佐久間ダムは着工したのが昭和28年4月16日、そして昭和31年4月22日には発電運転を開始している。
わずか3年という短い期間でのダム建設だった。
日本の経済発展は、この佐久間ダムから始まったといっても過言ではないダム建設だ。
そのダムは、山間の小さな村(佐久間村)の経済にも潤いをもたらした。
その佐久間村は、この年昭和31年9月30日当時の佐久間村と周辺地域、浦川町・山香村・城西村が町村合併し、新しい佐久間町になった。
佐久間町は山間部の北遠地方では財政的に潤っていたのか、近隣の町より駅伝大会は観光バスの送迎などがあり豪華な駅伝大会だったように思った。
この佐久間駅伝、最初は浦川中学校に集合し、ここで開会式をやり、ここからそれぞれの区間に選手を送迎していくのだった。
コースは、当時合併した、城西~山香を通って佐久間~浦川中学校をゴールでの駅伝大会だったのだ。
佐久間町は、それぞれの地域が合併し、それぞれの地域の代表が町の事を考えていた時代の話。
城西・山香・佐久間・浦川を一本のタスキでつないだのだ。
今は、その佐久間町も平成の合併で、浜松市の一部になった。
先日、天竜区での駅伝大会の関するアンケートでも佐久間駅伝の経費でもずば抜けて多くかかっている。
合併に伴い、佐久間地域は少子高齢化の進むばかり。
これからどうなるのか、佐久間駅伝。
PS
今日は「佐久間ダム」で検索し、天竜~佐久間ダムまでのトライブの動画を見つけた。
時代は今や平成になり、人々は便利の良い街へと流れていく、そんな時代になったのだが、私たちは忘れてはならないことがある。
佐久間ダムが発電を開始して半世紀、その建設には様々な犠牲のなかでのダム建設だったことを。
地権者の先祖伝来の家屋や田畑・山林の水没。
工事中不幸にして数多くの尊い人命が失われたことを。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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