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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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森町三倉「勉強会」
戦前師範学校の生徒に行った授業、森信三先生の記録の本「修身教授録」の読書会
長い年月をかけて読み終わった。
講師の先生が言った。
「この本で森信三先生のどのような言葉が印象的でしたか?」
私は『尚友』だった。
他にもためになる言葉はあった。
自分には尚友という言葉が一番腹に落ちた。

この本は、到知の付録としてついていた一日一語のあるページに書いてあった、藤原ていさんの言葉から知った。
しかし
その時は本を読むことはなかった。
それが
コロナ禍、三人で明神山に登ろう、三人ならいいだろう。そう思って計画したチャレンジ明神山である。その時、ある仲間が、その藤原ていさんの話をした。
そして、その本を図書館で借りて読んだ。
感動して、自分の本棚に置こうとアマゾンで買った。そして藤原ていさんの本『旅路』も合わせて買った。
そして『旅路』はその、ある人に贈った。
森町三倉「勉強会」に通うようになり本を、読むようになり、「バカの壁」養老孟司「国家の品格」藤原正彦の本を読んだ。
その本に
「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」をしっかり持って「人類愛」につなげていく、そのように書いてあることが記憶に残った。
藤原ていさんの本を読み、先人たちが、どのような想いで、子供を守り種を繋いできたのか、戦争があり、人々は敗戦の苦しみを知った。
私たち戦争をしらない時代に生きた者は、そんな先人たちの遺した書物で、過去を知る。

藤原ていさんは藤原正彦さんの御母さんだ。
その母親に育てられた人だからこそ、国家の品格は出たのだと思う。
「流れる星は生きている」
私は朝の4時ごろから走るのが常だ、
夜空に星がある。流れ星に出会うこともある。
流れ星は、その星の生命が無くなって流れていく。
私たちが暮らす地球は星の欠片が集まって何十億年前にできたのだと言う。

大正の時代に生まれた藤原ていさん
五木寛之さんは 1932年昭和7年生れ。
その人も終戦は平壌で知らされたという。
その人の本に
「山川草木悉皆成仏」という言葉がでる。
草木山川だって、等しく成仏できると言う意味だ。
流れる星は生きている
星も同じ。
流れ星に手を合わせる。自分の願いを言うのではなく、ただ手を合わせる。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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