「進歩の名のもとに古き姿は次第に失われてゆく。だが人力で救えるかぎりのものは何とか残してゆきたい」
当時の電源開発初代総裁高崎辰之助氏の残した言葉だ。
今回は御母衣ダム建設で移植作業で生き残った桜の木の話「さくら道」を読んだ
庄川は太平洋と日本海の分水嶺に当たる烏帽子岳付近を水源とし、白山連峰と飛騨高地の山間を概ね北に向けて流れ、富山湾に注ぐ北陸地方における大河川の一つである。流域の大部分は山岳地帯で占められ、シベリアから吹く季節風によって冬季は豪雪地帯となる。また夏も台風の通り道になりやすく、全般的に多雨気候である。降り注いだ雨は険しいV字谷を形成する峡谷を急流となって流れ、日本海に注ぐ。急流で水量の多い庄川は水力発電を行うには理想的な川であり、大正時代から黒部川や常願寺川など近隣を流れる河川と共に水力発電所の建設が進められていた。
1958年(昭和33年)4月より御母衣ダム工事ははじまった。日本初の大規模ロックフィルダム建設
ダム完成は1961年(昭和36年)冬、
御母衣ダム完成、その記念碑の除幕式で電源開発初代総裁高崎辰之助氏は
「国づくりという大きな仕事の前に父祖伝来の故郷を捨てられた方々の犠牲は今、立派に生かされています」
と、メガネの下の涙を指で押さえ、感激に唇をふるわせて挨拶をしたのだった。
その記念碑の横に、二本の老桜「荘川桜」がある。
今日、その本を読み終え、荘川桜の咲くころ
その里を訪ねてみたいと
深く思った。
私が暮らす佐久間町には
佐久間ダム(1956年昭和31年)完成がある。
隣町の水窪町にある水窪ダムは
荘川桜が咲く御母衣ダムと同じ、ロックフィルダムだ。
私の父親ほどの年齢の佐藤良二さんが始めた桜に道
その志は多くの人の感動を呼び、多くの人の協力で名古屋から金沢まで繋がった。
佐久間町や水窪町は、多くに人がココを出ていく。
愛知県も岐阜県も富山県も、山奥の町はどこもそんな状態かもしれない。
今の自分がやっていることが、やがて過去の事になり、懐かしい思い出になる。
後で振り返って
自分なりに、いい人生だった・・・と思えるようにしたいものだ。
この本を読んでいるときに、
走る仲間から
「さくら道国際ネイチャーラン」を走るというメールが届いた。
世の中には様々な人がいる。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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