7月12日(日)のブログ「金とく SKE48の未来教室~過疎高齢化を考えます!~」のYouTubを見て、私なりに思うこと。
まず、自分のこと。
佐久間町は3村1町で合併した町です。
私はその中の 城西地区の外れ山の中腹に存在する村「横吹(よこぶき)」に昭和35年に生まれた。
佐久間ダムができ、世の中は電気の時代になり、私が小学校低学年の時にテレビ・冷蔵庫・洗濯機が家に届き、山の上でも便利な生活ができるようになってきた。
電気製品の次に、世の中にでた便利なものは車、我が家に自家用車が来たのだ。
私、中学校一年生の時だったかな~?
しかし、村に道路が来ていないので、その自家用車は村がある山の麓に停めている状態だった。
そんな横吹に、村の道路を作ろうという話が出た、父親がその話し合いに行ってきたのか夜遅く帰ってきたのを覚えている。
私は静岡県湖西市の工場で働くため、「横吹」を出た。
横吹での生活とは180度、違う生活に目を白黒させた。
八百屋で柿は売られているのを見て、不思議に思った"柿なんて庭になっているものをもいで食うものだ"とずっと思っていたから。
そんな湖西市で青春時代を過ごしているときに、横吹に住む父親から電話がかかってきた。
「横吹には道路はできない、横吹を出ようと思う」と。
世の中は、車の時代になり佐久間町の町から外れた村でも道路ができるようになっていたのに、横吹では話し合いを何度も行ったのだけれど何人かの協力してくれない人がおり道路の建設は断念したらしい。
そして私たちは佐久間町の中部天竜駅近くに家を建てることにした。
本当は、電話での話の時に、どうせ横吹を出るのなら、湖西の方に来ないか?と言ったのだが、父親は。
「少ないが先祖の残してくれたものも、ここ佐久間にあるので」と佐久間から出ていくことを考えてはくれなかった。
29歳で佐久間に帰ってきて、私が45歳の時に佐久間町が浜松市に合併した。
合併して佐久間町は「NPOがんばらまいか佐久間」を作り、初めての活動が"ふるさとの森"作りだった。
佐久間町の元の議員さんが農作業姿で山の草刈りに汗を流した姿を見て、少しうれしく思えたのを覚えている。
合併して8年がたち、先日のNHKの番組「金とく」を見て、
番組の初めに出た数字「454」全国で今後10年以内に消滅する可能性がある集落の数。
この数字の中に、私の故郷「横吹」が入っているのか?
「横吹」には今 ぎよんど・わぜ・おおど・じんもう、と もう一つ新しく入ってきた家があるだけだ。
10年後には・・・・・今後どうなくから分からないが、今自分にできることは、、、、、、、ただ、ただ、、、、現実を見ていること。
もしも、故郷が消滅しようとも、私たちの心の中には昔の横吹の賑やかだった頃の思い出が脳裏に残っている、楽しい思い出として(*^^)/。・:*:・゚★,。・:*:・゚☆アリガトー!
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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