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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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令和4年3月21日(秋分の日)
私は水窪から遠山郷まで一人で歩いた。
水窪の星の駅「碧–AOI–」の横に駐車業に車を止め歩き始めた。
青崩峠を越え、信州へ、遠山郷観光協会により、そこに荷物を置いて食楽工房 元家 (げんや)で昼飯
チェックインまで時間があるので、いろりの宿「島畑」までも歩くことにした。
3時半到着、夕食は6時、お風呂に入って、そこの図書館で、その本に出会たのである。
「日本村100人の仲間たち」

表紙には手をつなぎ合った子どもたちが地球をグルリと一周している。
村には不況のほかにも、大変な問題があります。
子どもの数が減っているのです。
夫婦一組で生まれる子供の数は
1,34人になってしまいました。
このままでは、2100年には
村の人口半分の53人になってしまいます!
原文まま
佐久間町が浜松市に合併したころ遠山郷に
始まり。私はそのマラニックに毎年参加していた。
そして、ココの宿には、もう何回も泊まった。
そして、ココの図書館で
を知った。
遠山の人たちは、飯田市になることを選んだのだけど、合併ことを勉強したいたのだと感じた。
今回、この本を読んだ。
この本では、子どもの数が減っている。
と書いてある。
現実、日本では減っている。
過疎の村では子供がいない。
食楽工房 元家 (げんや)に子どもがいた。
そこの店の子どもだろうか?
帰り、電車で帰ってきて、水窪駅に降り
水窪町内を「島畑」で知り合った人と車で回った。
上村の斜面集落を上っていくと、下界で振っていた雨が、霙に変わってきた。
御土産(トキモチ)を買って、佐久間の家に帰ってきた。
二日間楽しい旅だった。
島畑では、その他
遠山郷を走りまくる
そんな本も借りてきた。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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