に、行ってきました。
数年前、遠州灘に防潮堤を造るという話があり、浜松市南区に暮らしているラン友が松の伐採が始まったとFBで投稿していた。
丁度そのとき、次女が馬込川近くにアパートを借り引っ越しに行った。
そんなとき書いたブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0/%E6%9C%9D%E3%83%A9%E3%83%B3%EF%BC%88%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E7%B7%A8%EF%BC%89
中田島砂丘が無くなる。
シンポジュウムで講師が話していた。
人の手で砂丘に、何らかの対策をすることによって、砂丘独特の風紋が無くなり草原化していく。
また、今、心配している防潮堤を造ることによって、中田島砂丘がタダの砂浜になり、また砂浜も無くなるかもしれない。
しかし、浜松市街地に暮らしている人は、防潮堤は欲しいだろう。あの東北の大震災、津波被害を目の当たりにして、そんな気持ちはわかる。
何かやることには、良いこともあれば悪いこともある(リスクとベネフィット )世の中の全ての物には、必ず良い面と悪い面がある。
次の講師は女性の講師だ
九州大学准教授清野 聡子先生
http://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K003606/
軽快な口調でのお話、日本のあらゆるところで砂浜が無くなっていく現実、人の営みを津波から守るため壁で囲まれた漁村。村民の「今まで海を見ながら育ってきた、海を見たい」そんな要望に壁に海を見る穴を施した行政の話。
防潮堤を地域の人に知らせるためのパンフレットには砂浜が無く、川もない。
中でも、私の心に残った話
「景色が悪くなると人がいかなくなる、とうでもよくなる」
今年の3月11日
私は中田島砂丘に行った。
始め、浜松駅前で城西小学校同窓会の打合せのため駅前で終わりにするはずだった。
丁度3月11日、中田島砂丘まで足を延ばした。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E5%9F%8E%E8%A5%BF%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A/%E5%9F%8E%E8%A5%BF%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%89%93%E5%90%88%E3%81%9B%E3%80%82
質問者の中に舞坂の人の話が合った。
「防潮堤を造ることによって、天竜川などに津波が集中して二次災害になることはあり得るでしょうか?」
「浜名湖、今切れ口からの津波が心配です」
リスクとベネフィット
浜松市は、中心地の事ばかりを考えるのではなく、過疎地にことも考えてほしい。
それは、上から目線で、これをやっている、そういうのではなく、もっと地元の人と会話して一歩進む、そんなことを考えてほしいと思った。
公務員は人の役に立ってこその公務員なのだから。
byしんしん
防潮堤
浜松市(日本の)の
中田島砂丘
どちらも必要です。
何かやることには、良いこともあれば悪いこともある(リスクとベネフィット )世の中の全ての物には、必ず良い面と悪い面がある。
それは分かる・・・
でも
それでいいのか?
私はよくないと思う。
両方よくないといけないと思う。
近江商人の商道に
「三方よし」という教えがある。
これは
あなたよし
私よし
世間よし
これが・・・三方よしです。
私は
常にマラニックを企画するとき、実行するときは
この
「三方よし」を頭においております。
砂防堤も必要
中田島砂丘も残す
これでないと・・・だめだと思う。
「三方よし」の真理に反します。
納得する人がいるどしょうか?
私にできることは限られている。
公務員は人の役に立ってこその公務員なのだから。
こういう考えでやって欲しい。
近江商人の商道に
「三方よし」という教えがある。
これは
あなたよし
私よし
世間よし
これが・・・三方よしです。
よく分ります。
が、今は時代が大分変わりました。
私が思うに
小泉総理大臣の時代「聖域なき構造改革」そんな時からだと思います。
小嶋よしおの「そんなの関係ないイェ~」からでしょうか?
「田舎が合併しただって。そんなの関係ないイェ~」
東北の地震のときに、絆と称しテレビは喪に服しました。
ところが「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のことわざのとおり今は報道機関はこの有様です。
などというネガテブな私ですが・・・・、やはりこれではダメですよネ~。
ランナー仲間にも浜松市市街地の人が多くいます。
どうなるのでしょうか?
浜松市。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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