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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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佐久間の自宅前から朝の
5時50分
からのジョグ、途中近所お兄さんが軽トラから声かけられた。
「頑張ってるネ~♪」
豆こぼしトンネルを抜けると、見えてきた。

今日登る。戸口山
戸口山は、ここら辺では親しみをこめて「三盛さん」と言うそうだ。
三盛山でなく「さん」
戸口山に言われているようです。
「ご苦労さん」
と。

先週、も走った。
その時は、GPSを入れ忘れ、途中からで、こうなった。
登山口も林道から登り始めた。
今回、そのヤマップの地図を見て、戸口集落の終点から登れないかと考えた。
仕事が終わって、戸口集落の終点の家を訪ねて聞いて見た。
了承を得て、今回は鎌・なた・ノコギリを持って出発した。
登山口に着いたのが
7時15分
リックから鎌を出し、なた・ノコギリを腰につけ、登山開始
カヤ、その他の草で道がわからなくなっている所は最初だけで、杉林になると古道は残っていた。
途中、もう誰も住まなくなった家もあった。
地図で等高線がこんでいて、真直ぐに上には登れない、と思ったが、やはりそうだ。
落石が心配だ。
途中、少し道が崩れているとこをもあるが、難なく先週通った所に出た。
炭焼き小屋跡が目印だ。
尾根伝いを登ると、林道に出る。
そこに、久根鉱山で使用した錆びた塔がある。
林道を歩くと、今日登る戸口山が見える。
真っ直ぐ行くと戸口山に、今日は先週と同じ、林道を南に行き、戸口山の三つの山
希望・健康・叡智
希望から健康・叡智と登りたいので、南にトラバースする。
林道終点、そこから登山道がある。
途中、友さんウッチャンたちと登ったときと違う方向のルートを行く。
鉄塔があり眺望がイイ。振り向くとさっき歩いた林道が見える。
上に上に登り、作業道を越え、進んでいくと、見覚えのあるコースにつく。
尾根沿いの道を行く。
そんなとき小雨が降ってきた。
「希望」に着いたのが
9時8分
紫色の花は、まだ咲いていた。
「健康」戸口山頂上には
9時15分
頂上を後にして、反射板に来たときには雨も本降り。叡智までの景色の好いところはガスで遠くは見えなくなっていた。
「叡智」
9時22分
ココで持ってきたオニギリをと思ったけど、何も見えないし雨も降っているから
そく下山。
下山途中の木陰で持ってきたオニギリと飲み物で少し休憩。
ハシゴを降り、鉄塔を越え、半場登山口に着いたのが。
10時12分
雨は、すっかりあがっていた。
ココからは舗装道路、ユックリのジョグ、途中の鉄塔のところで

写真
持っていたみかんを食べ、林道ジョグ
半場集落につき、近所の人の集まりに溶け込み、ヤマップのタイマーを止めた。
10時45分
総合時間
4時間55分
距離
18.4㎞

ぐるっと戸口山(三盛さん)
が、完成した。
良かった。無事に帰ってくることができ。
後は、コース案内板をつくりたいと思う。
が、勝手には良くないので、村の人に相談しに行こうと思う。
古道、先人たちが歩いた道、石を積み、階段を作り、多くの人が歩いたと思われる道
自然災害で一部崩れているところもあるが、いまだ残っている、古道
今回、戸口集落の終点から歩いた古道
途中、廃屋があり、炭焼き小屋跡があった。
もう、何年も人が歩くことはなかったのかのしれない。
が、今回歩いて、良かったと思った。
なんか、宝物を見つけた気がした。
ジャンジャン
友さん・ウッチャン
また
登りませんか?

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如何して死んではいけないのですか?
そんな生徒からの質問に、答えられない今時の先生。
そんな見出しが過去見た雑誌にあったと記憶する。
今ネット勉強会で、同じような質問があった。
今日のテーマ
第30週 命の授業〜複眼思考で考える
191回 自殺と安楽死を考える
ー自分のいのちは誰のもの?ー
本日のお題は、以下のいずれかを選択して下さい!
(1)
あなたの命はあなたのものでしょうか。
(2)
臨死体験もしくは近い体験をしたことがありますか。
(3)
看取りを経験したことがありますか。

(1)
自分の命は、自分のもののようで自分だけのものではない。
私は、こう思う。
が、それは日本人だから。今の日本に暮らしているから。
他所の国では、自分の命は自分のモノではない国がある、のです。
それは過去、戦争前は、日本もそんな国でした。

藤原和博「新しい道徳」を読んでいる途中・・・。
その本に、自殺の事が書いてありました。
そこにイジメから自殺をした、二人の子の遺書が書いてありました。
藤原さんは、先生として、子どもに答えを言わない。
問題を投げかけて、自分で答えを探させる。
答えはひとつではない。と。

藤原和博「新しい道徳」を読んでいる途中・・・。
自殺と言えば、遠い昔、東京オリンピック、マラソンの選手だった円谷幸吉さんの自殺を思い出す。
小学校高学年の頃、友達と二人でピンクピクルスの「一人の道}を薄暗い部屋で聞いたのを思い出す。
やがて
佐久間を離れ就職、20代後半で佐久間に帰ってきで佐久間駅伝の参加のため走り始めた。
市民ランナーの一人となった。
何のために走るのか。何のために生きるのか。

藤原和博「新しい道徳」を読んでいる途中・・・。
自殺はいけないことだと大人は言う。
自殺その事実だけを切り取って話すのではなく、もっと深くその人の過去状況を考えて話すこと。
大切だと思う。

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半場多目的公園を出発したのは
朝の六時
友さんとウッチャンと三人で六月に登った山
戸口集落から(第二発電所出口上流)からの登山でGPSをたよりの道なき道の登山だったように感じた。
それでも、辿り着いた戸口山山頂、そこからは歩道も整備され眺望も開け快適だった。
が、「希望」「健康」「叡智」
戸口山は別名三盛さんと呼ばれ、地域の人に親しまれている。
三盛さん、山でなくて「さん」
地域の学校の歌の歌詞にも入っていて歌われている。
見よ赤石の三つの峯
そう
「希望」「健康」「叡智」と歌われているのだ。
「健康」が頂点だとすれば、戸口よりのピークは「希望」
その「希望」のピークに行けなかったのが、チョット残念だった。
その、行けなかった「希望」を探しに行った。
「叡智」のピーク、佐久間の街並み、その向こうに佐久間ダム、遠く富山の山(八嶽山・日本ヶ塚山)などが見える。
開けた歩道を降りると反射板がある。そこから上り「健康」戸口山山頂がある。
そこを下って、友さんウッチャンと戸口集落から上ってきたところがあった。
「希望」は、と思い、探すと、遠くにピンクのリボンがなびいていた。
そのリボンをたよりに登ると「希望」のピークは、あった。
歩道には紫の山野草が咲いていた。
「希望」のピークから、今来た道の先、整備されている、向かっていくと下っていくと、
山の作業の道だろうか、縦横無尽に出来ている。
歩道がわからなくなり、もと来た道を帰ってきた。
「希望」「健康」「叡智」を通て。
「希望」を等高線のユルイ、方向に行ったのだ。
そして今回、戸口集落を超えて、林道の途中からの登山をと考えた。
それも、自分の家から、
半場多目的公園→戸口集落→戸口登山(希望・健康・叡智)→半場登山口→半場多目的公園

GPSを入れ忘れ、登山口の前に入れた。
戸口からの登山ではヤマップは頼りになる。
途中山仕事に人(夫婦)出会い話をした。
下山の時にも登ってくる人がいた。
もう何回か、この山を登っているみたいだ。
その人も夫婦みたいだった。
半場多目的公園に帰ってきたのは
11時30分
戸口登山口から林道歩き、大輪の橋が見え綺麗だった。
戸口集落から登ることができたなら、もっと素晴らしいコースになると思う。
戸口山(三盛さん)
昔は、地域の人に親しまれていた山、今はその存在もわからない人が多い地域になってきた。
先人の人たちが遺してくれた、もの。

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百田尚樹、2009年発売の作品である。
題名だけで買ってみた。どんなのだろう?と思いページをめくった。
第一部
帝国の娘
その横に、オオスズメバチの事が説明してあった。
スズメバチの物語か~。
主人公である働き蜂マリア、巣から飛び立ち獲物を探す。
そんなところから物語は始まっていく、読み進んでいくうちに多くの蜂その他の昆虫が出てくる。
それぞれの虫の一生がある。
オオスズメバチのワーカーは30日という短い命だ、その命を懸命に生きる働き蜂の物語、
オオスズメバチの帝国に生まれたワーカー(働き蜂) マリアは、幼い妹たちと‘偉大なる母’のため、恋もせず子も産まず、ある日突然おとずれる最後の日まで命を燃やして戦い続ける物語だった。
主人公である働き蜂マリアの目線で描かれた感動の作である。

マリア、オオスズメバチのワーカー(働き蜂)何のために生れてきたのか。
宿命
自分は恋いもしない、子供も産まない。
ただ帝国のために戦って餌を捕獲してくる、こと。
そのように生まれてきた。
が、最後、、、、。

多くの資料から昆虫の生態を調べ書き終えた作品である。
物語の進み方、それ以上に昆虫たちの其々の生態を学べる本だった。
最後に「解説」として
東京大学名誉教授 養老孟司先生の言葉が書いてあった。
養老孟司先生は、だいの虫好きとして有名である。
その養老孟司さんの言葉の中に
主人公はオオスズメバチの働き蜂マリア、優秀な狩人、自分の巣つまり「帝国」のために一生を捧げる。ここでまた、つまづく人がいるかもしれない、大日本「帝国」のために命を捧げたのに、いってみれば、ほとんどなにもならなかった人たちがいた。私より年上の人だったら、心の奥底にそんな記憶を隠し持っているかもしれない、まあ、もはやその人数は少ないと思うけど。
 いまはスズメバチは完全に悪役になった。秋の遠足でスズメバチの巣が見つかると、たぶん役所の人か、専門の業者が呼ばれて、たちまち退治される。ハチの行動をよく観察して、攻撃されないようにする、そんなことはふつうの人は考えない。
原文まま
昆虫嫌いな人もいる。ハチ、ハエとか蚊、そんなものは「いない方がイイ」そう感じている人もいる。
そんなふうに感じている人たちこそに、この
は読んでほしい、と書いてあります。
オオスズメバチという生き物が、日本に、人類がやってくるよりもはるか前から住んでいた。

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藤原さんの本は
「坂の上の坂」を読み今回「改革はいつも、たった一人から始まる」は二冊目だ。
この本は
序章
「常識」や「前例」を疑う
思考法の鍛え方
第一章
「ないのなら、つくればいい」
藤原和博は、時計も編集する
第二章
一台350万円超の、奈良で生まれた「型破り」なかき氷マシン
第三章
「子供たち」の未来をつくろう。
大金持ちでなくてもできる世界貢献
第四章
スマホから発注できる学生服
「ichijo」
第五章
史上初、隈 研吾が設計した
「公立校の新講堂」
第六章
「背負える」キャリーバックでつくる
新しい常識
中でも私の心に残った
第三章
「子供たち」の未来をつくろう。
大金持ちでなくてもできる世界貢献
キングコングの西野さんと、ラオスに学校をつくろうと奮闘している、そんなことが書いてあった。
国ではなく、個人的に
今後も、この活動を活発にしてアジア全域に三万校、日本と同じだけの学校建設を支援できたら
「国際親善」「民間外交」「安全保障」
三位一体で実現できる。
そんな夢を見ていると書いてあった。
夢の八訓
夢のある人は希望がある
希望のある人は目標がある
目標のある人は計画がある
計画のある人は行動がある
行動のある人は実績がある
実績のある人は反省がある
反省のある人は進歩がある
進歩のある人は夢がある
まさしく夢ある行動派の藤原さんの本だった。

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今、DIY家でコツコツやっている。
何か必要なものが無い。たりない。売っているところが無いため、遠くまで買い物に行く時がある。
不便を感じる。時がある。

人は、自分にとって、自分が考えることが、優先される。
不便だな~っと思えば不便だ。

しかし、そんな不便な大変な思いをして造った、自分のお城。
自分なりに、満足。。。

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何回も言うようだが、戸口山は地元では、別名三盛山(みつもりやま)と呼ばれている。
見よ赤石を かたどれし
わが校章の 三つの山
と佐久間の高校で校歌として歌われている。
そして
希望・健康・叡智をば
示すを常に うち仰ぎ
と、その校歌は続いている。

写真は佐久間町の豆こぼしトンネル(国号473号線)の佐久間から出口付近で撮ったものだ。
左から
「希望」「健康」「叡智」
とした。
今回、道に迷った。
「叡智」のところで、写真のように、尾根沿いに降りてこなかった。
道が整備されている方うに歩いて行ったのだ。
リボンもあり、どんどん降りていくと、山の作業道が至る所に出来ていて、その道も消えていた、それでも目を凝らして降りていくと、廃車のマイクロバスがあった。
そこからは、山道は分からなく作業道沿いを歩いていく、すると沢の流れる音が聞こえた。
完全に間違えたな。
そう思って、もと来た道を(作業道沿い)を歩いていると、前から人が三人歩いていた、声をかけると、佐久間森林組合の人だそうだ。
その人たちはGPSを頼りに来たそうだ。現在地を確認し、ヤッパリ違っていることを再確認した。
「もと来た道を帰る」
と言って、私は同じ道を登った。
「希望」に帰ってきて、佐久間方面の道を確認したが、道はない。
「健康」「叡智」と通って帰る。
「叡智」からの景色が、朝は霧がかかっていた浦川方面が、その霧が無くなり綺麗に見えた。

この写真が、「叡智」の地図だ、等高線の緩くなっている方面に進んだのだ。
6月13日に戸口から登った。
その時も、戸口方面の登山道は確認できなかった。
道なき道を進んだ。
だから、同じ道を帰ることにした。

水窪は「山に生きる会」そんなNPOがあり、地元の登山道の整備を目的とした集まりがある。
佐久間も、こんな良い山があるのにナ~。と思った。

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半場山&戸口山に登山。
登山計画は家族に出した。
登山口に車を置いて、半場山を通って戸口山に向かう予定だと、言った。
6月13日(日)
ウッチャン友さんと三人で登った戸口山(三盛山)
「希望」「健康」「叡智」と登るはずだったけど、「希望」が見つからず残念だった。
今回、その「希望」のピークにだどりつくのが最大の目的だ。
今回は、前回の反対側からトライする。

戸口山(三盛山)とは
佐久間にある高校、そこの校歌で、その戸口山(三盛山)歌詞で使われている。
見よ赤石を かたどりし
わか校章の 三つの峯
(この三つの峯、この峯は三盛山の戸口山のことなのだ)
佐久間町にある上野集落から、真正面に見える。
左から「希望」「健康」「叡智」と登るはずだったのに、戸口山に先に登って「叡智」のピークにたって半場山経由で帰ってきた。
今回は、その6月13日に行けなかった「希望」探しに行くのが最大の目的だった。

6時30分自宅を車で出発、6時45分登山口、6時46分登山開始
6時53分最初の鉄塔へ、7時13分その次の鉄塔へ、そこから整備された登山道を行くが6月13日の時の記憶にない道だと思う。作業道につき半場山に行く道と違うときずく。半場山(カミナリに焼けた杉)を見に行く(600mくらいか)
帰ってきて、作業道から鉄のはしごを登り、次の鉄塔を目指す。
「叡智」のピークが見える。それを目指して登る。
「叡智」のピークに辿り着いたのが8時
少し下って反射板
そこから上って戸口山「健康」に着いた。
8時17分
高い木に囲まれて景色はのぞめない。
そこから下って、作業道がある。登り口はテープを巻いた木が遠くに見えたので、それを頼りに登った。あったあった。「希望」のピーク。
8時26分
そこから尾根沿いに下る。途中テープもなく不安になる。
8時43分
眺望もないし、不安だし、もと来た道を戻って帰ることにした。
「希望」「健康」を通って
「叡智」で持ってきたカップ麺を食べた。
持ってきた。本
藤原和博さんの
「改革はいつも、たった一人から始まる」
を読んだ。
序章
どんなチャレンジでも「産道を通るときの恐怖」以上に怖いことはない。
眼下に佐久間の町を眺めながらの読書&カップ麺、
贅沢なひとときだ。

半場山の、50年前カミナリガ落ちて焼けた杉の木を見て
帰ってきた。
登山口、車が置いてあるとことに帰って来たのが。
11時20分
家に帰って草刈りやって、ニンニクを植え、一日が終わった。

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1969(昭和44)年
三重県多気郡大台町大杉に生まれる。
中村さんの話だと、そこは山深い所で、小さい頃、山や川で遊んだ思い出を話していた。
最初、この人の講演や本を読んでいて、そんな話を聞いて、いた。
その人は皇學館高校に入学、その時、悪さをして退学を何回もした人です。
オートバイに乗り万引きをして、そんな経験も笑いと涙で語っています。
(笑い、それは本を読むとわかります)
その高校を無事に(無事かどうかわかりませんが)とりあえず卒業し
お兄さんがいる東京へ
そこで家から送られてきた自転車に乗ってハプニング
警察に捕まり、その警察官と友達になる。
警察官の友達に働き口を紹介され働くようになり。
人生の師匠と言われる田畑さんに出会う。

その人は田畑さんは野菜を売る行商をやっている。
中村さんは、一緒に行商をして、田畑さんに色々なことを叩き込まれた。
(そこは本でも講演で読んで聴いて見てほしい)
その人は地元に帰って、伊勢市で飲食店「クロフネ」オープンした。
そこは障碍者の人たちが働いている、という・
また、野菜は中村さんの地元、大台町の農家でつくっている野菜を使っているという。
また
離農が進んだ北海道の農地をお借りして、都会でひきこもり・ニートと呼ばれる若者達と一緒に農業を行っている。

中村さんは年に講演を300回以上やっているという。
一年365日どんな生活をしているのか?
凄すぎる( ゚Д゚)

三年前
愛知県の富山から静岡県の佐久間ダムまで走っている途中
一緒に走っていた人に、
秘境、大杉谷の登山の話を聞いた。
大杉谷登山センター

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明治という時代を生きた三人の生涯を描いた歴史小説、
そんな時代、そんな時があった。
そんな時代から、時が過ぎ、日本は様々なことがあり、平成23年に出た本だ。
藤原和博「坂の上の坂」
55歳までにやっておきたい55のこと

第一
無謀なことをやろうとするほど、人は応援してくれる
私の人生を振り返って、感じる。その通りだと。

この時は、2017年「夢街道」
多くの人に支えられ応援されての大会だったと感じる。
私57歳の時だった。

藤原和博「坂の上の坂」
55歳までにやっておきたい55のこと
藤原和博さん、知っている人は知っているかもしれないけど、知らない人は知らないかもしれない。
私は、この動画で初めて知った。

これからのネットワーク社会、近い将来
50億人がネットで繋がる。
そんな人の本
「坂の上の坂」
読んでよかった。坂の上の坂
それは
自分の人生の後半に、自分のためだけでなく、自分の子ども、孫世代のために今の自分を生きる
こと。

感動した物語、今は時代が違う。
今は

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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