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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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私の母親の在所は水窪だ。
その家の長女として生まれた母親は、そこで暮らした頃の話をしてくれた。
水窪では名の知れた家だと、母親なりに自慢だったのかもしれない。
親父はそんな母親が嫌だったみたいだ。

そんな母親の在所の跡継ぎは、その家の長男(母親にとって弟・私にとっては叔父さん)夫婦が暮らしていた。
立派な家だったが、その叔父さんは仕事を退職後、浜北に家を建て息子夫婦と一緒に暮らすようになった。
自分の病気の事、息子夫婦の事、水窪はこれからはダメになってい行く、いろいろな理由なあったと思う。

話すことが大好きな人だった。

その叔父さんが亡くなり、葬儀は知り合いの多い水窪の在所で行った。

隣近所の人が集まり、水窪の仕来りで葬式は執り行われた。

その他の親戚でも、浜北に新築の家を構えている人はまだいる。
叔父さんの葬儀を済ませ、親戚が集まった席で、
当時私が希望を持って参加していた
NPOがんばらまいか佐久間で聞いた話をした。
「理事の人が、このお金もワシらが生きているうち何とかなれば良い。そんなことを言う人がいる」
そんなことを言うのはオカシイ・・と。

少しの沈黙の後、、、親戚の人が
「ま・・・たいがいの人が、そう思っているゾ~」
そう言った。

また
その年のお盆、
水窪でのお盆は初めてだった。
長々続く念仏。
村の初盆の家々が村の中央に集まってくる。
私の親せきの一人は
浜北に新築の家がある。
その人が
太鼓をたたき、
村の行事、昔からの習慣。ならわし。を守っていた。

親戚の家に帰り、親戚の人と話をするとき
「あの人も浜北に行くのかな~」
と私が呟くと

「あたりまえだワイ」
「こんなとこ住むところではないから」
と、そんな声が聞こえてきた。


今の浜松市の山間部への政策を観ていると
とても、こんなところに暮らしていく事は出来ない
そんな風に思っても仕方のないことかもしれない。

ybしんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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