水窪町
山深い、その町は、その昔、宿場町として栄えた町だ。
1994年、三遠南信自動車道の一部として草木トンネルが開通し、これから山の時代がやって来ると期待した時もあった。
平成の合併があり、当時の浜松市長が「クラスター型」の新浜松市を目指すと言ったのも束の間、次の選挙で新市長なと時には
「コンパクトシティ」田舎は田舎なりの・・・・・。
西渡(にしど)から水窪までの国道152号線は、相月バイパスはできたものの、他の所は拡幅する兆しがない。
人のうわさでは「原田橋の大きな工事で予算がそっちの持ってかれた」そんな声を聴く。
そんな旧水窪町の木は栃の木
そこに暮らして来た人々は、昔から栃の木を大切にしていた。
水窪の名木
今、水窪には栃の実を使ったお菓子を売っている店が二軒ある。
小松屋と八幡屋
小松屋のトチモチは甘く。八幡屋のトチモチは栃本来の苦みがする。
水窪の言葉で「トチを切るバカ、植えるバカ」ということを聞いたことがある。
非常食としての栃の木は貴重で切るのは愚かなことですが、実がなるまで時間がかかるので植えて待つのは馬鹿げたことという意味。
今、現在、技術の発展は目覚ましい。
近い将来、車が自動で走るようになると言われている。
中央車線や側道の車線に反応してそこを越えない様に真っ直ぐに走るようにするという。
西渡から水窪までの国道はマダマダ二車線もおぼつかない所々落石も発生しようかと思われるところもある。
浜松市では有事の時のドローンでの災害物資を搬送を考えている。
この様な環境下では、いっそのこと町に出ようか、そんな風な考えがあっても不思議ではない。
水窪の言葉で「トチを切るバカ、植えるバカ」ということを聞いたことがある。
そんな水窪の山の中に栃の木の老木が方々に残っている。
今自分のやっていることは馬鹿げたことかもしれない。
しかし、世の中、賢い人もモチロン大事だが、こんなバカも少しは役に立っているのではと、最近思うようになった。
多くの人に、水窪、知ってもらいたい。。。
小松屋
https://5028seika.com/
八幡屋
https://yawatayaseikaho.jimdo.com/menu/tochimochi/
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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