昭和天皇論を読んだ。
昭和という日は、1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和 64年)1月7日まで続いた。
私は1960年(昭和35年)に生まれた。
「武士道」を書いた新渡戸稲造は1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)まで生きた。
念ずれば花開くの坂村真民は
1909(明治42年)年1月6日 - 2006年(平成18年)12月11日、97歳で永眠。
坂村真民の詩は小学生から財界人にまで愛され、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した。
その森信三先生は
森 信三(もり のぶぞう、1896年(明治29年)9月23日 - 1992年(平成4年)11月21日)は、日本の哲学者・教育者。通称、しんぞう。
★人生二度なし
★真理は現実のただ中にあり
また、徳永康起遺文集にも記載されている通り、以下の文章を精力的に広めることを推奨していた。
人間の一生(読み人知らず)職業に上下もなければ貴賤もない。世のため人のために役立つことなら、何をしようと自由である。しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。それから十年本気でやる。すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。すると、五十までには群を抜く。しかし五十の声をきいた時には、大抵のものが息を抜くが、それがいけない。「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。しかし、それからまた、十年頑張る。するとこのコースが一生で一番面白い。
ウィキペディアから
私の知り合いで、今古希を過ぎ、こらからの10年を夢見ている人がいる。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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