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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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一日休みを頂いて、佐久間から一時間もかけて、行ってきた市民交流会議、行ってきただけではもったいない。
今日は講演の内容について自分なりに復習してみようと思う。

講演
>熊本大学名誉教授 徳野貞雄
 「『集落ドクター』から見た地域再生:世帯と家族は違う。子供は近場にいる」
 
教授の写真ではありません。

<プロフィール>
徳野貞雄(とくのさだお)
1949年大阪府貝塚市生まれ、熊本大学名誉教授。
食と農の専門家として道の駅を考案・命名した。また、家族や集落の状況を把握し将来を見通す「T型集落点検」考案者としてもよく知られ、「集落ドクター」とも言われる。
日本全国の農山村に出かけ、フィールドワークをこなす活動派研究者である。
一般社団法人 トクノスクール・農村研究所HPから抜粋

今、全国で見られる「道の駅」それを考案した氏は、ほんとうは住民・民間がやればいいと言っている。しかし、お金の面で厳しい、そこで国交省、しかし行政は・・・・。
合鴨農法、有機農業の一種、氏はその組織の頂点、農学部の先生は合鴨農法なんてことはしません、農業生産はみますけど消費者の事を考えることはやらない。・・・とか。
今までの地域創生は学問とか行政が邪魔することがイッパイある。枠の中だけで見ようとする学者・行政。
そんな氏は文学部青年だったそうだ。
 

浜松市の北部、天竜区は人口が減っている。浜松市でも全体の人口は減っている。日本国全体でも。
しかし、過去を見ていると明治時代・江戸時代、日本の人口は五千万人以下。それが戦後の高度成長で人口が増え一億二千万人。それが今減って来て行政が経済界が減った減ったと民衆をあおっている。
私の体重は、かつて100㎏以上あったが今ダイエットして80㎏、これを痩せてると言えるでしょうか?
等々

昔は江戸・大阪・京都、そこには人口は多くいたけど他の地域は少なかった。
どうしてか、浜松市もそうだけど大きな川の近くでは人は住めなかった。それは川が氾濫し住めるものではなかった。
そう、今は河口近くの天竜川両岸地域に住宅街が広がっているけど昔、まだ船明ダムが無かったころ台風の被害で大変だった。

システム過疎。
過去、人が増えたからと学校を多く造った。今、高齢者が多いと福祉施設を造りそのうちその施設に人がいなくなる。行政は同じ轍を踏みそうだ。
ここで問題なのは、人口減っているけど何とかガンバレでななく、本当の問題は、、、。
個々人が自分のことばかり考えるため、ここでは住めないと出ていく人々多いこと。
行政の職員んが佐久間のためにとアワビの陸上養殖をして、ココに雇用を作ろうと心血を注いでいるのに、一方ではその行政で働いている人たちが出て行っている事実。
それは、郵便局の職員だったり農協の職員だったり。農家のための農協職員だったはずがいつしか自分のための職員になってしまった。
それを人々はアタリマエというションナイという。。。


また、今のふるさと応援隊また各地域でのイベント、そんなことやって地域が潤うか?
とか。

あと、ここでは言えないことまでバンバンとしゃべりつくした講演だった。

実際、佐久間という過疎地域に暮らす自分は、ふるさと応援隊や各地域でのイベント。
それはそれでいいと思う。
過去に行われた地方創生一億円より。
過去書いたブログ↓
ふるさと創生事業

国は地域に金をばらまいた時代。
今、国は人を送り込もうとしている。
わたしは思う。
これからは今まで各地域に居た人が帰って来るような考え方をしてほしい。と。
過去、自分がお世話になったところに恩返しをする時代だと思う。
そのためにはライフライン、せめて道路整備は進めてほしい。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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