちで参加してください。
★マラニック中の写真・その他、私の「RUN2homepage」で使用させていただきます。
★マラニック参加中、いかなる事故が発生しようともすべては自己責任として、呼びかけ人には一切の責任を負わないものとする。
以上、"ほくえん旅RUN"の趣旨を理解し、感謝と謙虚さを持った優しいランナーのみなさんの参加をお待ちしています。
こんな感じで行おうと思っている。
だから、今日書いた案内も、沢山ある名簿から「感謝と謙虚さを持った優しいランナー」を見つけて送ることにした(^^)
あ、、こんな時間だ。
もう寝なければ(^^;
ほくえん旅ラン | 2013年 夢街道100km | 緑色は遠山宿泊 | ||||||
ただ今12名のエントリー。 うっちゃん・かずき・たける・ヨッピー・とっちー・ひろし2 ひでお・ひろぼー・玄明・イチゴ大福・ひさのり・しんしん |
||||||||
まだまだ参加可能ですので、ほくえん旅ランの趣旨を理解してくれる方の参加をお待ちしています(^^) | ||||||||
C P 表 | 変更箇所赤色で表示 | |||||||
CPナンバー | 関 門 | km | 場 所 | |||||
CP-1 | 10:30 | 13km | 「新原ローソン」今回記録表はおいていません。 | |||||
CP-2 | 12:30 | 23km | 山東サークルK | |||||
CP-3 | 3:00 | 40km | 秋葉ダム公園内トイレ | |||||
CP-4 | 6:00 | 53km | 西渡バス停手前(伊藤エイド) | |||||
CP-5 | 12:00 | 75km | 雑貨屋「はくりや」(トマトエイド) | |||||
ゴール | 14:00 | 100km | 遠山郷観光協会「アンバマイカ」内 | |||||
CP-4(伊藤エイド)から八丁坂、コースが複雑です。 マムシ注意の看板あり、足元に注意です(^^) |
||||||||
分からないところは私のHP「RUN2homepage」の左側のバナー「ほくえん旅ラン」の掲示板でお話し下さい。 それでも分からないことは、携帯 080-1562-8779へ。 |
||||||||
チェックシート □点減ライト手持ちライトの電池は十分か。 □夜走り時、車に発見されやすいように工夫されているか。 □クマよけの鈴は持ったか。 □100kmを走り切る、気力は十分か。 以上、今年もよろしくお願いします・・・新間 |
||||||||
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |