毎年、旧暦1月18日の月の出から翌日の日の出まで、夜を徹して行われる西浦田楽
今回は丁度、金曜日になり、見学に行くチャンス。
西浦田楽とは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B5%A6%E3%81%AE%E7%94%B0%E6%A5%BD
今回は萩田さんを誘って行ってみた。
能衆が来る前、たき火にあたり暖をとっている、若い女性が二人、隣にきてたき火にあたりに来た。
「何処から来たのですか?」
わたしの質問に
「東京から来た」
と答えた。
大学の知り合いが行くといったので付き合いで来たと言いう。
隣の女性は、中国からの留学生だと。
日本の印象は?
の問いに、人が親切。町が綺麗。
と言っていた。
萩田さんのスペイン巡礼の旅の話。
タイ・ローマ・カナダの旅の話。
水窪で海外の話に花が咲いた。
向かいの席の人が話に加わり、その留学生と中国語で話し出した。
湖西市の人だという。
多分化共生の街、流石、湖西市素晴らしい。
東の山から月が上るころ、20数名の能衆がたいまつを焚いて田楽堂に上ってきた。
わたし達があたっていたたき火は能衆の休憩所、追い出される。
人は出たが誰だかわからない荷物がある。
能衆の一人の「片付けてください]」の言葉に、みんなで知らない人の荷物を表に出した。
演目が始まり、見物客が能衆の西浦田楽の祭事に息をのむ。
この行事を西浦の人々は粛々と続けて来たのだ。
庭ならし・御子舞・地固め・地固めもどき・剣・剣もどき・猿舞、演目は続いていく。
例年より今年は温かい、しかし、深夜になると寒さが増してくる、年寄りの身体にはこたえる。
腰を上げ、売店で濁り酒とうどんを買って休憩所に身を寄せた。
浜松市引佐のひよんどり保存会の人がいた。
川合のコイジさんが居た。
元教員の人が数名いた。
その中に沼津から来た人がいて西浦田楽の魅力を語っていた。
家内は興味がないので磐田の娘の家だとか。
男ばかりなので話がエゲツなくなる。
エゲツないのはコイジさんだけだけど(笑)
西浦田楽、男の祭り、男はそんなもの。
勝手に思った。
深夜を回ったころ、仮眠をしに帰った。
田楽の里の管理している人は、都会から西浦に越してきたという。
ココを終の棲家として選んだ土地だという。
ココは人が良い温かい土地柄だと言っていた。
店が少なく買い物ができない。病院が遠くで病気になったら如何するダ。
そんな不便な土地だけど、ココを選んでくる人がいる。
西浦田楽、1300年の繰り返し。
自分の命が今の時代を繋いでいる。
それは人々の生命の繰り返しの中でタスキを受け継ぎ今を走っているのようなものだ。
今日は朝8時、中部天竜駅横の浜松市営駐車場に集合
佐久間ダムまで走って行こう!!
そんな約束をしている。
10時からは
佐久間しし鍋マラニック
つづく。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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