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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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宮城県の港町、そこで暮らす親子の話
その親は耳が聞こえない。そんな環境で育った五十嵐大
幼少の頃は当たり前だと思っていたことが、年を重ねることで、そうではないことを知る。
そして、その耳の聞こえない親(この本では特に母親)に反抗するようになる。

 
いくら反抗されても、子供にひどいことを言われても
「ごめんね」と謝る母親、その優しい仕草に、ますます反抗的になる。何故
地方の田舎町に暮らしていると、親子関係を近所の人が知っている。それがうっとおしくて、親が難聴者だと知っている人たちは「かわいそうな家庭の子」「親の世話する子」と自分のことを形容詞をつけて話しかけてくる。そんな環境が嫌だった。
そして、大は東京へ行く。
本当は母親の事大好きだけど、耳が聞こえない母親を助けないといけないと小さなころから思っていたのだけど、、五十嵐大は普通の生活にあこがれていた。

 
東京で出会った難聴の人、手話で応対した人、手話で話したことを感謝されたこと、そんな人から、聞こえない親に育たられた子供のことをコーダということを知った。
コーダは、その環境によって様々な悩みがあることを知った。それは宮城県の港町で育ったころは、聞こえない親がいるのは自分一人だと思っていた。ところが、広い世界には多くのコーダが居ることを知った。

 
そして五十嵐大はものを書く仕事に就いた。自分の環境を赤裸々に描いた本が、この本だ。
世の中には様々な人がいる。私の知らない世界がある。本を沢山読んで、様々な環境の人のことを知りたい。
この本は映画になり、今年の九月に上映された。ツタヤでレンタルが始まったら私も映画を見てみたい。

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3,11
東日本大震災は2011(平成23)年3月11日14時46分に東北地方太平洋沖でを震源地に発生した。
私が暮らす佐久間町でも揺れを感じた。ゆさゆさと不気味な揺れだったと今でも思い出す。
テレビでは、大津波の様子が映し出されていた。
この物語は、この震災での津波で飼い主を失った「犬」の物語である。
犬の名前は「多聞」タモン
 この本は、私の12歳年上の姉から借りた本だ。
東北旅行のお土産を、持って芋掘りの家に行った時の事だった。
読み始めると、東日本大震災のことは何も書いていない。読み進めると、東日本大震災での大津波での変わり果てた景観が所々に書いてあった。
犬「多聞」と坂垣和正との出会いから始まっていた。男と犬、男とは坂垣和正
多聞は南の方に行きたがっていた。いつも南を気にしていた。
稲垣和正は多聞と闇バイトに、そして多聞はプロの窃盗犯ミゲルと逃亡、東北自動車道を南下した、そして磐越自動車道と。そして磐越自動車道を会津若松で降りた。
ちょうど私たちの東北旅行の帰りも、同じコースを走った。
 
この本の目次は
男と犬・泥棒と犬・夫婦と犬・娼婦と犬・老人と犬・少年と犬
となっている。
 
最後、なぜ多聞は南の方角を目指していたのか。わかる。
そして
男・泥棒・夫婦(夫)・娼婦・老人
の死を見てきた多聞
 
最後「多聞」は少年の胸で生き続ける。

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大雨の中
なんとか何もなく無事に終わった。けど見えてきた課題がたくさんある今回マラニックだった。
過去を振り返ってみよう(^^♪
佐久間・水窪スーパーマラニック2008

夢街道の八丁坂を上り切り、天竜川から水窪川に、目の前には斜面集落と竜頭山が見える。
その竜頭山を一周する過酷なマラニック、そんな「佐久間・水窪スーパーマラニック」が私のマラニックの始まりだった(^^)/



走った後はココ
















夢街道(秋)


勝手に夢街道








番外編 
城西戦没者慰霊祭解散



園山さん
私が広島に行ったのは2018年でした(^^)/

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百田尚樹
クリスマスからくる 感動の短編小説
目次は
第一話
魔法の万年筆
第二話
第三話
ケーキ
第四話
タクシー
第五話
サンタクロース

魔法の万年筆
人びとはクリスマスイブを楽しんでいる様子の街角。34歳独身、真面目な事務員だった恵子は職を失った。途方に暮れていた。
そんな恵子が、幸せになるまで、幸せを掴むまでの物語だった。
クリスマスイブ、派遣社員の雅子はオヒィスで社長と二人、残業だった。
派遣社員故に、様々な会社の待遇の違いを表していた。
アパートで買っていた猫、拾ってきた猫だ。その猫が、物語で、物語の最後「ニャ~」と鳴いた。
ケーキ
癌で余命宣告された杉野さん二十歳のお話し。
感涙間違いなし。パラレルワールド、
以下
第四話
第五話
「タクシー」
「サンタクロース」
クリスマス・イブの夜、五人の女性に起きた五つの奇跡を、百田尚樹さんの巧みなペンで感動的に描いている。
夏だけど、自分の思い出にも楽しいクリスマスの思い出がある(^_-)-☆

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心の教育実践録「教えは生きる」柿島由和著
その人は、私が40歳のとき、私が静岡県立佐久間高等学校に技能員として勤め始めた時の入学式で、その学校の昇降口で水を撒いていた。掃除をしていた。
私は、私の仕事の先輩である女性職員に自分がやれと命じられ、その先生のところに学校の昇降口に向かった。
それが柿島先生との初めての出逢いであった。
「きずかなくてスイマセン」とホウキのチリトリを持って昇降口に向かい、その先生と出逢い話をした。
後から来た、その先輩女性職員が、柿島先生のホースを奪い取り
「私達の仕事だから、先生はイイでね~」
とニッコリと微笑んだ。
そんな感じで出会った柿島先生から「退職記念誌」が届いた。
あのとき、掃除をしていた人が、今も掃除を続けている。
そして掃除(下座行)の教えを通して、生徒に接し、生徒との心の繋がりの物語の一冊であった。
最後のページに
ありがとうございました
一生勉強 一生青春
ひとつ拾えば
ひとつだけ綺麗になる。
柿島先生の後ろ姿があった。

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ネットでユーチューブをいろいろ見ていた時、ある動画に辿り着いた。
タクシーのドライバーが最近385のナンバーの車が多いと。
そのタクシーに乗り込み、たしかに多いと。
その358の車を見つけ、その運転士に聞いたら。
小林正観という人の講演で「358はラッキーナンバー、この数字をナンバープレートにすると燃費があがる」と。
そんんなバカな( ゚Д゚)


そこで、ネットで検索し、アマゾンで購入「神様を味方にする方法」
その人は1948年生まれ。その人は62歳で持病の糖尿病で62歳で亡くなった。
その本は、もう糖尿病が悪化して、目も薄っすらしか見えない状態の時、書いた本だった。
人生の目的は長生きでなはい。自分の生き様を、私たちに語りかけるような本だった。
358は魔法の数字、私もいつか軽トラ以外の車を買ったら358の番号にしたいな。そう思った本だった。
最後、正観さんと私達の物語、に作家「ひすいこうたろう」さんの話があった。
「そ・わ・か」掃除、笑い、感謝
ヒスイコウタロウさんと言えば「あした死ぬかもよ?」と言う本を出した人だ。
人生最後の日に笑って死ねる27の質問
みんな繋がっている。憎んだり恨んだりしても、何もならない。

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武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」で紹介されていたのでネットで買ってみた。
「70歳が老化の分かれ道」和田秀樹著
1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒業・・・・・・・。
第一章
健康長寿のカギは「70代」にある
第二章
老いを遅らせる70代の生活
第三章
知らないと寿命を縮める
第四章
退職、介護、死別、うつ・・・「70代の危機」を乗り越える
血圧・血糖値・コレステロール値はコントロールしすぎない。
著者は本で、今の健康診断での平均値に疑問視している。あまりにも人を平均の値から外れているとクスリの投与を進めている、ことに。
少しぐらい太っていても、血圧・血糖値・コレステロール値が高めでも心配しないで今を楽しんだ方がイイのでは。と。
健康診断で血圧・血糖値・コレステロール値を調べるよりも、脳ドック・心臓ドックの方がイイのではないかと。
私の知り合いで70歳代でも生き生きと走っている人が居る。
その人たちには目標がある。
ある人は、外国へ旅しに行く事、ある人はフルマラソンを挑戦すること。
なぜ人は生きるのか。その答えは千差万別です。その答えに対して「たった一人の人間が、別の誰かと共感すること」
と言っているのが、この本の出版社「試想社」の経営理念「共感」だそうです。
マラソンは一人の孤独なスポーツです。
歳を重ね、一人で走っていたのが仲間が増え、一緒に走ってくれる人に出会いました。
正に共感してくれる仲間です。
次は
自分勝手に「さくら道
です。

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1921年~2024年まで生きた人、鈴木健二さん
NHKの番組でアナウンサーとしての、その人は、とても紳士的な人だった。
NHKを退職してボランティアに生きた人、その人の言葉に
「感動なしに人生はありえない」
そんな言葉があった。
「感動」と「人のために」と「心友」
とも
気を配ることは嫌いだった。好きなことを言えないなんて。と。
だけど、それなりの気を配ること、その大切さを言っている。
間違いは誰でもある。
間違ったら人に指摘されたら、それを謝り前に進まばイイ。
鈴木健二さんみたいに何時までも夢を追いかけて生きてきた人に感激した。
95歳で永眠、お疲れ様でした。

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この本を読もうと思ったのは
森永卓郎さんが去年の11月に癌告知されていた事を知ったからだ。医師からは
「来年の春のサクラを見ることはできないだろう」
と、言われたと書いてあった。
森永 卓郎(もりなが たくろう、1957年〈昭和32年〉7月12日 - )は、日本の経済アナリスト、エコノミスト、タレント、獨協大学経済学部教授。専門は、マクロ経済・計量経済・労働経済・教育計画、オタク文化論など。愛称・通称は「モリタク」。
ウィキペディアから引用

ザイム真理教、財務省が唱える財務均衡主義を多くの国家議員が洗脳され、増税の道を突き進んでいる。
そんな話しである。
江戸時代、四公六民だった年貢米が五公五民になり百姓一揆が起きたと書いてあった。
今は江戸時代ではない。自由な日本だ。しかし、偉大な先人によって今の平和な日本を作り上げてくれたのだ。
江戸時代、四公六民だった年貢米が五公五民になり百姓一揆
この話は百田尚樹影法師の物語の初めにあった。少年二人が、その処刑を目の当たりにいし、帰り二人は刎頸の契りを結ぶのだ。
森永卓郎さんは生きることに特別の執着はない。と言ってた。
しかし、医師に言われた
「来年の春のサクラを見ることはできないだろう」
そんな言葉を裏切り、森永卓郎さんは「桜を見たやったぜい」とインタビューで答えている。
森永卓郎さんはインタビューで、今書ている本を書き終えないと死ねない。と。
その本は
「書いてはいけない」
キンドルのサンプルを読んだ。
気になる。

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この本の中にトルストイの「とびこみ」があった。
トルストイと言えば「戦争と平和」がある。
19世紀初頭、ナポレオンのロシア侵入という歴史的大事件に際して発揮されたロシア人の民族性を、貴族社会と民衆のありさまを余すところなく描きつくすことを通して謳いあげた一大叙事詩。1805年アウステルリッツの会戦でフランス軍に打ち破られ、もどってきた平和な暮しのなかにも、きたるべき危機の予感がただようロシア社交界の雰囲気を描きだすところから物語の幕があがる。そのような話らしい。
時代は巡り巡って、2024年になったが、今なお人々の争いは続いている。
この本の最後には芥川龍之介の「杜子春」がある。
鉄冠子によって、多くの金を手に入れることができた杜子春は、人間の醜いところを見て、お金より大切なものを感じ始める。そして次に鉄冠子の弟子になろうとします。
仙人になるためには多くの苦難を強いらせます。
最後、、杜子春鉄冠子のおきてを破ります。そして仙人の夢も破れます。
しかし杜子春は最後、こう言います。
「なにになっても、人間らしい、正直なくらしをするつもりです。」

芥川龍之介では「蜘蛛の糸」があります。
蜘蛛の糸が切れ、カンダタは地獄へと落ちていく。
子供のころ、その物語を読んで何を感じたか。
先生が子供たちに質問する。
そうやって子供たちは成長し大人になっていく。
今、その大人たちは、子供に何を教えるのだろう。
卑しい政治家が、何を語るのだろう。
今は森永卓郎の「ザイム真理教」を読んでいる。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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