新型コロナウイルス感染症、パンデミック、感染症の世界的な大流行で今までとは違った価値観を私たちは求めてさまよっている。
ウィズコロナ、新型コロナウイルスとの共存・共生、これからはコロナと共に生きていく、そんな考えで生きていくであろう暮らして行くのではないだろうか?
戦後、日本は経済発展をしてきた。
先日、志村けんのの本を読んだ。
志村 けん (1950年〈昭和25年〉2月20日 - 2020年〈令和2年〉3月29日)、日本のコメディアン、お笑いタレント
志村けん「変なおじさん」完全版
「♪カ~ラ~スなぜ鳴くの? カラスの勝手でしょ~♪」
本にも書いてあったが、ドリフターズ時代、こんな歌が皆で歌ったとき世の中が自分さえ良ければイイ、そんな時代になってきたのだと思う。
その後、こんなのもあった。
「田舎が合併したって。そんなの関係ない」
志村けんが、本の中で語っていた。
女の子が大好きで、正体がバレるとヘンテコな踊りをするコント、「変なおじさん」自分自身の分身のようで大好きだと。
「♪カ~ラ~スなぜ鳴くの? カラスの勝手でしょ~♪」
当時、志村けんは、このギャグをやり、世の中が自分さえ良ければイイ、そんな時代になってきたのだと思う。
と回想している。
今、日本は経済発展の頂点に達している。自分さえ良ければイイ、そんな時代は終わった。
パンデミックinウィズコロナ
コロナと共に生きていく。そんな考え方。
昔、ドリフターズ時代のもっと前、シャボン玉ホリデーと言う番組があった。
病弱の御父さんを献身的に看病するコントが面白かった。
今、現在、風邪などひこうものなら「自己管理が悪い」そんな風潮を感じる。
パンデミックinウィズコロナ
人を慮る世の中、本来日本人は、この様に生きてきた。
新型コロナウイルス感染症、パンデミック、感染症の世界的な大流行で今までとは違った価値観を私たちは求めてさまよっている。
ウィズコロナ、新型コロナウイルスとの共存・共生、これからはコロナと共に生きていく、そんな考えで生きていくであろう、暮らして行くのではないだろうか?
戦後、日本は経済発展をしてきた。
先日、志村けんのの本を読んだ。
志村 けん (1950年〈昭和25年〉2月20日 - 2020年〈令和2年〉3月29日)、日本のコメディアン、お笑いタレント
志村けん「変なおじさん」完全版
「♪カ~ラ~スなぜ鳴くの? カラスの勝手でしょ~♪」
本にも書いてあったが、ドリフターズ時代、こんな歌が皆で歌ったとき世の中が自分さえ良ければイイ、そんな時代になってきたのだと思う。
その後、こんなのもあった。
「田舎が合併したって。そんなの関係ない」
志村けんが、本の中で語っていた。
女の子が大好きで、正体がバレるとヘンテコな踊りをするコント、「変なおじさん」自分自身の分身のようで大好きだと。
「♪カ~ラ~スなぜ鳴くの? カラスの勝手でしょ~♪」
当時、志村けんは、このギャグをやり、世の中が自分さえ良ければイイ、そんな時代になってきたのだと思う。
と回想している。
今、日本は経済発展の頂点に達している。自分さえ良ければイイ、そんな時代は終わった。
パンデミックinウィズコロナ
コロナと共に生きていく。そんな考え方。
昔、ドリフターズ時代のもっと前、シャボン玉ホリデーと言う番組があった。
病弱の御父さんを献身的に看病するコントが面白かった。
今、現在、風邪などひこうものなら「自己管理が悪い」そんな風潮を感じる。
パンデミックinウィズコロナ
人を慮る世の中、本来日本人は、この様に生きてきた。
毎月、森町三倉でやる勉強会にて、良寛さんの事を学んだことがある。
勉強会「良寛戒語」
その前の彼岸のときに相月のお寺で良寛さんの書いたといわれる般若心経のコピーをいただいた。
勉強会に、そのコピーを持っていき、みんなで眺めて、ある人が「あまり達筆とは言えないナ~」と言った。
年末のお墓掃除に行ってついでに、前借りた:酒井雄哉大阿闍梨の本を返しに行って、今度は良寛さんの本を借りてきた。
そのとき借りた本のブログ↓
酒井雄哉大阿闍梨の本「この世に命を授かりもうして」を読んだ。
「ほっとする良寛さんの般若心経」加藤僖一
良寛さんの書を味わい、良寛さんの心にふれる。
Ⅰ・摩訶般若波羅蜜多心経
「摩訶」は大の意。「般若」は人間が真実の生命にめざめた時にあらわれる根源的な叡智のこと。「知識」に対する「智慧」を意味します。「波羅蜜多」は完全に到達するの意の「完成」です。「心経」は心臓である経典の意で、心臓は我でもあります。
原文まま
味わい深い良寛さんの般若心経、ときに脱字や誤字がある、それは良寛さんがわざと書いたのか、わからない。
仏教はインドから中国に伝わり、日本にやってきた。
ありがたい経典だ。
良寛さんの辞世の句とされる
うらを見せ おもてを見せて ちるもみぢ
裏も表も全て見せ散る紅葉のように、私は散ってゆきます。
裏をあの世、表をこの世とすれば、一枚の紅葉の葉は「表裏一体」「生死一如」死ぬとか生きるとかは紅葉の葉の裏表、切り離せないこと。
良寛さんの書に「心月輪」が書いてあった。
心月輪
良寛さんの知り合いの桶屋で、失敗して捨てようと思った、その桶の蓋に書いた書だという。
心も月も丸いほうがイイ。と。
今日は1月3日、テレビで箱根駅伝を見ていた。
途中のテレビのサッポロビールのCMで、こんなキャッチコピーがあった。
丸くなるな星になれ。
丸くてもイイじゃないか。
星でもイイじゃないか。
都市部に暮らしても、田舎で暮らしても、イイじゃないか。
「普通」って何だろう。。。
普通でない人、少数派→マイノリティー
普通な人 多数派→マジョリティー。
様々な人がいる。様々な考えの人がいる。
多様性(ダイバーシティ)
お互いを尊敬しあう世界。を希望します。
マミちゃんから連絡が来た(笑)
ほくえん旅ラン
2018年
たつやま凸凹マラニック(冬)
開催。パチパチパち~。。。
コースは↓
https://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=af7b0a12041373f5d3317dd5a6a4a05e
ルートラボ
浜松市天竜区龍山町
そこには1958年(昭和29年)に完成したダムがある秋葉ダムだ。
そのダム湖の両岸の急峻な山々に点在する斜面集落を旅するマラニック。
今回、冬のステージ
参加者5人
北遠の冬は寒い。
日陰にある「やすらぎの湯」を後にして秋葉ダム湖沿いの道路を北上した。
吊り橋を渡り青谷ポケットパークへ
ここからグングンと高度を上げる。
青谷集落を経て「不動滝」へ行く。
寺尾集落に到着。
ココの集落では、毎年6月に「瀬尻ぶか凧あげ」がある。
私の産まれた育った、私の故郷、横吹(よこぶき)も斜面集落。
私の産まれた時もその「ぶか凧」という凧を揚げたときく。
父親が話してくれたことを記憶している。
目の前に広がる山々の稜線を眺めながらそんなことを回想した。
ここから一気に高度を下げる。
グングンと高度を下げる。
瀬尻橋が見えてくる。
ドラゴンママで食事、ウドンを注文する。
他の人は味噌田楽。
休憩が多く、時間を浪費し、ショートカットを提案。
瀬尻橋を渡り、本来のコースはダム湖を北上するはずだったが、今回、上平山をパスすることになった。
瀬尻橋を渡り下平山の農村公園を目指すことにする。
この公園は、龍山村立下平山 小学校跡地を利用した公園です。
階段を登り、大きなヒマラヤスギが私たちを迎えてくれる。
そこ横の道路沿いにあるモクレンの木、春には「たつやま凸凹マラニック」(春)のときには、キット、綺麗な花を咲かせてくれることだろう。
今回、ショートカットのタメ、時間的に余裕があった。
冬で日がかげるのも早く、薄暗くなってからのゴールが毎度のことだった たつやま凸凹(冬)しかし、こんなのも良い気ままなマラニック。
走ることが好き。一生懸命な気持ち。
ソレゾレ、暮らすところも育った環境も違う、一緒のことは走ることが好きな、こと。
動画です↓
その龍山町は浜松に合併する前は龍山村だった。
村が町に変わろうとも、地域は何も変わらない。
竜頭山はラクダ山はそれに続く稜線は、昔とチットも変わらずにわたしたちの目を楽しませてくれた。
アリガトウございました。
感謝です~♪
この話は、6月10日(火)にある人から連絡が来て知っていた。
私は興味もないし、相手にはしていなかった。
それが、7月11日(金)にメッセージが来た。
ライブの関係者らしい。
佐久間でのライブに来てくれるお客さんが少ない・・・と。
関係ないヨ~♪
その人が言うには
NPOにも打診をした。
観光協会にも。
何故か佐久間は、反応が悪い。
だ、そう。
そうだよ~。
それぞれの団体が、自分のところさえ自分のところの企画だけが上手くいけば良いとの思いの人が多いところだから。
それに、それぞれ忙しく・・・それどころでは、、、無い!!
それが・・・本音。
しかし、せっかく佐久間に来てくれるのだ。
自分なりに協力出来ることは、やって行こうかな。
と、思うのであった。
微力ですが、できることはやろうと思います。
何かの縁ですから。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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