写真は今回の山行とは関係ありません。
渋沢栄一の本に「論語と算盤」がある。
その本の中に「視・観・察」とあった。
視→みる。目で見る。じっと見る。「視力」「凝視」
観→みる。くわしくみる。ながめる。「観客」「観測」「参観」
察→あきらか。あきらかにする。よくみる。くわしく調べる。しる。「察問」「観察」「診察」
その人が何をしているのか、その人が何によっておこなっているのか、そしてその人がどこに安らぎを持っているのか。
今日は人と会う約束をしている。「視・観・察」の目でその人を観察してみよう。
「視・観・察」その人、を視て観察する。
観察とは、対象の実態を知るために注意深く見ること。その様子を見て、その変化を記録すること。どれだけその変化を見つけられるかが重要である。
そう言えば昔、職場のある男女が入籍したとの話があった。
あまりの突然のことで私はビックラこいた。
他のある人に(同じ職場に働いている人)そのことについて聞いてみた。
「ビックリしたネ~」と。
「どうだった、知ってた」
その人は
「あまり観察していなかったもんで、分からなかった」
と。
その時は、観察???と思っていたが。
今回、論語と算盤を読んで「観察」の大事さが分かった気がする。
「視・観・察」その人、を視て観察する。こと。
今日は日曜日、大河ドラマ「青天を衝け」がある。
楽しみである。
佐久間町民話の郷会館、午後二時から天竜土木事務所から国道152号線の通行止めに関する説明会があった。
★令和2年10月13日発生の県道大輪天竜線法面崩壊についての説明
★国道152号線秋葉トンネル法面崩壊についての説明
★国道152号線秋葉トンネル変状についての説明
★国道152号線大瀬隧道北山腹崩壊についての説明
★質疑応答
大瀬トンネル北側の巨石の破壊の件、危険状態を見ながら交互通行できることはしないのか?
そんな質問があった。
他県で同じような事例があり、高速道路をその間タダで通すことをした地域がある。浜松市も、そのような考えはないのか(怒)
「部署が違うから」
そんな話があった。
今の状態は、浜松市でありながら、天竜区でありながら。
迂回路が三遠南信道を廻ってくれと言っている。
天竜区役所に用事で訪れる場合、一度愛知県に入ってそれから浜松市北区に行って天竜区の南側の天竜区役所に行くようになっている。
この152号線は浜松市だけの問題ではない。
この国道は遠くは長野県飯田市遠山郷・茅野市を経由して上田市まで繋がっている。
災害に強い、国道152号線の整備を切に願っている。
天竜土木事務所の職員ヨ。
一度、長野県遠山郷の152号線を見てほしい、こんな道づくりを北遠の人たちは希望している。
静岡県も浜松市も山間部に目を向けてほしい。
このままで行けば山間部に暮らす人がいなくなる。
浜松市も静岡県ガンバレ~!!
山間部も都市部も暮らし良い浜松市を切にお願いしたい
<m(__)m>
15年前
佐久間の御祭の花火大会のとき、半場子供会で焼き肉があった。その次の日、中学生の長男と自転車で佐久間から諏訪湖を目指した。
天竜川の上流を知りたかった。源流、諏訪湖を訪ねたかった。
朝6時前から走り、新野峠を越え、新野の道の駅で朝食を食べた。
新野を下り、天竜峡を越え、駒ケ根で力尽き駅前のビジネスホテルで終わりにした。
2018年の春、天竜川リバーサイドマラニック225㎞があり、中部天竜駅から電車で諏訪湖のある岡谷駅まで行き諏訪湖にある釜口水門に行った。
天竜川の源流だ。諏訪湖の奥には雪をかぶったアルプスが見えた。
「人はみな大河の一滴」
日本人も韓国人も、アフリカに暮らすアッチの人も。
時代の流れの中で生きている一滴の人間なのだ。
五木寛之さんは幼少の頃、親の仕事で朝鮮半島にいた。
戦争が終わり、多くの日本人が日本を目指した。
そんな過去を、そんな経験をした人に話を聞きに行くと、話そうとはしてくれない。
悲しい過去より、明るい未来を考えようとする日本人。
そんな過去が、人生の暗い部分が、今の生活をありがたいと思う。
喜怒哀楽
喜びも楽しみも大切なことだけど。
怒ることも哀れむ事も大切なことだと。
韓国には、韓国の過去がある。
日本には、日本の過去がある。
「人はみな大河の一滴」
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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