2010年の秋「チャレンジ富士五湖 ウルトラマラソン」の申込み書を取り寄せてた時、11月に走った浜松から遠山郷(90km)で腰を痛め参加を断念した。
2011年の秋 今回こそとの思いでまた申込書を取り寄せた。
2012年は、地元の駅伝、森町ロード(ハーフ)浜松マラソン(ハーフ)駿府マラソン(ハーフ)と走って、3月の中ごろから腰痛が出てきた。
3月25日の 穂の国ハーフ 痛い腰をかばい走った。
2時間13分37秒
部門順位638位/922人中
4月は 秋葉ダム桜マラソン(10km) 14kmのウォーキング。
十分な走り込みが出来ないまま、「2012チャレンジ富士五湖 ウルトラマラソン」の日を迎える。
大会の前日受付から帰るとき、富士北麓公園の競技場に入ると霧に霞むスタート・ゴールがあった。
駐車場でとっちーさんと合流、100km初挑戦の私は、チャレンジ富士五湖 ウルトラマラソンで何もわからなので一安心だ。
とっちーさんと温泉に行き、道の駅(なるさわ)で車中泊。
2時に起き、2時30分に出発、ガストで朝食を取り、北麓公園に向かうと誘導員が臨時駐車場の道案内を出していた。
そこからとっちーさんの車は解らなくなってしまった。
誘導員の人に 「チャレンジ富士五湖 ウルトラマラソン の駐車場ですか?」と聞いた、誘導員の人も暗闇の中一人で大変そうだった。
誘導員の人の指示に従い着いた臨時駐車場に行くと、何人ものウルトラランナーがシャトルバスを待っていた。
中には、112kmの参加のため「こりゃースタートは間に合わないな~」と言っていた。
流石、ウルトラの世界、スタート前の緊張した時でも余裕の表情、初100kmの私は一人納得していた。
富士北麓公園に4時頃に着き、着替えを済まし、荷物預けをし、北麓公園の競技場に入ると タレントのはるな愛さんの声が聞こえた。
「2012チャレンジ富士五湖 ウルトラマラソン」
スタートラインに着くことができた。
ウルトラの世界に、私"しんしん"が足を踏み入れた瞬間だった。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |