忍者ブログ
平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
[1005]  [1004]  [1003]  [1002]  [1001]  [1000]  [999]  [998]  [997]  [996]  [995

最初のころは、「浜松縦断 夢街道90km」といい、コースも水窪町から青崩峠を越えて遠山入りしていた。

2011年の夢街道(とっちーの「終わりなき旅」から)
夢街道(前半)
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/38e0361983280ac5e1bfd8e12c974fd7
夢街道(後半)
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/ce88b998e11a91455945b9ca7a3496ee


2011年の最初の開催の前に、この道を走った人も。

それぞれの夢街道
娘三人夢街道90km日記
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/253/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/269/

菊池さん しんしん夢街道90km日記
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/365/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/366/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/367/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/368/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/369/

本当は青崩峠を越えた方が、いいに決まっている。
青崩峠は歴史街道、私の母親は水窪の人で何人もの人を信州に送っていった事を話してくれた。
そんな人たちは、ここ青崩峠を越え、峠で振り返って故郷を後にしたのだろうと思うと・・・なんと風情のある峠だろうと感じる。

ところが、2012年から青崩峠は信州側山間部の深層崩壊の恐れによって通行止になったのである。

兵越峠は車の道、ランナーの安全にはこの道しか・・・今はないのである。


★話は、前回から続く。
切開(きいなま)から国道152号線を北上する。
相月バイパスの合流地点から水窪川をはさんで川向うには飯田線が通っている。
その飯田線のトンネルの出口付近の山の斜面が崩れている。
もっと大きく崩れれば水窪川が堰き止められていったかもしれない。
山が人工林の杉林ばかりになり、地盤が弱くなってこんな状態になってきたのだと言う話も聞くが・・・・・そればかりでは無いような気がする。
飯田線の城西駅が見えてくる。
ここは、私が城西小学校に通ったときに利用していた駅舎だ、当時は駅員さんもいて改札口で切符を切っていたのだが・・・・・。

 

城西小学校には、この城西駅から二㌔くらいかな~。
昔の子供は・・・・よく歩いたものだ。


城西小学校が見えてくる・・・・私の母校だ。
ここも生徒数が少ないそうだ、・・・・いつかが消えていくのだろうか?

城西を抜けると、水窪の町が見えてくる。
城西と水窪は近いけれど、城西は昭和31年9月30日町村合併で佐久間町になる道を選び、水窪町は佐久間ダムで潤っている佐久間にはなびかなかった地域なのだ。


水窪町に入り、最初の信号のある交差点を、町の方に進む。
ここからは、水窪の街並みを散策しながらのんびりと歩いていくのがおススメだ。
昔は、信州街道を歩く人が信州に向かう峠を越える前の宿場町として栄えたのだろう。


水窪の町を抜けると、国道152号線は・・・・じりじりと上り坂になってくる。
西浦(にしうら)に出ると、浜松市最北端の店「はくりや」がある。
ここはCP-5雑貨屋「はくりや」(トマトエイド)だ。
トマトを各自二個ずつ用意してある。
去年から、峠越えが「青崩峠」から「兵越峠」になった。距離も長くなった分、脱水症が心配の種だ・・・ここで水分を買っておかないと遠山郷までは自動販売機もない。
500ml二本は必要だ!!


「はくりや」から西浦の国道152号線はマスマス上り勾配が急になってくる。
西浦の最後の村「池島」、ここに兵越峠と青崩峠の分岐点がある。
ここを、トンネル「草木トンネル」方面に向かう。ここトンネルは当初三遠南信道の高速道路として建設され人は歩くことが出来なかったが、今は新しく「青崩トンネル」の建設が始まり、このトンネルは歩行者も歩くことができるように歩道も整備された。
草木トンネルを抜け、兵越峠を目指しひたすら歩みを進める。
兵越峠は秋に、信州の観光協会と遠州の観光協会とで「峠の綱引」をやるので話題になる事がある場所だ。
兵越峠に来た時には、県境の印に注目である。

 

この峠から、九十九折の道を信州「遠山郷」に向けひたすら下る。
遠くに神楽の湯がある和田の町がかすかに見え隠れする。
しばらく行くと、「このた」の村に下っている道がある、間違えないように。
この道を下ると、「このた」の村だ、急斜面の村の前には・・・・断崖絶壁の岩がある。
秋の紅葉の季節には素晴らしい景色が見えるので、是非秋に来てほしい村だ。


この村を下りきると、国道152号線に出る。
この国道を和田に神楽の湯に観光協会「アンバマイカ」に向かっていく。
和田のバイパスに曲がると、道の駅「遠山郷」の看板が・・・・100kmのゴールだ。

次回につづく。


 

拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
カウンター
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カウンター
忍者ブログ [PR]