浜松市天竜区龍山町ここの秋葉ダム湖両側にある斜面部落を巡るマラニックです。
スタート・ゴールは龍山やすらぎの湯
この駐車場には龍山村が合併した時に植樹した荘川桜があります。
御母衣ダム建設により水没する荘川村には、2本の巨木の桜があった、その荘川桜の子孫がここ・・・・北遠にも。
そんな荘川桜の花見を兼ねて懇親会も行いたいと思います。
こんな文章を添えて、ラン友に"たつやま凸凹マラニック(荘川桜の花見を兼ねて)"のお誘いの手紙を出した。
佐久間町が浜松市に合併するようになり、合併して自分の住んでいる地区(ほくえん)はこれからどうなっていくのだろう・・・・・・・・と考えていた時に出会ったウルトラマラソンを愛する人たち。
そんな、ウルトラマラソンを愛する人たちらから さくら道ウルトラ遠足の話を聞き、荘川桜物語を知った。
YouTube 荘川桜物語から。
昭和35年、御母衣ダム建設により水没する荘川村には、2本の巨木の桜があった。
その桜を見たダム建設事業主である電源開発の総裁高崎辰之助は、その桜の見事な姿に、ダムの底に沈めるには忍びなく移植を思い立った。
「進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われていく。だが、人の力で救えるものは、なんとか残してゆきたい。古きものは古きがゆえに尊いのである」と、当時の気持ちを語っている。
そして、当時日本唯一の桜の研究家であった笹部新太郎の努力によって、移殖作業が始まったのは、ダムに水をため始めた頃だった。
そして、湖底に村は沈んだ
多くの専門家たちが「不可能」といわしめた重さ約40トンの巨桜を、距離にして約600m離れた山の斜面んに移植する作業は困難を極めた。
だが、大規模な移植工事は、男たちの熱意で見事に奇跡を起こした。
そして長い冬が過ぎていった
飛騨高山に遅い春が訪れた
春には、水没して離散した村民が、満開の下に集まり、桜を眺めながら宴を開き、湖底に沈んだ、かつての村を語りながら偲んでいる。
この話には、さらに続きがある。
移殖された荘川桜の脇を国道156号線が通り、国鉄バス名金線の路線となっていた。
そのバスの車掌をしていた佐藤良二さんが、荘川桜の大工事を目にし、自分が通るこの道に桜を植えて太平洋と日本海を桜で結ぶ桜道にしようと思い立った。そして、荘川桜の植え続けていった。
だが、2000本を超える頃、47歳で病魔に倒れてしまう。この話は、国語の教科書にも記載され、「さくら道」という映画やテレビドラマにもなり、多くの人々に感動を与えた。
その夢は、今でも有志たちに受け継がれ、国道には桜の並木が続く。
二本の桜は、今でもダムに沈んだ村を見下ろすように立ち誇っている。
そして、昔のように美しい花を咲かし、村民たちの故郷への心のよりどころになっている。
この桜には、男たちの数々のロマンと熱い情熱が、ツボミを膨らませ、過ぎ去っていく時代と共に忘れられない花を咲かせている。
http://www.youtube.com/watch?v=PU1DQH3WtzU
YouTube 荘川桜物語から。
私が住む北遠(佐久間・水窪・龍山)は平成の大合併で浜松市になった。
合併前に、私が住む地区に役場の職員から合併についての説明があった。
「佐久間町としては天竜以北との合併を望んでいた。しかし、いくらこちらがラブコールしても相手が嫌がる以上 一緒にはなれない」
「そこに浜松市からのラブコールがあった」
と、合併の事を男女の恋愛に例えての説明だった。
そして、静岡市の井川地区を例にとり、佐久間も井川地区みたいになるでしょう( ̄□ ̄;)!!と締めくくった。
そんな合併を巡っての話し合いが・・・・・ここ龍山村にもあったのだろう。
龍山村こそ合併で村が無くなるのではないかと思ったのではないかと・・・・・・・・そんな龍山村は荘川桜を龍山入浴施設「やすらぎの湯」の駐車場に植樹した。
今回「たつやま凸凹マラニック」ゴールでの荘川桜の花見は、走る人も・走らな人も・山の人も・町の人も・北遠に残っている人も・理由があり北遠を出た人も、みんな仲良く荘川桜を見上げながら宴を開けるようになるといいな~。
荘川桜物語(北遠編)・・・・・みんなで龍山村から作って行こう。
コースマップ
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=af7b0a12041373f5d3317dd5a6a4a05e
荘川桜を植え続け「さくら道」を作った佐藤良二さんの残した最後の言葉
「この地球の上に、天の川のような美しい花の星座をつくりたい。花を見る心がひとつになって、人々が仲よく暮らせるように」
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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