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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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半場山&戸口山に登山。
登山計画は家族に出した。
登山口に車を置いて、半場山を通って戸口山に向かう予定だと、言った。
6月13日(日)
ウッチャン友さんと三人で登った戸口山(三盛山)
「希望」「健康」「叡智」と登るはずだったけど、「希望」が見つからず残念だった。
今回、その「希望」のピークにだどりつくのが最大の目的だ。
今回は、前回の反対側からトライする。

戸口山(三盛山)とは
佐久間にある高校、そこの校歌で、その戸口山(三盛山)歌詞で使われている。
見よ赤石を かたどりし
わか校章の 三つの峯
(この三つの峯、この峯は三盛山の戸口山のことなのだ)
佐久間町にある上野集落から、真正面に見える。
左から「希望」「健康」「叡智」と登るはずだったのに、戸口山に先に登って「叡智」のピークにたって半場山経由で帰ってきた。
今回は、その6月13日に行けなかった「希望」探しに行くのが最大の目的だった。

6時30分自宅を車で出発、6時45分登山口、6時46分登山開始
6時53分最初の鉄塔へ、7時13分その次の鉄塔へ、そこから整備された登山道を行くが6月13日の時の記憶にない道だと思う。作業道につき半場山に行く道と違うときずく。半場山(カミナリに焼けた杉)を見に行く(600mくらいか)
帰ってきて、作業道から鉄のはしごを登り、次の鉄塔を目指す。
「叡智」のピークが見える。それを目指して登る。
「叡智」のピークに辿り着いたのが8時
少し下って反射板
そこから上って戸口山「健康」に着いた。
8時17分
高い木に囲まれて景色はのぞめない。
そこから下って、作業道がある。登り口はテープを巻いた木が遠くに見えたので、それを頼りに登った。あったあった。「希望」のピーク。
8時26分
そこから尾根沿いに下る。途中テープもなく不安になる。
8時43分
眺望もないし、不安だし、もと来た道を戻って帰ることにした。
「希望」「健康」を通って
「叡智」で持ってきたカップ麺を食べた。
持ってきた。本
藤原和博さんの
「改革はいつも、たった一人から始まる」
を読んだ。
序章
どんなチャレンジでも「産道を通るときの恐怖」以上に怖いことはない。
眼下に佐久間の町を眺めながらの読書&カップ麺、
贅沢なひとときだ。

半場山の、50年前カミナリガ落ちて焼けた杉の木を見て
帰ってきた。
登山口、車が置いてあるとことに帰って来たのが。
11時20分
家に帰って草刈りやって、ニンニクを植え、一日が終わった。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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