音響・舞台装置の設置の手伝いが終ったのが9時半、コンサートの手伝いの集合時間まで時間があるので、私はとうえい温泉に行ってきた。
腰痛治療のために、その温泉にある整体に行くためだ。
整体を12時20分に予約、40分じっくり。
まあ・・・・腰痛の話は今日は後回し。
13時30分ちょうどに佐久間自治センター NPO事務局に着いたら、もうコンサートの役割分担の説明が始まっていた。
私はいつもの様に、駐車場係。
「がんばらまいか佐久間」のジャンパーを羽織り、自治センターの駐車場で車の誘導をした。
「松居直美&音羽しのぶ歌謡コンサート」が終わり、舞台裏へ音響・舞台装置の撤収。
NPOのメンバー3人は業者の人のお手伝い。
その時見つけた、舞台の床に張り付けてあったカンペがあった。
そうそう、北方円鏡寺公園とか新宮市民会館なんて言ったらシラケちゃうもんな~。
松居直美さん、音羽しのぶさん、何時までも佐久間のこと忘れないでね。
機会があったら、また佐久間に来たください(^-^)/
古い日記を見た。
毎年 年末に開催されている「静岡県市町村対抗県駅伝大会」佐久間町も毎年参加していた。
佐久間町が浜松市に合併する2005年の春の静岡新聞に「静岡県市町村対抗県駅伝大会」の参加する市町村が記載されていた。
その新聞には、佐久間町の名前はなかったのだ。
「今年は静岡県市町村対抗県駅伝大会は参加しないの?」何も知らない私は、去年参加したメンバーに聞いてみた。
本当は参加したい。しかし、2004年の市町村対抗県駅伝が終わって、慰労会で町長が来年は市町村対抗県駅伝の参加はしない話をしたそうだ。
2005年5月15日(日)
地元の走る仲間が集まって、佐久間高校の13kmコースを走った後、上島キャンプ場で焼肉でビールを飲んだ。その時 佐久間体育協会会長の○島さんを呼んだのだった。
「今年も市町村対抗県駅伝に参加したい」そんな話を佐久間体育協会会長の○島さんに話したのだった。
佐久間町では、参加しないと言っているのだけれど、どうしても、佐久間町では最後になるであろう静岡県市町村対抗県駅伝大会を参加したいと言う、数人の暑い希望をかなえてやろうと、○島さん頑張ったのです。
○島さんは、町の人、町の偉い人に話し合いに出かけたのでした。
「がんばらまいか佐久間」は5年前、佐久間町が浜松市に吸収合併すると決めた時、佐久間町の偉い人が作った「NPO法人」だ。
佐久間は、北遠地方の中でも大きな会社「電源開発」が有り、日本でも有数なダム「佐久間ダム」が有り、財政面では恵まれていた方なのか、「がんばらまいか佐久間」は旧佐久間町が残して行ってくれたt貯金を元にして運営されると言われている。
私が初めて「がんばらまいか佐久間」の活動に参加したのは、「ふるさとの森づくり」で、同じ半場区に住む、コイジのみー兄に浜松まで、宮脇 昭先生の講演を聞きに連れて行ってもらったのを覚えている。
その後、がんばらまいか佐久間の会員が集まり、浦川の島中峠に「ふるさとの森」を作るための作業が始まったのだ。
私は、コイジのみー兄の言われるまま、連絡が来たときは着いていった。
2007年3月21日(火)第1回「ふるさとの森づくり」高校3年生に息子と二人植樹作業に参加した。
理工科大学の荒木学長、浜松市長の北脇市長など浜松市内から沢山の人が来ていたっけ。
佐久間、合併しても、なかなかやるじゃん・・・っと思ったっけ。
8月21日(土)にソバの種まきをやり。
9月25日(土)にソバの花観賞会をやった。
今日10月24日(日)は、そのソバを収穫の日なのだ。
地域おこし活動員会とそばづくり実行員会(そばパートナー制度)女性活動委員会などの、がんばらまいか佐久間の会員が集まり、ソバの刈り取り・その刈り取ったソバの ハザ掛けしたのだった。
前日 土曜日には、もと電気屋の会員の指導のもと、刈り取ったソバを掛ける ”ハザ”を作り。
今日も、会員は朝8時半に集まり、窯を片手に、ソバの刈り取りを行った。
一日中腰での、ソバ刈り作業は、思った以上に重労働だ、なかなか進まないと思っていた作業も、午後3時には、刈り取りが済み、長さ20mの”はざ”に刈り取ったソバが並んだ。
これから、そのソバの脱穀、製粉と行い、ソバの試食が12月11日(土)に予定されている。
「がんばらまいか佐久間」この活動は、佐久間の為に何になっているのか・・・・・今だによくわからない。
しかし、今日来た会員はみんな思い思いに頑張って活動していた。
それぞれの人が、家に帰って、身体のあっちこっちに心地よい疲労感を、感じていることだろう。
夏の暑い盛り、がんばらまいか佐久間から広報委員の有るまりの通知が来た。
何時ものように、広報 作成の話し合いかと思っていた。
8月24日、がんばらまいか佐久間の広報委員会が行われた時、事務局の人が「今まで広報担当の○○さんは私用で今日から出てこなくなりました」
と一言(-。-)y-゜゜゜
なが~~~っい沈黙が続き、パソコンを少し解ると言うことで。私が○○さんの変わりに、広報をまとめてパソコンで印刷する係になってシマッタ のだった。
翌日の、8月23日に「がんばらまいか佐久間」の事務室に行き、○○さんの使っていたというパソコンに出会った(^-^)
事務局の人に、そのパソコンを立ち上げてもらい、○○さんが何時も使っていたソフトだと言ってそのソフトを立ち上げてくれた。
広報を作っているソフトは、Microsoft Office Publisher2007(マイクロソフト オフイス パブリッシャー2007)だそうだ。
初めて見るPublisher(パブリッシャー)ふ~ん。
其の頃、私の家にあるパソコンはWindows XPで、事務局に有るパソコンはWindows Vista(ウインドーズ ビスタ)私は初めて見るビスタに先ず悩まされた(?_?)
広報委員が集まり、話し合いを繰り返し、「がんばらまいか佐久間 第15号」の基の広報紙が出来、事務局に何度も出向いて、写真や文章の修正の日が続き、ようやく9月18日(土)にOKが出た。
今日、その「がんばらまいか佐久間 第15号」が、印刷所から届いたョっと連絡が来た。
たった四ページの、広報紙。
私にとっては、思い出に残る「がんばらまいか佐久間 第15号」の広報紙になった。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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