平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。
ほくえんの風を
身体中に感じながら。
過去を振り返る、ことに寂しさを感じる。
夢街道の追憶
最初に2011年参加したメンバーは私のホームページにある。
ココの第一回夢街道の赤字をクリックすると出てくる。
第一回目から伊藤さんは西渡で待っていてくれエイドをしてくれた。
近藤さんも観光協会として私たちを迎えてくれた。
⇑
クリック
クリック
⇑
クリック
クリック
⇑
クリック
クリック
⇑
クリック
クリック
⇑
クリック
クリック
⇑
クリック
クリック
⇑
クリック
クリック
⇑
クリック
クリック
夢街道の追憶
過去を振り返る。これから夢街道はどうなって行くのか。過去を振り返り未来を夢見る。
ブログには残していなかったけど、三回目だったけかナ~。
前日大雨が降り、飯田線が不通になり水窪駅までしか下りの電車は行かなくなった。
近藤さんは電話で、遠山には来ないでください。と言われた。
青崩れ峠を越えた、遠山側の山が動いて崩れそうだとの連絡が入ったのだった。
夢街道、予定の日より3日前の連絡だった。大雨の時の話しだった。
金曜日仕事を休みを取っていた。
幟を付け看板を付け夢街道の準備をして遠山に向かった。
台風が去り、曇り空から青空がのぞいていた。
天気は良いけど、走り終わり帰る人は電車は、平岡駅には来ない。
途中の城西駅によってJRの連絡先に電話した。まだ不通のようだ。
車で兵越峠を超えるとき、参加者に
「泊まる人は遠山まで行けますが、電車で帰る人は水窪までしか行けません」
と言おう。決心した。
しかし、荷物はどうしようか何かいう人がいるだろうか。悩みは尽きなかった。
遠山の観光協会につき、そこのシンちゃんが
「たった今JRから電話が来ました。飯田線開通です」
と
助かった、地獄で仏、天は見放さなかった。ホットした。
「遠山には来ないでください」
その人はその人の立場として、当然の言葉だろう。
また自分は自分に聞いてみた。
「如何して、こんなことやるのだろう」
と
もし、なんかあったら責任は誰とるダ。言われたことがある。
責任・責任・責任
その回の夢街道は私一人で浜松駅に行き、参加者と出会った。
ウッチャンと今は亡きヨッピーが言った。
「近郷さんは?」
私は言った。
私は言った。
「原点に返り自分の荷物は自分で背負って走って下さい」
と
ウッチャンとヨッピーが言った。
「近藤さんも本当は来たいんだよ〇×▼△・・・」
私はスマホで近藤さんに電話をかけ、二人に渡した。
その年
遅れて近藤さんは夢街道のサポートに来てくれた。
近藤さんは何故、ココまでしてサポートしてくれるのだろう。
それは遠山郷のため、だと思う。
「何のために貴方は、そんなことをやるのですか?」
第四回目に来た女性の新聞記者の問われた言葉だ。
何のために、何のために、何のために
難しい問いだ!
その女性記者は
「地域おこしのためですか?」
と、聞きな直した。
その時は、地域おこしではない自分のためだと思った。
今は
11回目になた今は、通りすぎて感じたこと、
人との出会いが、大切な思い出とともに自分の宝物だと思う。
しんしん
PR
この記事にコメントする
プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
リンク
カウンター
カテゴリー
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カウンター