私が住んでいる佐久間町は、佐久間ダムで栄えた町だ。
高度成長の時代を支えたダムの建設で、人が佐久間にやってきた。
ダム建設、その他、数々の働くところがあり、佐久間には多くの人がいたのだけれど、、、、、。
佐久間ダムの完成から半世紀たった今は、過疎高齢化が進み、町には若い人が少なくなってきた。
若い、、子育て世代の人たちが少ない、それは子供が少ない、それは学校に生徒が少ない。
佐久間には佐久間ダムで栄えた当時建設した学校に、、、通う人が少なくなってきたのだ。
建物はあっても、、、利用する人がいない。
それでは、どのようにすれば、いいのだろうか?
若い子育て中の人たちが住みやすい里になるためには。
NPOがんばらまいか佐久間
ソバの里、NPOタクシー、などとやっているが、若い子育て中の人を呼び込むような取り組みにもがんばらまいかと思ってほしい物だ。
佐久間町が浜松市に合併して、今年で10年になる。
NPOがんばらまいか佐久間も・・・・もう10年たったことになる。
NPOを立ち上げた当時の理事(○平さん)は亡くなり、今の理事は(○田さん)になった。
NPOの広報を書いていた佐久間町時代の議員だった(○橋さん)は、私たちが広報委員の集まりに行ったときに、事務局の○村さんが
「○橋さんは、家庭の都合で今日からNPOに来なくなりました」
と・・・・・。
去年の11月14日に
書いたブログ
備忘録なう。
10年携わってきた、NPOを見ていて、、、、思う。
これから、どうなっていくのか?
先日、広報委員会で2月に発行するNPO広報誌の編集後記を読んだ。
東京から来た○村さんは、まだまだここ佐久間で頑張りたいとの思いがあるようだ。
いろいろ考えたのだが・・・・自分の担当のところは、この様にした。
1月26日第41回佐久間駅伝が行われた。
NPOとしては後方支援ということでいろいろおてつだいをさせていただきました。
今回、予算が足りなかったのか豚汁のサービスは中止になり、毎年この豚汁を楽しみにしていたのにとの声も聞こえました。
1位 | 山香B50代 |
2位 | 佐久間高校教員 |
3位 | 川上鶴ヶ会 |
4位 | 山香Aヤング |
5位 | ハッチ&花の舞 |
6位 | 佐久間病院 |
7位 | さくまの里 |
8位 | JPハイテック電気 |
9位 | JPハイテック土建α |
(町内在住在勤の部順位を予想してみた) |
みんなの記事が集まって、一つの広報誌が完成する。
みんな、地元のためにと頑張っているのだ。p(*^-^*)q ガンバル♪
昨日は、地元のNPO「がんばらまいか佐久間」広報委員会の会合に参加してきた。
来年の発行のNPO広報誌、新年号の話である。
年末になり、みんな忙しい時期なのに、時間を作って佐久間協働センター内のNPO事務局に集まってくるのだ。
私はというと。
その日は遅番、
夜の6時半に仕事を終え、
例のごとく、ワラーチを履いて、走って佐久間協働センターに行ったのだ。
facebookでの投稿(ワラーチで出勤ラン)の写真
NPO事務局の会議室に入ると、もう、広報委員のメンバーが数人集まっている。
委員長が司会で、次回発行の広報誌(新年号)の内容の話となる。
成人式の写真を一面にデーンっと記載して、NPOタクシーを購入した話・・・などなど。
私は、佐久間駅伝 参加チームの中の地域在住在勤の部 参加チームの記事を書くようになった。
来年1月7日(火)までに、その記事を書き、NPO事務局に提出。
1月21日(火)に、またこのNPO事務局に集まり、できた紙面の最終チェック。
その広報誌は、2月の地域に回される回覧板に入ることになる。
お楽しみに(^^)
NPOの広報誌は、
佐久間地域の人に、NPO活動を知ってほしいと発行しています。
しかし、今回の広報委員の会合の中で、、、まだ
このNPOの内容が、どのようになっているのか・・・・いまいち分からない部分がある。
との話がありました。
活動委員の中にも、そんな人がいるのです。
私も・・・・その一人。
佐久間のNPOは、合併の時に、できた。
合併後にも、地域のイベントができるようにと。
そのため、やることが広範囲になっている。
だから、、、難しくなっているのだ。
分かりにくくなっているのではないだろうか?
そんなことを考えながら、佐久間協働センターを後にした。
夜空には星が、足にはワラーチ。
パタパタと音を立て、夜ラン
帰宅してからの焼酎のお湯割りが旨かった。
信頼がもたらすスピード
人が心から信頼し合ったときに・・・・スピードが出る。
信頼がもたらすスピードほど速いものはなく、信頼ほど利益を生み出すものは他にありません。
信頼こそリーダーシップの中心に位置します。
そのとおりだと思います。
佐久間町のような、過疎の町に必要の物・・・・・それは信頼。
地域の人が信頼しあって暮していける郷作りを目指してほしいです。
少なくなっていく人口、そんなところだからこそできると思います。
信頼しあうからボランティアが集まり、地域での活動が楽しくなる。
NPOでの利益も上がる。
NPOがんばらまいか佐久間
そんなNPOを目指してください。
佐久間に暮す人、みんなに信頼されるNPO、
そのためには、自分がやってやっているではなく、やらしてもらっている。
そんな謙虚な姿勢が大切だと思います。
次の「交流居住モデル事業検討委員会」の会合のときに理事の人に・・・また提案しよっ~と
(^o^)
昨日は、NPOがんばらまいか佐久間「交流居住モデル事業検討委員会」でのソバの試食会だった。
朝、八時過ぎ、半場から今日の会場である西渡の「山香ふれあいセンター」へ車を走らせた。
佐久間町でも山香(やまか)は谷あいの地域で、とても寒い印象がある。
風邪気味の感じもあるのでマスクを持って、上着も一枚多く持って行っての参加になった。
会場では、もう数人の活動会員の人たちが作業をしていた。
女性の人たちは厨房で料理をして、私たち男性人は和室で山芋をすってトロロにする作業だ。
今日のソバは、このトロロをかけて「山掛けソバ」にしたり、このようなテンプラを乗せ「てんぷらソバ」にしたりして、
今年できた新そばを試食することになる・・・のかな?
会場では地元ソバ打ち名人での指導の元、ソバ打ちや。
石臼でもソバひきの体験などが行われていた。
パートナーが、新ソバ、トロロソバ、麦飯などで昼食をとり、
最後は、
「山香ふれあいセンター」前で集合写真を撮影して解散になった。
今回、町から参加のパートナーの人たちは、満足してくれただろうか?
佐久間の素人集団のNPOでの活動、いろいろ至らない所があっただろうと思うのだが、、、、。
山間部で生活している私たちは、佐久間町が平成の合併で浜松市になり、山間部での生活ができなくなった人たちを何人も見送った経験がある。
これから・・・佐久間・・・どうなっていくのだろう?
少子高齢化、過疎、山間部の生活は益々厳しくなっていく。
しかし、このように今できることを精一杯に頑張る。
少なくても私は、そのような生き方が好きだ!
その後、私たち活動委員は、会場の後片付け。
厨房の掃除や、会場の掃除。
佐久間協働センター内のNPO事務室に、今日使用した道具を軽トラで運んだ・・・・・のであった。 (^^)
今日は
NPOがんばらまいか佐久間の「交流居住モデル事業検討委員会」でのソバの試食会の日だ。
都会の人と、佐久間の人との交流をと、NPOではソバの里を勧めている。
NPOでは、このようなことを行っているのだが、お手伝いをする人(ボランティア)を集めるのが大変ではないかと思う。
今日は、どのような人が集まるのかは解らないが、佐久間に住む一員として、参加しようと思っている。
この活動、一昨年に参加したことがある。
ソバの試食会の前に、ソバ作りを体験し、それが終わってから名人が打ったソバを試食する、そんな感じだったと思う。
2011年11月10日の私のブログ
今年もソバづくり
去年は、私、袋井クラウンメロンマラソンを走っていたので参加できなかった。
用事がないときには、極力協力する。
そんな感じで、この活動に参加しているのだ。
今日の予定は
8時30分~13時00分
までだそうだ。
これが終わってから、私は
横吹(よこぶき)の友達と老人ホーム(さくまの里)で待ち合わせ。
その後、飲み会。
日々是好日にちにちこれこうにち
♪~(^-^~)♪~(^.^~)♪(~^-^)~♪(~^.^)~♪
ジュビロマラソンを走り終え、ダウンも早々に佐久間に帰る。
今日は、NPOがんばらまいか佐久間が主催の「がばいばあちゃんから学んだ知恵」島田洋七さんの講演があるのだ。
このボランティアのためマラソン会場を後に佐久間に急いだのだ。
2時30分から開演のため、ボランティアは1時30分までに集合になっている。
その15分前には到着。
すでに、何人かの人が集まっている。
私は駐車場係、他に○西さん○畑さんも同じ駐車場係、毎回同じメンバーだ。
いつものように、青いNPOのジャンバーを羽織り、誘導ライトを片手に駐車場入り口に立った。
クリックすると大きくなります。
来る人は、見慣れた人や、今回始めてくる人、佐久間高校の野球部の部員も来ていた。
開演五分前、○畑さんに
「私は、今回この講演見に行くので先に終わらせてもらいます」
と挨拶をして、会場に向かう。
一番前の席をと狙っていたのだが、今回は左側の前から二番目の席に座った。
島田洋七先生の講演会ですとのアナウンスの後に、本物のB&Bの島田洋七が歩いて左袖から出てきた。
自分の幼いころの話、自分の家族のアホな話、世の中はアホなほうが人生は楽しい・・・・そんな面白い話を涙あり笑いありの講演だった。
講演が終わり、島田洋七先生が左袖に隠れるのを確認し、急いで駐車場の係りの定位置に行くのであった。。。。
人生は、楽しい。
走ること、ここで楽しく暮らすこと。
暮らせること。
それだけで大満足だ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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